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第9話:驕れる者たちの没落と、冷徹な事実

 冒険者ギルドの片隅にある、薄暗い酒場スペース。

 昼間から安いエールと紫煙が充満するその場所で、かつて王都で最も勢いのある若手Bランクパーティーと持て囃された三人の姿は、見る影もなく落ちぶれていた。


「……クソッ、まただ! また刃こぼれしやがった! なんで俺の剣は、ゴブリンの骨なんかでこんなに簡単に欠けるんだよ!!」


 重戦士のレオンが、ボロボロになった大剣をテーブルに叩きつけ、血走った目で怒鳴り散らした。

 その声に、向かいに座る魔術師のミラが苛立たしげに舌打ちをする。彼女のローブは薄汚れ、かつて艶やかだった金髪も手入れされずにパサついていた。


「剣のせいにするんじゃないわよ! あんたが前衛で攻撃を避けきれないから、私が無理して大魔法を撃たなきゃいけないんじゃない! なのに……最近は少し魔法を使っただけで、すぐに魔力切れ(ガス欠)して頭が割れそうになるし……!」

「二人とも、落ち着いて……っ。僕だって、ポーションの買いすぎでもう回復魔法の杖を修理するお金すらないんだ。このままじゃ、宿代だって払えなくなる……」


 治癒士のキアンが、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。

 彼らはここ数週間、Bランクはおろか、Cランクの討伐依頼ですら失敗を繰り返していた。

 レオンの剣はすぐに鈍り、ミラの魔法は威力が半減し、キアンの回復は追いつかない。武具の修理費と、新しい荷物持ちを雇う経費ばかりが嵩み、今や彼らはギルドに莫大な借金を抱える底辺へと転落していた。


「……全部、あのアッシュの代わりに入れた新しい荷物持ちのせいだ! あいつらが無能だから、俺たちのペースが狂っちまったんだ!」


 レオンは現実から目を背けるように、今日もまた他人のせいにした。

 だが、彼らがどれだけ言い訳を並べても、周囲の冒険者たちの冷ややかな視線は誤魔化せない。


『――おい、聞いたか? あの甲殻犀アーマー・ライノのつがい、たったの数時間で討伐されたらしいぞ』

『ああ、見たぜ。あの巨大な背甲を、魔法の詠唱もなしに正面から一直線にぶち抜いてた。ありゃあ、化け物の所業だ』

『討伐したのは、追放された無能ポーターと、動けない盾、それに神眼のパーティーだろ? 一体どんな手を使えば……』


 ギルド内で最近持ちきりの、ある「いびつなパーティー」の異常な快進撃の噂。

 その中心にいる人物の名前を耳にするたび、レオンたちはギリッと奥歯を噛み締めていた。


「アッシュ、アッシュ、アッシュ……! どいつもこいつも、あのただの歩く倉庫を持て囃しやがって! 俺たちがいなきゃ、迷宮で半日も生きられないようなゴミのくせに!」

「……でも、レオン。もしあの噂が本当なら……」


 ミラが、青ざめた顔でレオンを見つめる。


「アッシュがいた頃の私たち、一度だって武器が壊れたことなんてなかったじゃない。私の魔力だって、一日中尽きなかった。……ねえ、もしかして、私たちが強かったんじゃなくて……」

「黙れッ!!」


 レオンがテーブルを蹴り飛ばす。だが、その瞳の奥には、認めたくない決定的な「事実」に対する恐怖が確かに揺らいでいた。


 ◆


 ギルドの入り口が開き、外の眩しい陽光と共に、三人の冒険者が入ってきた。

 真新しい革の防具を身につけた少年。その背中を護るように歩く、巨大な黒鋼の大盾を背負った少女。そして、興味深そうに万華鏡の瞳を輝かせている眼帯の少女。

 アッシュ、アイリス、ルナの三人だった。


「アッシュ君、今回の報酬、すごい額だったね! これなら、バランさんのところでまた新しい魔鉄を買えそう!」

「ああ。アイリスの盾のメンテナンス費用も十分に足りるよ。ルナも、魔力ポーションの予備を買っておこうか」

「ふふん、アッシュがいれば私はポーションなんて不味いもの飲まなくて済むもんね!」


 笑い合う三人の姿は、今のレオンたちとは対極の、希望と自信に満ち溢れていた。

 その姿を見た瞬間、レオンの中で何かが弾けた。彼はフラフラと立ち上がり、アッシュたちの前へと歩み寄った。


「……ア、アッシュ」


 突然声をかけられ、アッシュが足を止める。

 かつて彼を見下し、迷宮の奥底に置き去りにした元リーダーの姿を見て、アッシュの表情は驚くほど静かだった。怒りも、恨みも、哀れみすら浮かんでいない。ただの石ころを見るような、無機質な視線。


