第19話:二度目の邂逅と、変わらない憧れ
「――ちょっと待って! なんでギルド内でこんな魔力が!?」
静まり返ったギルドのエントランスに、よく通る凛とした声が響いた。
カチャカチャと銀色の鎧を激しく鳴らしながら、奥の階段を駆け下りてくる長身の女性。
先ほどまで僕たちを嘲笑っていた王都のエリートたちが、その姿を見るなり、まるで潮が引くように慌てて道を空けていく。誰もが畏怖と尊敬の眼差しを向ける中、彼女は周囲の視線など一切気にする素振りも見せず、エントランスの中央へと飛び出してきた。
長く美しい銀色の髪が、シャンデリアの光を反射してサラサラと揺れる。
腰に提げた長大な宝剣。そして何より目を引くのは、その身に纏った銀色の鎧だった。王都のエリートたちのような見せかけの綺麗な装飾など一つもない。無数の魔獣の爪痕や、酸の飛沫による変色、過酷な最前線で命を懸けて戦い抜いてきた証が深く刻み込まれた、本物の冒険者の鎧。
王国最高峰に君臨する、数少ない『Sランク』冒険者。
そして僕にとっては、かつてあのどん底の迷宮の中で命を救ってくれた、たった一人の恩人。
「アッシュ、君……?」
僕の姿を視界に捉えた瞬間、彼女は大きく目を見開いた。
エントランスを小走りで抜け、僕の目の前でピタリと立ち止まる。その瞳には、信じられないものを見るような驚きと、隠しきれない歓喜の色が浮かんでいた。
「嘘……本当に、あの時の……」
「……お久しぶりです、シルヴィア先輩。あの時の約束通り、先輩に追いつくために王都へ来ました」
緊張でカラカラに乾いた喉から、なんとか言葉を絞り出す。なんと呼べばいいかわからず、同業として先輩呼びだ。
たった一度、死の淵から救い出してもらった時に交わした短い言葉。彼女のような頂点に立つ人間からすれば、数多く助けてきた新人の中の、ただの戯言に聞こえたかもしれない。
だが、シルヴィアは張り詰めていた表情を一気に崩し、心底ホッとしたような、ひどく美しくて優しい微笑みを浮かべた。
「……本当に、ここまで登ってきたんだね。王都まで無事に辿り着いてくれて、すごく嬉しいよ」
彼女はそっと手を伸ばし、僕の使い込まれた革鎧の肩口に軽く触れた。
過剰な接触はない。だが、その一度の柔らかなタッチだけで、彼女が僕の無事をどれほど喜んでくれているかが、痛いほどに伝わってきた。
「怪我はない? 迷宮都市から王都までの道のりも、大変だったでしょう」
「大丈夫です。僕一人の力じゃありませんから。……あの、紹介します。僕の大切なパーティーメンバーの、ルナとアイリスです。二人には、迷宮で何度も助けられました」
僕が後ろを振り返ると、ルナとアイリスが、ガチガチに緊張した面持ちで一歩前に出た。
無理もない。僕が「命を救ってくれた目標の人がいる」と語っていた、その張本人であり、冒険者の頂点に立つSランクなのだ。
「は、初めましてっ! ルナって言います! アッシュから命を救ってくれた恩人だって聞いてました!」
「アイリスと申します。アッシュ君の目標になっている方にお会いできて、本当に光栄です」
ルナがローブの裾をギュッと握りしめながらお辞儀をし、アイリスも巨大な盾を背負ったまま深々と頭を下げる。
二人の真っ直ぐで不器用な挨拶を聞いて、シルヴィア先輩は少しだけ照れくさそうに頬を掻いた。
「そんな風に言ってくれてたんだ……ちょっと気恥しいけど、ありがとう、ルナちゃん、アイリスちゃん。私がシルヴィアだよ。よろしくね」
「「よろしくお願いします!!」」
彼女が手を出したのを見て、ルナとアイリスが慌てて手を握る。
僕の大切な仲間と、僕の憧れの人が、こうして言葉を交わしている。
その光景がたまらなく嬉しくて、僕は胸の奥が熱くなるのを抑えきれなかった。
「……それで、アッシュ君。きっとあなたが持ってきたあれだけど」
シルヴィア先輩が、ふと後ろを振り返る。その視線は、大理石のカウンターに置かれたままの、ドス黒い光を放つ『迷宮の暴君』の魔石へと向けられていた。
Sランクである彼女なら、その魔石がどれほど異常なものか、一瞬で理解できるはずだ。
