第4話:不動の盾と、崩壊するBランク
王都から北へ半日ほど歩いた場所に広がる『迷いの森』。
鬱蒼と茂る木々が陽の光を遮り、常に薄暗いこの森で、僕とアイリスはパーティーを組んで初めての実戦に臨んでいた。
「……来るよ、アイリス。構えて」
「うんっ……!」
僕の警告とほぼ同時だった。
数十メートル先の太い樹木が、まるで小枝のようにバキバキと薙ぎ倒され、分厚い土煙と共に巨大な影が姿を現した。
「グルォォォォォォッ!!」
大気を震わせる咆哮。獣特有の生臭い息の匂いが風に乗って鼻を突く。
現れたのは、Cランク魔獣『装甲熊』。
全身を岩のように硬く分厚い骨の鎧で覆われた、巨大な熊だ。その突進力は凄まじく、並の剣士が受ければ一撃で全身の骨を砕かれ、ミンチに変えられるほどの凶悪さで知られている。
真っ赤に血走った目が僕たちを捉え、装甲熊が大地を蹴った。
ズシン、ズシンと、一歩踏み出すごとに地面が揺れる。まるで意思を持った巨大な岩石が、猛スピードで転がってくるような圧倒的なプレッシャー。
「アイリス!」
「任せて……!」
アイリスが前に出た。
自身の背丈よりも大きな黒鋼の大盾を両手で構え、地面にしっかりと足を踏ん張る。華奢な彼女の体が、巨大な盾の陰にすっぽりと隠れた。
ドォォォォォォンッ!!!
すさまじい衝突音が森に響き渡り、爆発的な衝撃波が周囲の草木を吹き飛ばした。
装甲熊の凶悪な突進がアイリスの盾に真正面から激突し、彼女の足元の地面が衝撃に耐えきれずにクレーターのように抉れ飛ぶ。
防ぎきれる質量じゃない。僕は思わず息を呑んだ。
だが――土煙が晴れた後、僕は自分の目を疑った。
「……嘘だろ」
アイリスは、一歩も、ただの数ミリすらも後ろに下がっていなかったのだ。
巨大な魔獣の全力の突進を受け止めて、彼女は顔をしかめることすらせず、その場に完全な姿勢で立ち尽くしている。
(……間違いない。ただの膂力や体幹じゃない)
彼女の足元。そこから、尋常ではない密度の魔力が地面の奥深くまで、まるで大樹が根を張るように深く、強く流れているのが見えた。
アイリスの才能は、敵の攻撃を力で受け止めることじゃない。自身の体と盾を、空間そのものに完全に『固定』する能力だろう。
「アッシュ君……! 私は絶対に大丈夫だから! 今のうちにっ!」
盾の向こう側で、装甲熊が苛立ちの咆哮を上げ、今度は丸太のような剛腕で何度も何度も大盾を殴りつけ始めた。ガンッ! ガンッ! と鐘を鳴らすような轟音が響く。
アイリスは微動だにしない。だが、盾を支える彼女の細い腕には、確実にすさまじい負荷が蓄積しているはずだ。
「……アイリス、少しだけ君の背中に触れるよ」
僕は彼女のすぐ背後にピタリと身を寄せ、その小さな背中にそっと右手のひらを当てた。
「えっ……アッシュ、君?」
「君の盾越しに、あの熊の攻撃の『衝撃』だけを僕が吸い取る。君はそのまま、絶対に動かない盾でいてくれ」
僕は背中越しにアイリスの盾へと意識を繋ぎ、【貯蔵】のスキルを行使した。
ガンッ! と装甲熊の豪腕が盾を殴りつけた瞬間、アイリスの体を突き抜けようとした凶悪な運動エネルギーだけが、僕の右手を経由してスッと貯蔵庫へと吸い込まれていく。
一撃、二撃、三撃。
熊が力任せに盾を殴るたびに、アイリスへの負担は消え去り、代わりに僕のスキル空間には『装甲熊のすさまじい運動エネルギー』が弾薬としてみるみるストックされていった。
(これだ。これならいける……!)
