第十五話:灰の王国の日常と、高貴なる来訪者
エドワードが霧の前で剣を抜く数日前。アッシュランドは、かつての死地とは思えないほどの黄金色に包まれていた。
「アルス様! 見てください、今年の『灰金麦』は粒が一段と大きいです!」
ミーナが収穫したばかりの麦穂を抱え、満面の笑みで駆け寄ってくる。
アルスが前世の農学知識と修復した古代魔法を組み合わせて生み出したこの麦は、驚くほどの栄養価と、独特の香ばしさを持っていた。
「これなら、試作していた『アッシュ・パスタ』も完璧に仕上がるね。リィナ、厨房の方は?」
「準備万端ですよ、アルス坊ちゃま。サバスさんが調達してきた王都の香辛料と、うちの完熟トマトのソース……。試食したロイが、お代わりを三回も要求しましたから」
リィナが誇らしげに胸を張る。この領地では今、アルスの考案した「現代風アレンジ料理」が新たな名物となり、領民たちの胃袋と心を掴んでいた。
そんな活気溢れる領地を、熱い眼差しで見つめる一団があった。
王家からの極秘視察団。その中心にいるのは、第二王女フィリアだ。
「……信じられません。これほど短期間に、土壌そのものを書き換えてしまうなんて。アルス様、あなたは本当に……魔法使いのようです」
フィリアは、アルスに贈られた『灰釉の耳飾り』を揺らしながら、うっとりと村の景色を眺めていた。彼女は今、アルスから「古代語の修復作業」を学びつつ、この領地の自由な空気に救われていた。
「姉様……第一王女のセリア姉様にも、この景色を見せてあげたい。隣国へ嫁がれてから、あちらの食糧難をずっと心配していらしたから……」
フィリアの姉、第一王女セリアは、聡明で慈悲深い人物として知られ、現在は隣国の小国へと嫁いでいる。その夫である王子もまた民を愛する高潔な人物だが、土地の痩せた隣国では慢性的な飢饉が続いていた。フィリアは、アルスの技術が姉の嫁ぎ先をも救うのではないかと期待を寄せていたのだ。
「ええ、いつか手助けができればと思っています。……それと、王宮に残られた皇太子殿下は、お元気ですか?」
アルスの問いに、フィリアはクスクスと笑った。
「弟のレオですね? 彼はもう、大変ですよ。私が持ち帰るアルス様のお話を聞くたびに、『僕もいつか、アッシュランドの賢者様に弟子入りするんだ!』って、騎士団の訓練そっちのけで古文書を読み耽っているんです」
まだ幼い皇太子レオ。彼は貴族派の専横に心を痛めており、自らの力で道を拓くアルスの姿に、英雄としての憧れを抱いていた。
――そんな平和で希望に満ちた会話の最中だった。
サバスが静かに、しかし冷徹な足取りでアルスの元へ歩み寄ってきた。
「閣下。……境界の霧に、招かれざる、しかし無視し得ぬ客人が到着いたしました」
「……誰だい?」
「レトヴィス家次男、エドワード様。……お一人で霧を突破しようとしておられます」
その名を聞いた瞬間、アルスの表情から「領主」の柔らかな笑みが消え、「修復師」の鋭い瞳が戻った。
「……ロイ、フィリア殿下を奥へ。リィナ、村人たちを避難させて。サバス、僕が直接出る。……兄さんに、僕たちの『真実』を見せてあげよう」
こうして、物語はエドワードとの再会へと繋がっていく。
実家の「最強の剣」と、辺境の「最高の知」。
二人の兄弟が数年ぶりに交わす言葉は、果たして何色に染まるのか。