「Aランクの迷宮主の討伐。……正直、最初は自分の目を疑ったよ。ベテランのパーティーでも全滅するような化け物を、君たち三人だけで倒してきたなんて」
「ギリギリの戦いでした。僕の能力と、ルナの目、それにアイリスの盾が、奇跡的に上手く噛み合っただけで」
「そんな謙遜はいらないよ。迷宮で生き残ることに、偶然なんてない。君たちが極限の死線の中で、正しい選択を取り続けた結果だよ」
彼女はきっぱりと言い切り、改めて真っ直ぐに僕の目を見つめてきた。
かつての迷宮で僕を救ってくれた時のような、ただ庇護するような目ではない。同じ死線を越えてきた、一人の『冒険者』として認めてくれている目だ。
「アッシュ君。君たちはもう、私が心配するようなルーキーじゃない。本当に、見違えるほど強くなったね」
「シルヴィア先輩……」
「やだなあ。だからもう、『先輩』なんて似合わないよ」
彼女はふわりと笑い、少し悪戯っぽく小首を傾げた。
「君たちもAランクの領域に足を踏み入れたんだから、これからは同じ高みを目指す対等な仲間として……『シルヴィア』って、名前で呼んでくれないかな?」
ドクン、と。僕の心臓が大きく跳ねた。
雲の上の存在だと思っていた人に、名前で呼んでほしいと言われる日が来るなんて。
頭の中の思考回路が一瞬だけ真っ白になる。唾を飲み込み、僕はなんとか震える声で口を開いた。
「……はい。シ、シルヴィア……さん」
「ふふっ。最初は『さん』付けで妥協してあげる!」
照れて目を逸らした僕を見て、シルヴィアさんは声を立てて笑った。その屈託のない笑顔は、王都のどんな装飾よりも眩しく見えた。
「よしっ! それじゃあ、三人の無事な到着と大金星を祝って、今日は私のおごり! ギルドの近くにすごく美味しいケーキを出してくれるカフェがあるんだよ。さあ、ついてきて!」
シルヴィアさんはパッと明るい表情を咲かせ、自信満々に長い銀髪を揺らして歩き出した。
相変わらず、落ち込んでいる暇など与えてくれない、太陽のように前を歩いてくれる人だ。
僕たち三人も顔を見合わせて笑い合い、急いで彼女の背中を追いかけた。
「あ、あの……シルヴィアさん」
「ん? どうしたの、アッシュ君。遠慮しなくていいからね、今日は好きなだけケーキ食べていいから!」
「いえ、おごってくれるのはすごく嬉しいんですが……そっち、『冷蔵保管庫』って書いてません?」
「えっ」
ピタッ、と。
自信満々に先陣を切っていた彼女の足が、不自然なほどピタリと止まった。
彼女はゆっくりと首を巡らせて、目の前の『関係者以外立入禁止・要魔力認証』と書かれた極厚の鉄扉と、僕たちの顔を交互に見比べた。
「あ、ああ〜っ! ごめんごめん、ちょっと、次受けるクエストの考え事してて! カフェは反対側の出口だったね、こっちこっち!」
顔を真っ赤にして両手を振り回し、誤魔化しながら、今度こそ正しい大通りの出口の方へ小走りで向かうシルヴィアさん。
最前線では一切の隙もない完璧なSランク冒険者なのに、方向音痴なのだろうか。
「ふふっ。シルヴィアさん、私たちが先導しますね。カフェはあの光が差している方の出口ですよね?」
「ルナの言う通りです。さあ、シルヴィアさん、こちらへ」
「うう……Sランクなのに、再会して五分で後輩たちに道案内されるなんて……」
ルナとアイリスが微笑ましながら少し前を歩き、その後にシルヴィアさんが恥ずかしそうに続く。
その光景が可笑しくて、僕は思わず吹き出してしまった。
彼女たちの後を追いながら、僕はギルドの重厚な扉を抜け、王都の眩しい青空の下へと踏み出した。
この巨大な街には、先ほどのエリートたちのような、悪意や見下す視線が山のように溢れているだろう。これから先、もっと理不尽な壁が僕たちの前に立ち塞がるかもしれない。
けれど、この人がいてくれるなら。
かつて僕を救ってくれた、この少し抜けているけれど誰よりも温かい背中と一緒に歩んでいけるなら、どんな高い壁だって、僕たちの力で必ず越えてみせる。
僕たちの王都での本当の戦いは、この温かく優しい時間から始まるのだと、胸の奥で静かに、けれど絶対に揺るがない決意を固めた。




