第十二話:凍てつくレトヴィス伯爵邸と、忘れ去られた面影
王都の北側にそびえるレトヴィス伯爵邸。そこは「剣」を尊び、「無能」を排する徹底した実力主義の要塞だった。
【過去:雪の日の記憶】
かつて、この屋敷の片隅に、ひっそりと咲く花のような女性がいた。アルスの実母、側室のマイだ。彼女は平民に近い身分ながら、その慈愛に満ちた心でアルスを育てていた。
しかし、正妻イザベラにとって、彼女たちの存在は目障りな不純物でしかなかった。数年前、マイが重い熱病に倒れた際、イザベラは「無能の母に割く薬などない」と言い放ち、医者の立ち入りさえ禁じたのだ。
雪の降る夜、アルスが泣きながら父に縋り付いても、最高位の剣士職『剣豪』を持つ父・レトヴィス伯爵は、一度もその病室を訪れることはなかった。
「……アルス、いつか……広い世界を見てね。紙の中に眠る、本当の美しさを……」
その言葉を遺して母は逝った。アルスは独り、物置小屋で母の形見のボロボロの地図を握りしめ、冷たい床で震えていた。その姿を、次男のエドワードだけが、柱の陰から涙を浮かべて見つめていた。
【現在:王都の虚飾】
時は流れ、現在。レトヴィス家の居間では、豪華な晩餐会が開かれていた。
上座に座る長男のカイルは、自身のスキル『聖騎士』の鎧を誇示するように着込み、鼻を鳴らす。
「……チッ、また王宮の図書室か。あの第二王女フィリアめ、死語翻訳などという気味の悪いスキルで、また古文書を漁っているらしい。王家派の連中も、あんな『墓守女』を担いで何を企んでいるのやら」
カイルは貴族派の若手リーダーとして、王家へのスパイ活動に余念がない。だが、最近彼を苛立たせているのは、それだけではなかった。
「お兄様! そんなことより、私の話を聞いてくださいな!」
けたたましく割り込んできたのは、長女のセシリアだ。彼女はスキル『美の審美眼』を使い、常に流行の最先端を追い求めている。
「今、王都の貴族夫人の間で、産地不明の『灰釉の耳飾り』が爆発的な人気なんです。あのエレナ叔母様(辺境伯夫人)も、自慢げに着けていらしたわ。あんなに透き通った緑色は見たことがありません! 私、どうしてもあれが欲しいの!」
「ふん、あの傲慢な叔母上か……。父上の姉でありながら、我ら貴族派とは距離を置き、王家派のラインハルト辺境伯に嫁ぐとは。裏切り者の着けている物など……」
カイルが言いかけた時、母のイザベラが冷ややかに笑った。
「カイル、そう言いなさんな。セシリアの審美眼が本物だと言うなら、そのアクセサリーの製造元を突き止め、我らが独占すればよいのです。そうすれば、王家派の資金源を一つ断つことにもなりましょう?」
「……なるほど。母上の仰る通りだ。よし、アッシュランドへ差し向けた調査員に、特産品の出所も探らせよう」
【エドワードの決意】
その会話を、食卓の隅で無言で聞いていたのが次男のエドワードだった。
彼のスキルは、一族最強の『剣聖』。しかし、その剣は家族に向けるためのものではなかった。
(……アルス。セシリアたちが欲しがっているあの耳飾り。エレナ叔母様が大切にしていた、あの優しい色……あれは、お前の母様が好きだった森の色によく似ている)
エドワードは直感していた。
北の果て、誰もが「死の地」と呼んで追い出した場所で、アルスが生きていることを。そして、家族がその輝きに「牙」を剥こうとしていることを。
(父様は、アルスが生きているなら『レトヴィスの恥を雪ぐために殺してでも連れ戻せ』と言った。……けど、僕は違う。今度こそ、僕がこの剣で……アルスを守るんだ)
エドワードは、震える手で剣の柄を握りしめた。
実家の傲慢な連中が、自分たちが「ゴミ」と捨てた弟の真の価値に気づく日は、そう遠くない。




