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第17話:巨大都市と、田舎者たちの王都見物

「……大きい」


 王都の巨大な正門をくぐった瞬間、ルナがポツリと漏らしたその一言が、僕たち三人の抱いた感想のすべてだった。

 空を覆い隠すほどに高くそびえ立つ、純白の城壁。

 足元には、迷宮都市にありがちな泥濘ぬかるみや獣の糞など一切なく、寸分の狂いもなく切り出された滑らかな石畳が地平の先まで続いている。大通りは、装飾の施された馬車が横に五台並んでも余裕ですれ違えるほどの広さがあった。

 道行く人々の服装は、僕たちのような血と泥と魔獣の体液に塗れたくすんだ麻布や革鎧ではない。赤や青、鮮やかな染料で彩られた上質な絹の服を纏い、誰もが余裕のある微笑みを浮かべて歩いている。

 さらには、頭上の青空を『浮遊魔法』の術式を刻み込んだ豪華な小型船が、優雅に音もなく滑っていくのが見えた。


「ア、アッシュ! 見て見て! あそこの街灯、火が入ってないのに光ってるよ!?」

「本当だね……。迷宮都市の街灯って、獣の脂の匂いがして、いつもすすけてたのに」


 万華鏡の瞳をキラキラと輝かせて右へ左へと飛び跳ねるルナの指差す先を見て、アイリスも感嘆の声を漏らした。

 二人の言う通りだ。迷宮都市の照明設備といえば、下級の火炎石を燃やすか、安価な魔獣の油を使うのが関の山だった。だから夜の街は常に鼻を突く脂の匂いが漂い、光も不安定で薄暗かった。

 しかし、等間隔に並ぶ王都の街灯は、根本的な構造からして次元が違った。


「あれは……炎を燃やしているんじゃない。魔力石を組み込んだ『恒久型』の魔導具だ」

「恒久型?」

「ああ。支柱そのものに精緻な魔力回路クラフトが何重にも刻まれていて、大気中に漂う微量な魔力を自動で吸い上げて、光のエネルギーに還元しているんだ。燃料の補充という概念がない、完全なメンテナンスフリー。おまけにあの光量だ……。一体、街灯一つにどれだけの国家予算が投じられているんだ?」


 僕が思わず構造の分析とコスト計算に没頭していると、アイリスがふと、通り沿いの巨大なショーウィンドウの前で足を止めた。

 分厚い透明なガラスの向こうには、最高級のレースとフリルがあしらわれた、まるで妖精が着るような美しいドレスが飾られている。

 アイリスはそのドレスと、ガラスに映る『傷だらけの巨大な大盾を背負い、使い古された胸当てを着た自分の姿』を見比べ、少しだけ恥ずかしそうに視線を伏せた。


「……なんだか、私たち、すごく場違いな所に来ちゃったみたいだね」

「そんなことないよ、アイリス」

 僕は彼女の隣に立ち、その分厚い大盾を軽く叩いた。

「この盾についた傷は、迷宮の死線から僕たちを守り抜いてくれた誇りだ。王都の綺麗なドレスより、よっぽど価値がある」

「アッシュ君……。ふふっ、ありがとう」


 僕の言葉に、アイリスはいつもの柔らかな微笑みを取り戻した。

 迷宮の暗闇と、辺境伯の理不尽な重圧からようやく解放された僕たちは、すっかりおのぼりさん気分で王都の景色に圧倒されていた。

(……それにしても、すごいな。迷宮都市の防壁とは桁違いだ)

 僕は改めて、空を覆う純白の城壁を見上げた。

 ただ分厚いだけじゃない。石と石の間に継ぎ目が一切なく、表面を覆う不可視の魔力障壁が完璧に隙間を埋めている。

 これでは、今の僕が持てる最大火力の大砲を撃ち込んだとしても、貫通はおろかかすり傷一つが精一杯だろう。王都の建築技術は、僕の想像を遥かに超えていた。


「アッシュ君? なんだか真剣な顔して、城壁を睨みつけてるけど……」

「いや。王都の壁は本当に隙がないなって、感心してただけだよ」


 無意識のうちに建物の『破壊手順』を探してしまう自分の職業病に苦笑し、僕は思考を切り替えた。

 ここは最前線の過酷な迷宮都市ではない。国の中枢であり、最も安全で、最も華やかな王都なのだから。

 ぐぅぅぅぅ……。

 その時、僕の思考を遮るように、ルナのお腹からまったく華やかではない音が鳴り響いた。


「あはは……。なんだか安心したら、急にお腹空いちゃった」

「そういえば、朝から野営用の干し肉しか食べてなかったね。せっかくだから、王都の食事、何か食べてみようか」


 アイリスの提案に、僕も頷く。

 ちょうどいい具合に、大通りの端から、香ばしく肉を焼く匂いが漂ってきていた。分厚い肉の塊に、スパイスの効いた甘辛いタレをたっぷりと塗って炭火で焼いた、冒険者御用達の『赤ボアの串焼き』の屋台だ。

