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第十四話:迷いの霧と、引き裂かれた剣聖

王都、レトヴィス伯爵邸の一室。長男カイルは、帰還した隠密頭バロウの報告を聞き、忌々しげに机を叩いた。

「……何もないだと? 灰が積もるだけの死地だと? 貴様、私の目を盗んで酒でも飲んでいたのではないか!」

「も、申し訳ございません、カイル様。ですが、確かにあの先には……」

 バロウの目は虚ろだった。サバスによって記憶を「修復(改ざん)」された彼は、自分が何に敗北したのかさえ思い出せない。カイルはその様子に、単なる無能以上の「違和感」を抱き始めていた。

「ふん、いいだろう。ならば次は、レトヴィスの『本気』を見せてやる。……エドワード、入れ」

 重厚な扉が開き、一人の青年が姿を現した。腰に下げた一振りの剣。それだけで周囲の空気が張り詰める。レトヴィス家最強の『剣聖』、次男のエドワードだ。

「……兄上。僕に、アルスを追えと言うのですか」

「そうだ。バロウのような小細工師では埒があかん。貴様の『剣聖』の直感で、あの土地に隠された真実を暴いてこい。もしアルスが魔法的な細工で目眩ましをしているなら……その剣で、空間ごと斬り裂け」

 カイルの目は、弟への信頼ではなく、駒としての冷酷な期待に満ちていた。

 エドワードは拳を握りしめる。父からも「レトヴィスの恥を雪げ」と厳命されている。逆らえば、自分だけでなく、アルスの母を慕っていた使用人たちまでどんな目に遭わされるか分からない。

「……承知しました。僕が行きます」

 エドワードは、自ら選んだ精鋭数名を引き連れ、北へと馬を走らせた。

 数日後。アッシュランドの境界線。

 再び立ち込める乳白色の霧を前に、エドワードは馬を止めた。

「エドワード様、前回の班はこの霧で引き返したようです。……異様な魔力を感じますな」

 同行する私兵たちが剣を抜く。だが、エドワードは静かに彼らを制した。

「……下がっていろ。これは、ただの霧じゃない。誰かの『意志』だ」

 エドワードは目を閉じ、剣聖の感覚を研ぎ澄ませた。

 霧の奥から、懐かしい、しかし以前よりもずっと力強く、澄んだ「紙の匂い」が漂ってくる。

(アルス……そこにいるのか? お前が、この霧を作ったのか……?)

 彼はゆっくりと剣を抜いた。殺気はない。だが、彼の放つ剣気は、サバスの展開した術式をじりじりと押し返していく。

 その時、霧の中から静かな声が響いた。

「……それ以上は、無粋というものですよ。エドワード様」

 現れたのは、サバスだった。前回のバロウの時とは違い、その手には既に『古代の魔導重十字クロスボウ』が握られている。相手が『剣聖』である以上、手加減は死を意味すると理解しているのだ。

「貴様は……アルスの従者か。どいてくれ。僕はアルスに会いたいだけだ」

「それは叶いません。我が主は現在、領民たちのための『冬越しの計画』で多忙を極めております。実家の方々にお見せするような無様な姿は、一秒たりともございません」

 サバスの冷徹な言葉に、エドワードの胸が痛む。実家でアルスがどんな扱いを受けていたか、自分も見てきたからだ。

「……なら、力ずくでも通らせてもらう。僕は、アルスが本当に無事なのか、この目で確かめなきゃいけないんだ!」

 エドワードが踏み込む。剣聖の一撃が霧を真っ二つに裂き、サバスの結界に亀裂を入れた。

 だが、サバスも引かない。アルスが修復した「重力制御の魔導具」を起動し、エドワードの動きを縛り付ける。

 一触即発の事態。

 その時、領主邸のバルコニーから、拡声の魔導具を通じたアルスの声が響き渡った。

「――そこまでだ、サバス。……エドワード兄さん、一人で入ってきて。他の人たちは、そこで待たせておいて」

 霧が、まるで道を作るように左右に分かれた。

 その先にそびえ立つ、白亜の領主邸と、見たこともない緑の平原。

 エドワードは絶句した。自分たちが「死地」と呼んで捨てた場所に、王都をも凌ぐほど美しい「楽園」が広がっていたのだから。

「……アルス……本当に、お前なのか?」

 エドワードは、呆然と開かれた道へと歩き出した。

 その背中を、サバスが複雑な表情で見守っていた。


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