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第20話:王都の甘い休息と、這い寄る過去の亡霊

 ギルド総本部から大通りを少し歩いた先に、その店はあった。

 白煉瓦で作られた外壁に、緑豊かなつたが美しく絡まるお洒落なカフェ。扉を開けると、カランと澄んだベルの音が鳴り、鼻をくすぐるような焼きたての小麦と甘い果実の香りが僕たちを包み込んだ。

 ステンドグラスから差し込む柔らかな陽光。磨き上げられたアンティーク調の丸テーブル。

 王都の特権階級や裕福な商人たちが優雅な午後を過ごすその空間は、血と泥に塗れた迷宮の底とは文字通り『別の世界』だった。


「わあぁ……っ! アッシュ、見て! ケーキが宝石みたいにキラキラしてるよ!」

「本当だね……。こんなに綺麗な食べ物、私、絵本の中でしか見たことないや」


 ショーケースに並んだ色とりどりのフルーツタルトや、真っ白なクリームが乗ったシフォンケーキを前に、ルナとアイリスが子供のように目を輝かせている。

 迷宮都市では、干し肉と固い黒パン、あるいは匂いのキツい魔獣の串焼きが日常だった。彼女たちがこんな風に年相応の少女らしく、甘いお菓子に心を躍らせる姿を見られる日が来るなんて。

 それだけで、命を懸けて這い上がってきた甲斐があったと心から思えた。


「ふふっ。好きなものを頼んでいいからね。今日は私のお祝いだから」


 傷だらけの銀色の鎧を少しだけガチャリと鳴らしながら、シルヴィアさんが優しく微笑む。

 やがて運ばれてきた紅茶と数種類のケーキを前に、僕たちのささやかな祝勝会が始まった。


「ん〜〜〜っ! 甘くてほっぺたが落ちちゃいそう!」

「すごく美味しいです、シルヴィアさん。……アッシュ君も、あーん」

「えっ、い、いや、僕は自分で食べるから大丈夫だってば」


 隣に座るアイリスが、フォークで切り分けたタルトを僕の口元に運んでくる。向かいの席に座るシルヴィアさんが、その様子を少しからかうような、けれど本当に嬉しそうな瞳で見守っていた。


「仲が良いんだね。……アッシュ君が、ちゃんと誰かを信頼して、背中を預けられる仲間を見つけられて、本当によかった」


 香り高い紅茶のカップを両手で包み込みながら、シルヴィアさんが目を細める。

 僕は照れ隠しに自分のケーキを一口食べ、真っ直ぐに彼女の目を見返した。


「二人のおかげです。ルナの神眼がなければ、敵の急所や魔法の死角は見えなかった。アイリスの絶対に折れない大盾がなければ、僕らは攻撃の前に魔獣の爪で引き裂かれていた。……僕の力なんて、ただの引き金に過ぎません」

「そんなことないよ! アッシュの完璧な戦術があったから、私たちは生きてるんだもん!」

「はい。アッシュ君の計算は、どんな時でも私たちの命を繋ぐ道標でした」


 僕の言葉を遮るように、ルナとアイリスが力強く反論する。

 シルヴィアさんは楽しそうに小さく笑い、ふと、その瞳の奥にSランク冒険者としての鋭く静かな光を宿した。


「……ギルドで聞いたよ。『迷宮の暴君』の討伐内容。バルバロス辺境伯の話と一緒に王都まで話が来てね」


 彼女の視線が、アイリスの背後に立てかけられた分厚い盾や、アイリスの輝く左眼へと注がれる。


「アッシュ君。君たちが提出したAランクの魔石は、紛れもない実力の証明だよ。ギルドマスターの推薦状もあるし、私もあなた達の昇格を推薦しようと思ってるから、ギルドも君たちの特例昇格を無下にはできないと思う。……ただ、一つだけ厄介な手続きがあるんだよね」

「手続き、ですか?」

「ああ。王都のギルドは、迷宮都市よりも遥かに『権力』と『派閥』が入り組んでいる。特に、飛び級でのAランク昇格となれば、ギルドの判断だけでなく、国や貴族への【公開演習デモンストレーション】が必要になるんだ」


 シルヴィアさんの言葉に、僕は小さく頷いた。

 なるほど、理解できる。Aランクという称号は、単なる強さの証明ではない。国境を越えて影響力を持つ、一種の『特権階級』の証だ。それを、どこの馬の骨とも知れない平民の子供三人が手にするとなれば、面白くないと思う権力者は山ほどいるだろう。