「……何か用かい、レオン」

「お前……最近、運良くCランクの依頼をいくつかこなしてるらしいな。その変な女二人と」


 レオンは無理に口角を引き上げ、かつてのような傲慢な態度を取り繕おうとした。


「お前も、こんな足手まといの女たちと組んで苦労してるだろ? どうだ、特別に俺たちのパーティーに戻してやってもいいぞ。今なら、また俺たちの荷物持ちとして……」

「断るよ」


 アッシュの言葉は、氷のように冷たく、そして即答だった。


「なっ……! お前、自分がどれだけ恩知らずなこと言ってるか分かって……!」

「恩? 君たちに受けた恩なんて、何一つないよ。逆に、僕が君たちに施していた『恩恵バフ』なら、山ほどあったけどね」


 アッシュが淡々と言い放つと、レオンの顔が怒りで朱に染まった。

 だが、アッシュは彼の怒鳴り声を制するように、一歩前へ出て、冷徹な事実ロジックだけを並べ立てた。


「君のそのボロボロの大剣。素材はただの粗悪な鉄だ。本来ならゴブリンの骨を斬っただけで刃こぼれする代物だよ。それが今まで折れなかったのは、僕が毎日、高密度の魔力を寸分の狂いもなく剣の分子の隙間にコーティングし続けて、強度を底上げしていたからだ」

「……は?」

「ミラの魔力が持っていたのも、僕が空気中の魔力を貯蔵し、彼女が魔法を撃つたびに背後から魔力を補填し続けていたからだ。キアンの杖の治癒力が安定していたのも同じ理由。……君たちがBランクに上がれたのは、君たちの才能じゃない。僕が一日中、休むことなく君たちの装備に魔力を注ぎ続けていたからだ。それが事実だよ」


 ギルドの中が、水を打ったように静まり返る。

 レオンたち三人は、息を呑んでアッシュを見つめていた。今まで自分たちが信じていた「強さ」が、ただの砂上の楼閣であったという残酷な事実を突きつけられ、言葉を失っている。


「嘘だ……! そんなこと、ただの荷物持ちのお前にできるわけが……!」

「現に、僕が抜けた後、君たちの武器は壊れ、依頼は失敗続きだろ? 僕には『神眼』なんてないけど、少し考えれば、結果がすべての理屈ロジックを証明しているじゃないか」


 アッシュは、震えるレオンの横を通り過ぎようとし――ふと足を止め、彼を見据えた。


「『ただの歩く倉庫』。それが、君たちが僕に下した評価だったね。……君たちこそ、僕の魔力がないとまともに剣も振れない、ただの『空っぽの操り人形』だったんじゃないのかい?」


 その言葉が、レオンたちの自尊心に最後のトドメを刺した。

 レオンはその場に膝から崩れ落ち、ミラは両手で顔を覆って泣き崩れた。

 彼らはもう、二度とアッシュに声をかけることはできないだろう。自分たちの無能さを、ギルド中の冒険者の前でこれ以上ないほど論理的に、残酷に証明されてしまったのだから。


「……アッシュ君、行こっか」


 アイリスが、そっとアッシュの袖を引く。

 ルナも、呆然と立ち尽くすレオンたちに完全に興味を失ったように、ふいと背を向けた。


「ああ、行こう。僕たちには、まだまだやらなきゃいけないことがあるからね」


 アッシュは一度も振り返ることなく、新しい、本当の仲間たちと共に歩き出す。

 胸を張ってギルドの扉を押し開ける三人の背中は、もう誰からも見下されることのない、本物の強者の風格を漂わせていた。


 ――だが。

 重い扉が閉まり、ざわめきが再び酒場に戻り始めた中。

 床に這いつくばったままのレオンは、ギリィッ……と、自身の歯が砕けそうなほどの力で奥歯を噛み締めていた。


「……ふざけ、るな」


 両手で顔を覆って泣き崩れるミラと、絶望に震えるキアンの横で、レオンの瞳に浮かんでいたのは、自身の無力さに対する反省や後悔ではなかった。

 己の実力を絶対に認めようとしない、どす黒く濁った『悪意』の炎だ。


「ただの荷物持ちのくせに……俺を、俺たちをコケにしやがって……!」


 床の木目を掻き毟る彼の爪が割れ、血が滲む。

 実力を直視できない肥大化したプライドは、行き場を失い、やがて最も醜い復讐心へと姿を変えていく。


「このまま終わらせるもんか……。絶対に、絶対に許さねえ。アッシュ、お前だけは……地獄の底に引きずり下ろしてやる……っ!」


 暗い酒場の床に這いつくばる元Bランクリーダーのそのどす黒い怨念が、やがて強大な権力者を巻き込み、アッシュたちを本物の『死地』へと突き落とす最悪の引き金となることを――この時のアッシュたちは、まだ知る由もなかった。

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