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第6話:神眼の狙撃手と、崩れない城塞

 翌日の夕刻。太陽が地平線に半分ほど身を沈め、空が血のような赤と深い藍色に二分される頃。

 僕たちは再び、王都近郊の『牙の荒野』に足を踏み入れていた。

 赤茶けた奇岩が刃のように天を突き刺すこの荒野は、日中こそ乾いた風が吹き荒れているが、日が落ちると同時に不気味なほどの静寂に包まれる。

 昨日、僕たちを死地へと追いやったCランク魔獣『影豹シャドウ・パンサー』の群れは、今もこの岩場のどこかに潜み、新たな獲物を求めて徘徊しているはずだ。


「……来たよ、二人とも」


 最後尾を歩いていたルナが、ふわりと足を止めて声を上げた。

 彼女の右目は眼帯で覆われているが、見開かれた左の『神眼』は、万華鏡のような幾何学模様を絶え間なく回転させながら、夕闇の中で妖しく発光している。


「数は十二。昨日キミたちを逃したから、今日は絶対に仕留めるつもりみたい。……もう、完全に包囲されてるよ」


 ルナの言葉通りだった。四方八方にそびえ立つ岩の上、あるいは巨大な岩の影から、闇に溶け込む漆黒の獣たちが音もなく這い出てくる。

 しなやかで強靭な筋肉。獲物を引き裂くための鋭い爪。そして、僕たちを「弱り切った餌」として値踏みする真っ赤な双眸。

 昨日であれば、この絶望的な包囲網を前に足がすくんでいただろう。だが、今の僕たちには明確な『眼』がある。


「アッシュ、これ……本当に大丈夫なんだよね?」


 ルナが、僕から渡された『魔力を限界まで圧縮した石ころ』を両手でギュッと握りしめながら、少しだけ不安そうに呟いた。

 無理もない。彼女の神眼は、起動した瞬間に常人なら気絶するほどの魔力を貪り食う。だが、今の彼女の手の中にある石(外部バッテリー)からは、僕がこれまで荷物持ちとして貯蔵してきた膨大で純度の高い魔力が、途切れることなく彼女の体へと流れ込み続けている。

「安心して。僕の【貯蔵】空間には、まだ前衛三人分の武器を一日中強化し続けられるだけの魔力ストックがある。君の防具にも魔力を付与してる。どれだけ神眼を開きっぱなしにしても、絶対にガス欠にはさせない」

「……ふふっ、そっか。なんだか、背中にあったかくて大きな泉が繋がってるみたい。これなら、いける……!」


 ルナの左瞳の回転が、一段と速度を上げた。

 彼女の視界には今、風の流れる向き、影豹たちの筋肉の収縮、重心の移動、その全てが『明確な矢印ベクトル』として可視化されているはずだ。


「アイリス、前へ!」

「うんっ……!」


 僕の指示に呼応し、アイリスが一歩前へ踏み出し、自身の背丈よりも大きな黒鋼の大盾を地面に突き立てた。

 その瞬間、彼女の足元から尋常ではない密度の魔力が地中へと深く、太く根を張っていくのが見えた。岩盤を貫き、大地そのものとアイリスの体を一体化させる異常な魔法。

 絶対に崩れない、不動の城塞の完成だ。


「アッシュ君。私、今日は一歩も、一ミリも引かないからね!」


 アイリスの悲壮感のない、力強い宣言。

 それを合図にしたかのように、岩場から三頭の影豹が一斉に跳躍した。

 黒い弾丸のような異常な俊敏性。空気を裂く鋭い風切り音と共に、三方向から同時にアイリスの死角を抉ろうと爪が迫る。

 だが、ルナの神眼はそれを完全に捉えていた。


「アイリス、正面からの二頭は無視して! そいつらはフェイント! 本当の狙いは右斜め上からの三頭目、首筋を狙ってくる!」

「わかった……っ!」


 アイリスは正面から迫る二頭の影豹の爪を、あえて大盾の端で滑らせるようにいなし、本命である右斜め上からの強烈な飛びかかりに対して、盾の最も分厚い中心部分を叩きつけた。

 ガギィンッ!!!

 耳をつんざく激しい金属音が荒野に鳴り響く。

 完璧なタイミングでの防御。影豹の凶悪な爪は黒鋼の表面で虚しく火花を散らし、強烈な突進の威力がアイリスの盾を直撃する。

 僕はすかさずアイリスの小さな背中に右手を当て、盾越しに伝わってくるその『運動エネルギー』を、【貯蔵】空間へと一滴残らず吸い上げた。

 アイリスへの負担はゼロ。そして僕の手元には、極上の推進力(火薬)が装填される。


「ルナ、次は!?」

「アッシュ、左斜め前、岩と岩の隙間! 四秒後にあそこから別の個体が飛んでくる! 狙いはアイリスの左足!」

「了解!」


 四秒後。

 それは、僕が大砲の準備をするのに完璧な時間だった。

 僕はルナの言葉に一切の疑いを持たず、左斜め前の『何もない空間』に向かって右手を真っ直ぐに突き出した。

 ポーチから取り出した手頃な石ころに自身の魔力を限界まで圧縮し、石の内側からの強度を極限まで高める。薄いガラスのコップに煮えたぎる熱湯を注ぐような、ヒリヒリとした極限のコントロール。

 赤熱した光が石の表面を覆い、ジリジリと空気が焦げる匂いが漂う。石が自壊するギリギリの極限点。そこに、さきほどアイリス越しに吸い上げたばかりの『運動エネルギー』を、前方への推進力として一気に付与する。

 視線の先にはまだ、影豹の姿はない。

 だが、僕にはルナの『神眼』がついている。


出力リリースッ!!」


 ズドォォンッ!!