「数日後、王都の巨大闘技場で、君たちの実力を証明するための昇格試験が行われるはず。……おそらく、王都のエリートや貴族たちが大勢見物に来る。嫌がらせに近い、理不尽な課題を押し付けられる可能性も高い」


 シルヴィアさんは心配そうに眉をひそめた。Sランクである彼女ですら、王都の貴族たちの腐敗したやり口には辟易しているのだろう。

 だが、僕は一切の動揺を見せることなく、静かに紅茶を飲み干した。


「問題ありません。どれだけ理不尽な課題でも、今の僕たちなら乗り越えられる気がするんです」

「ふふっ。……そうだね。今の君たちなら、どんな壁でも越えられる気がするよ」


 僕の迷いのない返答に、シルヴィアさんは安堵したように微笑んだ。

 甘いケーキと温かい紅茶。憧れの人からの、確かな信頼。

 王都に来て初めて味わう、心からの安らぎの時間だった。


――しかし。

 その穏やかな空気は、カフェの扉を開けて外の通りへと出た瞬間に、最悪の形でひび割れることになった。


「いやはや。どこかで嗅いだことのある下水臭いネズミの匂いがすると思えば……。まさか、こんな華やかな王都の大通りで、見すぼらしいゴミ屑と再会するとは思わなかったよ」


 背後から投げかけられた、鼓膜を直接引っ掻くような、ひどく粘着質で耳障りな男の声。

 僕はゆっくりと、声のした方へ振り返る。

 初夏の日差しが降り注ぐ石畳の通りに、数人の取り巻きを引き連れた一人の男が立っていた。

 金糸の刺繍が施された純白の特注マント。太陽の光を嫌味なほどに反射する、金とミスリルで鍛えられた豪奢な鎧。

 しかし、その顔に浮かぶ歪んだ嘲笑の形だけは、暗く冷たい迷宮の底で僕を見下ろしていた時と、何一つ変わっていなかった。


「……レオン」


 僕の口からこぼれた名前に、男――かつて僕を『欠陥品』と呼び、迷宮の奥深くでパーティーから追放した剣士、レオンは、不快なほどに口角を吊り上げた。


「奇遇だな、アッシュ。お前が迷宮の主を倒したって話で迷宮都市はもちきりだ。お前みたいなカスが倒せるわけないだろ?どうせ姑息な手段を使ったか、ほかの冒険者の手柄を横取りしたかどっちかだろう?相変わらず底辺のお前が考えそうな卑怯なことだ」


 レオンの言葉に、彼の背後に控えていた質の良さそうなローブを着た貴族風の冒険者たちが、下品な笑い声を上げた。


「……アッシュ。なんでこいつが王都にいるの?」

「アッシュ君を悪くいうのは許さないですよ…!」


 ルナが不快そうに眉をひそめてレオンを睨み、アイリスがレオンと僕の間に割り込むように立ち塞がる。

 僕がかつて受けた仕打ちを知っているからこそ、自分のことのように怒り、僕を庇うように盾となってくれようとしていた。その二人の小さな背中が、たまらなく頼もしく、そして温かかった。


「……心配しなくていいよ、二人とも」


 僕は二人を優しく制し、感情を一切乱すことなく、冷徹な視線で目の前の男の『実力』を量った。


「僕に何か用、レオン。それより、なんで一人で王都に?ほかのメンバーは?」

「はっ! あんな泥臭い田舎街、俺のような選ばれた天才がいつまでもいる場所じゃないからな」


 僕の問いに、レオンは自慢げにふんぞり返った。


「俺の力に目をつけたヴァレリウス侯爵閣下が、直々に俺を王都へスカウトしてくださったのさ。俺だけにだ!だからあんな雑魚どもとはおさらばして、今は閣下のお抱え剣士として、最高級の待遇で優雅にやらせてもらっている。命がけで泥水すする迷宮探索なんて、お前たちみたいな底辺に任せておけばいい」


(……なるほど。そういうことか)

 彼の言葉を聞いて、僕はすべてを理解した。

 彼はスカウトされたと言っているが、実態は違うだろう。僕という戦術の要(引き金)を失ったレオンのパーティーは、迷宮の奥層でまともに戦果を上げられなくなったはずだ。彼自身一応Bランク冒険者という肩書きはある。それを使って彼の得意な嘘で王都の貴族派閥にすり寄り、本当の『死線』から逃げ出したのだ。