アイリスという絶対に崩れない壁が、敵の猛攻を安全に受け止める。僕がその後ろから、敵の攻撃エネルギーを無力化しながら弾薬として奪い取る。
最高のシナジーだ。
「もう十分だ。アイリス、少し手を離すよ!」
僕は彼女の背中から手を離し、足元に転がっていた手頃な石ころを拾い上げた。
採石場での特訓を思い出す。
薄いガラスのコップに熱湯を注ぐような極限の繊細さで、石の中に自身の魔力を限界まで圧縮し、内側からの強度を極限まで高める。
赤熱した光が石の表面を覆い、ジリジリと空気が焦げるような匂いが漂う。
石が自壊するギリギリの極限点。
僕は岩壁を貫く一発の砲弾を強烈にイメージし、さきほどアイリス越しに吸い取ったばかりの『装甲熊の運動エネルギー』を、全て推進力として石に付与した。
「出力……ッ!」
ズドンッ!!
空気が破裂するような、耳をつんざく轟音。
不可視の砲身から放たれた石ころは、一直線に空気を切り裂き、いまだ盾を殴り続けていた装甲熊の胸元へと直撃した。
分厚い骨の鎧が、まるで薄い紙切れのように易々とへこみ、砕け散る。
直後、熊の巨体は背中側から大きく爆ぜ、断末魔の悲鳴を上げる間もなく光の粒子となって森の奥へと吹き飛んでいった。
「……すごい」
アイリスが盾から顔を出し、静まり返った森と、大きく抉れた地面を見つめていた。
「すごいのは君だよ、アイリス。君の盾がなきゃ、僕の攻撃は準備する前に潰されてたし、弾薬だって手に入らなかった。……本当に、君のおかげだ」
僕が心からの称賛を送ると、アイリスは信じられないような顔で自分の盾を見つめ、やがて――今日一番の、花が咲くような笑顔を見せた。
「よかったぁ……! 私、アッシュ君の役に立てたんだね!」
攻撃できない盾の少女と、元荷物持ち。
見下されてきた二人のいびつな才能が完璧に噛み合い、誰も止めることのできない最強のパーティーが産声を上げた瞬間だった。
◆
一方その頃。地下迷宮の浅い階層では、苛立ちに満ちた怒声が響き渡っていた。
「クソッ、なんでだ!? なんでこんなに剣が重いんだよ!!」
Bランク冒険者のレオンは、息を切らし、顔を泥だらけにしながら大剣を振り回していた。
相手はCランクの魔獣、オーク。いつもならあくびをしながらでも一刀両断できるはずの雑魚だ。だが、今の彼の剣はオークの棍棒に容易く弾かれ、ひどく鈍い音を立てている。腕の筋肉は悲鳴を上げ、足取りは鉛のように重かった。
「ミラ! さっさと魔法で援護しろ!」
「やってるわよ! でも、なんだか魔力の練りが遅いの! いつもならもっと早く詠唱できるはずなのに……っ!」
後衛のミラも、額にべっとりと汗を浮かべて焦燥していた。放たれた炎の魔法はいつもより一回り小さく、オークの分厚い皮膚を表面だけ焦がす程度にしかならない。
治癒士のキアンに至っては、前衛二人の被弾が増えたことで回復魔法のペースが全く追いつかず、完全にパニックに陥って杖を取り落としていた。
「おい、そこのノロマ!! さっさと魔力回復薬を出せ!!」
レオンが血走った目で、最後尾にいる大柄な男――アッシュをクビにした後、新しく雇った荷物持ち――を怒鳴りつける。
「ひぃっ! は、はいぃっ!!」
怯えた荷物持ちが慌てて巨大な背負い袋を下ろし、中をガサゴソと漁る。だが、整理されていない荷物の中からポーションの小瓶を見つけ出すのには致命的な時間がかかった。虚空から瞬時に指定されたアイテムを取り出していたアッシュの【貯蔵】スキルとは比べ物にならない遅さだ。
「チィッ! どいつもこいつも使えねぇ! アッシュの代わりに入れたこの新しい荷物持ちのせいだ! こいつがトロいせいで、俺たちのテンポまで狂ってやがる!!」
レオンは苛立たしげに吐き捨てた。
彼らは気づいていない。
自分たちの剣が重いのも、魔法の威力が落ちているのも、回復が追いつかないのも、新しい荷物持ちのせいではない。
今までアッシュが彼らの武器から防具に至るまで、あらゆるものに密かに付与していた『別添の魔力』が完全に霧散し、彼らが本来の――Cランク程度、もしくはそれ以下の――実力に戻ってしまっただけだということに。
「おい引くぞ! 今日のところは俺の体調が悪いだけだ! 態勢を立て直す!」
かつて迷宮を意気揚々と歩いていたBランクパーティーは、ただのCランク魔獣一匹から、這々の体で無様に逃げ出すハメになっていた。