 肉の焼ける暴力的な匂いと、脂が炭に落ちて弾ける音に、僕たちの胃袋は完全に掴まれた。


「おじさん、これ三本ください。迷宮都市だと一本五十ゴールドだったから、百五十ゴールドで――」

「あ? なに言ってんだ、田舎もんの坊主。ここは王都のメインストリートだぞ。一本五百ゴールド、三本で千五百ゴールドだ!」

「…………は?」

 屋台の親父が突きつけてきた値段に、僕の思考ロジックは完全にフリーズした。

「ご、五百ゴールド!? 迷宮都市の十倍じゃないか! いくらなんでもぼったくり……」

「ばーか、王都の地価と物価を舐めんな。これでも良心的な方だぜ。お前らみたいな貧乏くさいガキに出す肉はねぇ。金がねぇなら冷やかしはお断りだ!」


 シッシッ、と汚い犬でも追い払うように手を振られる。

 僕は慌てて財布の中身を確認した。迷宮から生還し、ボルグさんから路銀はもらったが、この物価の高さは完全に計算外だ。これからの宿代や装備の修繕費を考えると、ここで千五百ゴールドを消費するのは戦術的に大きな悪手と言わざるを得ない。


「アッシュ、どうする……? 私、我慢できるよ?」

「私も大丈夫。干し肉、まだ残ってるしね」


 ルナとアイリスが、屋台の肉から名残惜しそうに視線を逸らしながら、無理に笑って見せた。

 かつて、レオンのパーティーで『欠陥品』と罵られ、残飯のような食事しか与えられなかった日々。そこから這い上がり、命がけでAランク魔獣を討伐して、やっとの思いで辿り着いた憧れの王都。

 ここで彼女たちに、ひもじい思いなんて絶対にさせたくない。


「……おじさん。一本だけ、一番大きいのをください」


 僕は五百ゴールド硬貨を一枚、カウンターに叩きつけるように置いた。

 数分後。

 大通りの片隅にある石造りのベンチで、僕たちは一本の巨大な串焼きを囲んでいた。


「ん〜〜〜っ! お肉すっごく柔らかい! タレも甘くて最高!」

「ふふっ、ルナちゃん、ほっぺたにタレがついてるよ。……うん、本当に美味しいね、アッシュ君」


 三人で仲良くお肉を分け合いながら、アイリスが満面の笑みを向けてくる。

 たった一本の串焼きを三人で分ける。端から見れば、王都の煌びやかな景色の中で、ひどくみすぼらしい底辺冒険者の姿に見えるかもしれない。

 だが、僕にとっては、彼女たちのこの笑顔を見られただけで、五百ゴールド以上の価値があった。


「……ああ。美味しいな」


 僕も最後の一口を頬張りながら、王都の青く澄み渡った空を見上げた。

 迷宮の陰湿な空気はない。背中を狙われるような悪意もない。ただ、温かい日差しと、隣で笑ってくれる二人の仲間がいるだけだ。


「さて。腹ごしらえも済んだし、そろそろ行こうか」

「うんっ! ついに『ギルド総本部』だね!」


 ルナが元気よく立ち上がり、アイリスも大きな盾を背負い直す。

 僕たちが見据える先には、王都の中心にそびえ立つ、巨大な剣と盾の紋章を掲げた白亜の建造物――『冒険者ギルド総本部』があった。

 僕たちの手元には、ボルグさんから預かった『特例昇格の推薦状』と、あのAランク魔獣の『魔石』がある。

 そして何より、あのギルドの中には、僕たちが絶対に隣に立つと誓った憧れの背中――シルヴィアがいるのだ。


「行こう。ここからが、僕たちの本当の始まりだ」


 僕たちは頷き合い、王都のど真ん中へと堂々たる一歩を踏み出した。

 田舎者の欠陥品パーティーが、この巨大な王都の常識を根底からひっくり返すことになるとは、この時の僕たちはまだ知る由もなかった。

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