 身に纏っている装備は一級品だが、その表面にはかすり傷一つついていない。足幅は狭く、重心は浮き上がっている。

 今の僕から見れば、目の前で吠えているこの男は、驚くほどちっぽけで、空っぽの存在にしか見えなかった。


「だったらもう道が交わることも無さそうだね。道を空けてくれる?僕たちはこれから、昇格試験の準備があるからさ」

「はっ! 昇格試験だと?」


 僕の淡々とした態度が気に食わなかったのか、レオンは顔を醜く歪め、大げさに肩をすくめてみせた。


「……身の程知らずにもほどがある。お前のような欠陥品を、この王都の貴族の方々が認めるわけがないだろう!」

「……事実をどう受け取るかは、君の自由だけど」

「減らず口を叩くのも今のうちだ。侯爵閣下は、お前たちのような平民の詐欺師をひどく不快に思っておられる。……数日後の公開演習。閣下の力添えで、お前たちには『極上の対戦相手』が用意されることになっているぞ。せいぜい、無様に泣き叫んで命乞いをする準備でもしておくんだな」


 レオンは、自分の力ではなく背後にいる貴族の威光を自慢するように、勝ち誇った笑みを浮かべた。

 僕が彼らの下劣な挑発にどう反論しようかと、思考を巡らせようとした、まさにその時だった。


「――あのさ」


 静かに、けれど周囲の空気を一瞬で凍らせるような、絶対的な威圧感を孕んだ声が響いた。

 僕の背後から、銀色の髪を揺らしたシルヴィアさんが、ゆっくりと一歩前に出た。


「……あん? なんだお前は。俺は今、この薄汚い詐欺師どもに王都のルールを教えて――」


 不満げに振り返ったレオンの言葉が、途中でピタリと止まった。

 彼も冒険者の端くれだ。目の前に立つ女性が放つ、尋常ではない魔力の圧と、全身の毛穴が粟立つような『圧倒的な強者の気配』に、動物的な本能が警鐘を鳴らしたのだろう。


「この三人は私もAランクに推薦してるんだけど」


 シルヴィアさんは剣の柄には手をかけなかった。ただ、無表情のまま、冷ややかな瞳でレオンを見下ろした。それだけで、初夏の日差しが降り注ぐ大通りが一瞬にして極寒の雪山に変わったかのような錯覚に陥る。


「彼らを悪く言うならそれは私の問題にもなってくるよ。だって私は彼らの推薦人の1人だからさ」


 王国最高峰、Sランク冒険者が放つ本物の殺気。

 レオンの顔から血の気が完全に引き、ガチガチと歯の根が合わない音を立て始めた。取り巻きの貴族たちに至っては、恐怖のあまり腰を抜かしかけている。


「あ、あ、あなたは……Sランクの……っ!? ひっ、し、失礼いたしました……っ! お、おい! 行くぞお前ら!!」


 レオンは顔面を蒼白に引き攣らせると、捨て台詞を吐く余裕すらなく、取り巻きを突き飛ばすようにして逃げ出していった。

 そのひどく無様で滑稽な背中が見えなくなるまで、僕たちはただ無言で立ち尽くしていた。


「……ふぅ。ごめんね、アッシュ君。せっかくの美味しいケーキの後に、嫌なものを見せちゃったね」


 レオンたちの姿が見えなくなった瞬間、シルヴィアさんは先ほどの絶対零度の圧力を嘘のように消し去り、いつもの温かい笑顔で振り返った。

 僕は小さく息を吐き、首を横に振った。


「いえ……ありがとうございます、シルヴィアさん」

「いいんだよ。でも、彼の言う通り……試験の日は、彼を裏で操る貴族たちが結託して、君たちを潰すためにとんでもない相手を押し付けてくるかもしれない。絶対に油断しないで」


 真剣な眼差しで忠告してくれる彼女に、僕は強く頷いた。

 王都の権力。貴族の悪意。そして、他人の力に縋ってふんぞり返る過去の亡霊。

 彼らがどんな理不尽な罠を仕掛けてこようと、僕たちのやるべきことは何一つ変わらない。

 魔鉄に込められた運動エネルギーが、すべての虚飾を撃ち抜く。


「大丈夫です。……全部まとめて、完膚なきまでに叩き潰します」


 王都の腐りきった常識を根底からひっくり返すための、最高の舞台。

 僕は高く澄み渡った青空を見上げながら、数日後の『公開演習』に向けて、冷たく静かな闘志を燃やしていた。

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