 空気が破裂するような凄まじい轟音と共に、僕の手から不可視の砲弾が撃ち出された。

 直後――岩の隙間から這い出し、アイリスの左足を狙って低い姿勢で飛び出してきた影豹の顔面に、僕の放った石の大砲が『自ら当たりにいく』ような形で、寸分の狂いもなく直撃した。


「ギャァァッ!?」


 断末魔の悲鳴すら一瞬だった。

 空中で頭部を粉砕された影豹の巨体は、そのまま後ろへ錐揉み回転しながら吹き飛び、光の粒子となって消滅する。


「え……?」


 盾の裏で、アイリスが目を丸くして息を呑んだ。

 昨日、どれだけ撃っても掠りすらしなかった素早い敵が、まるで吸い込まれるように僕の攻撃の軌道へと飛び込んできたからだ。


「すごいすごい! アッシュ、キミのその大砲、威力が本当にイカれてるね! 次は真後ろ、二匹同時に岩壁を蹴って急降下してくる! 予測着弾地点、三秒後!」

「アイリス、真後ろからの衝撃に備えてくれ! 僕が二秒で撃ち落とす!」


 ルナの神眼が、戦場のあらゆるベクトルを読み切り、敵の未来位置を完璧に予測する。

 アイリスの絶対防御が、僕とルナを敵の死角からの猛攻から完全に守り抜く。

 そして僕が、防いだ衝撃を弾薬に変え、ルナの指示通りに数秒の溜めを経て大砲を放つ。

 ズドンッ! ズドンッ!!

 鼓膜を揺らす轟音が荒野に響くたびに、漆黒の獣たちが次々と空中でひしゃげ、粉砕されていく。

 影豹たちからすれば、悪夢を見ているようだっただろう。自分たちが全速力で移動する『未来の場所』に、あらかじめ致死の砲弾が待ち構えているのだ。避けることなど不可能。それはもはや戦闘ではなく、圧倒的な一方蹂躙だった。


「残り三匹……あ、群れが崩壊した。逃げようとしてる! 右奥の岩山に向かって、五秒後!」

「逃がさない」


 僕は弾薬となるエネルギーをさらに限界まで圧縮し、逃走を図る影豹たちの未来位置へと、立て続けに三発の砲弾を見舞った。

 最後の土煙が夜風に流されて晴れた後、牙の荒野には、不気味なほどの静寂だけが残されていた。

 十二頭のCランク魔獣の群れ。それを僕たちは、ただの一発も被弾することなく、完全勝利で終わらせたのだ。


「……終わった」


 僕が深く息を吐き出すと、アイリスが安堵の息を漏らしてへたりと地面に座り込んだ。

 そして、最後尾にいたルナが、歓声を上げて僕の背中に飛びついてきた。


「やったー! やったよアッシュ! 私、戦闘中に一度も気絶しなかったの初めて! キミの魔力バッテリー、本当に最高!」

「君の神眼のおかげだよ、ルナ。アイリスも、完璧な防御だった」


 僕が二人に労いの言葉をかけると、いびつな才能を持つ少女たちは、顔を見合わせて最高の笑顔を咲かせた。

(……勝てる。この三人なら、Bランクだろうと、Aランクだろうと)

 攻撃できない盾。燃費最悪の神眼。そして、準備に時間がかかる大砲。

 一つ一つは他のパーティーから見捨てられた欠陥品ポンコツだ。だが、僕たちが背中を預け合い、互いの弱点をカバーし合った時、そのシナジーは他のどんな優秀な冒険者をも凌駕する。

 僕は自分の泥だらけの手のひらを見つめ、強く握りしめた。

 あの暗い迷宮で出会った、白銀の少女。彼女の隣に立つという無謀な約束が、決して叶わない夢ではなくなったと、確かな手応えを感じていた。


 ――ただ、課題がないわけではない。

 僕は足元に転がっていた、ひび割れて黒焦げになった石ころの残骸を見つめた。

 僕の魔力圧縮の熱と、運動エネルギーの衝撃に耐えきれず、撃ち出した瞬間に石そのものがボロボロに崩れ去っている。今はCランクの魔獣だからこれで通じているが、この先、BランクやAランクの理不尽な防御力を持つ魔獣を相手にするなら、その辺の石ころを砲弾にするのには明確な限界があった。

(もっと頑丈で、僕の魔力を完璧に伝導する『特別な弾丸』が必要だ)

 王都には一人だけ、底辺の僕の顔馴染みである凄腕のドワーフの鍛冶屋がいる。

 明日は彼――バランの工房を訪ねよう。

 最強のパーティーへと至るための、次なる一歩を踏み出すために。

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