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第16話:辺境伯の誤算と、荷物持ちの逆襲

 迷宮都市のギルド総本部。

 その最上階にあるギルドマスターの執務室で、バルバロス辺境伯は最高級のワイングラスを傾けながら、ひどく機嫌良さそうに下品な笑い声を上げていた。


「はっはっは! どうしたねボルグ、そんな葬式のような顔をして。もっと喜ばんか。私の権限で下した特務徴用令のおかげで、厄介な迷宮下層の安全調査が『無料タダ』で済んだのだぞ?」

「……あの三人は、まだ十代の若者だ。それに、下層は到底彼らのようなルーキーが立ち入っていい領域ではない。彼らは今頃……」

「今頃、魔獣の腹の中だろうな! だから素晴らしいのだ!」


 ギリッと奥歯を噛み締めるボルグさんを前に、辺境伯はぶくぶくと肥え太った腹を揺らして嘲笑した。


「高位の冒険者を雇えば金がかかる。だが、あんな底辺の欠陥品どもなら、死んだところで誰も文句は言わん。むしろ、無能が間引かれてギルドも清々しただろう? 彼らが死んだことで『下層には危険な魔獣がいた』という立派な調査結果が出た。あとは中央からの助成金をたっぷりと引き出し、適当な討伐隊を組むだけだ。大公爵家の威光を使った私の完璧な計画に、なんの不満がある?」

「……貴様は、冒険者の命をなんだと思っている」


 ボルグさんが堪えきれずに拳を握り込んだ、その瞬間だった。

 バァァァンッ!!

 重厚な魔鉄作りの扉が、蹴り破られるような勢いで乱暴に開け放たれた。


「な、なんだ貴様ら! 誰の許可を得てこの部屋に……ッ!?」


 激怒して立ち上がった辺境伯の顔面から、一瞬にしてすべての血の気が引いた。

 扉の前に立っていたのは、全身を泥とカビ、そして魔獣の緑色の体液でどす黒く染め上げた三人の少年少女。

 死の淵から這い上がってきた亡霊のような姿でありながら、その瞳の奥には、絶対に折れない刃のような鋭い光を宿した、僕、アイリス、ルナの三人だった。


「あ、アッシュ……! お前たち、生きて……っ!!」

「ご無沙汰しています、ボルグさん。そして……辺境伯様」


 ボルグさんの驚喜の声を背に受けながら、僕は静かに、ひどく冷たい声で辺境伯を射抜いた。

 満身創痍の体は軋み、一歩歩くごとに血の滴る音が絨毯を汚す。だが、僕の頭の中はかつてないほどに澄み渡っていた。


「ば、馬鹿な……! なぜ貴様らのような底辺が生きている!? 下層にはCランク以上の魔獣がうごめいているはずだぞ!」

「ええ、その通りです。ですから、しっかりと『安全調査』を完遂してきましたよ。……これを、見てください」


 僕はポーチから、布に包んだ『それ』を取り出し、辺境伯が座る執務机の上にゴトンッ! と重い音を立てて無造作に叩きつけた。


「な……っ、なんだ、これは……!?」


 布が解け、姿を現した巨大な魔石。

 部屋の空気が一瞬で凍りついた。それは、通常の魔獣の魔石とは次元が違う、おぞましいほどの濃密な魔力を放ち、脈打つように禍々しい光を放っていた。


「……ま、間違いない。これは『迷宮の暴君ラビリンス・タイラント』……! 何十年も前に討伐されたはずの、Aランク相当の迷宮の主の魔石だ……っ! お前たち、まさかこれを三人で……!?」


 歴戦の冒険者であるボルグさんが、信じられないものを見るように震える声で鑑定を下す。

 その言葉に、辺境伯はパニックを起こしたように後退りし、机の上のワイングラスを床に叩き落として割った。


「で、でたらめだ! 貴様らのようなゴミにAランクが倒せるはずがない! どこかで拾ってきた偽物に決まっている!」

「偽物かどうかは、ギルドの鑑定を通せばすぐに証明されます。……それよりも、辺境伯様。あなたのサインが入ったこの『特務徴用令』の書類について、お聞きしたい」


 僕は血に汚れた手で、あの日突きつけられた羊皮紙を魔石の横に並べた。


「あなたは僕たちに『安全な下層の調査』として徴用令を出しました。しかし、そこには国に未報告のAランク魔獣が巣食っていた。これは、領地を預かる貴族としての『致命的な危機管理の怠慢』です。さらに、実力に見合わないルーキーを強制的に危険地帯へ送ったことは、『虚偽の報告による冒険者の謀殺未遂』に他ならない」

「な、なにを……っ」

「このAランクの魔石という『動かぬ証拠』と、あなたのサイン入り書類を王都の査問委員会に提出すれば……虎の威を借るための大公爵家も、あなたという泥を被るわけにはいかない。間違いなく、トカゲの尻尾切りに遭うでしょうね。あなたの爵位と首は、一体どうなるでしょうか?」


 辺境伯は額から滝のような冷や汗を流し、唇を紫色に震わせた。大貴族としての余裕など完全に消え失せ、ただの惨めな小悪党の顔がそこにあった。


「き、貴様ぁぁぁっ! 黙れ黙れ黙れ! 底辺のゴミが、私を脅す気か!」


 恐怖と屈辱で顔を真っ赤にした辺境伯が、ついに腰の装飾剣に手をかけようとした、その時だった。


「――その書類、確かに見届けたぞ。辺境伯」


 執務室の開け放たれた扉の向こうから、低く、絶対的な威厳を持った声が響いた。

 室内に足を踏み入れたのは、漆黒の外套に身を包んだ、恐ろしく隙のない白髪の初老の男性だった。その胸には、辺境伯が威張るために使っていたのと同じ、いや、それよりもさらに権威のある『大公爵家・筆頭当主』の紋章が輝いていた。

 背後には、王家直属の完全武装の近衛兵たちが控えている。


「お、大公爵閣下……ッ!?」


 その顔を見た瞬間、辺境伯は膝から崩れ落ち、無様なカエルのように床に這いつくばった。

 辺境伯が後ろ盾にしていた権力の頂点その人が、なぜこんな辺境のギルドにいるのか。


「最近、我が家の名を騙り、辺境で不審な特務徴用令が乱発されているという黒い噂を耳にしてな。私腹を肥やす愚か者がいると内偵を進め、直接視察に来てみれば……なるほど。冒険者を謀殺し、さらにはAランク魔獣の報告すら怠っていたとはな。バルバロス」

「ち、違います閣下! これは誤解で……こ、このゴミ共が勝手に……!」

「黙れ。動かぬ証拠はそこにある。我が一族の顔に泥を塗った罪、万死に値するぞ」


 大公爵の静かな、しかし絶対的な怒気を孕んだ一言に、辺境伯はひぃっ! と情けない悲鳴を上げて床に頭を擦り付けた。


「お、お許しを……! な、なんでもします! 財産も、領地もすべて返上いたします! ですから、命だけは……命だけはお助けください……っ!」


 権力を笠に着てふんぞり返っていた男の、あまりにも無様で滑稽な命乞い。

 それを見下ろしながら、大公爵は冷酷に宣告した。


「安心しろ、命までは奪わん。……バルバロス。貴様に『特務徴用令』を言い渡す」

「……え?」


 辺境伯が、間の抜けた声を上げる。


「貴様の爵位と全財産を没収し、一介の兵卒へと降格する。その上で、現在魔獣の大軍と交戦中の『北の最前線』へ向かえ。護衛はつけん。自らの足で歩き、自らの手で魔獣と戦い、国のためにその身を捧げてこい」

「ほ、北の最前線!? あ、あそこは生還率が……ま、待ってください! 剣も振ったことのない私がそんな死地に行けば、確実に魔獣の餌に……!!」

「それがどうした? 貴様がこの少年たちにやったことと、全く同じことだろう?」


 大公爵の冷徹な一撃に、辺境伯は白目を剥いて完全に硬直した。

 自分が安全圏から放っていた「死の宣告」が、そのままそっくり自分に返ってきたのだ。絶対に逆らえない、自分が笠に着ていた『上位の権力』の手によって。


「連れて行け。二度とその汚い顔を私の前に見せるな」

「いやだ! 放せ! 私はバルバロス辺境伯だぞ! 誰か、誰か助けてくれェェェェェッ!!」


 大公爵の近衛兵たちに両腕を掴まれ、辺境伯は床に爪を立てながら、無様な泣き叫び声を上げて執務室から引きずり出されていった。

 権力を盾に人を弄んだ男の、あまりにも惨めな末路だった。


「……見事だったぞ、少年。貴様らの持ち帰った情報と証拠がなければ、あの愚か者を完璧に裁くことはできなかった」

「……いえ。僕たちは、ただ生きて帰ってきただけです」


 大公爵からの労いの言葉に、僕は静かに頭を下げた。

 僕たちは権力になんて興味はない。ただ、理不尽に踏みにじられるのはもうご免だっただけだ。


「アッシュ、お前たち……本当によく生きて……」


 大公爵が去った後、ボルグさんが目を潤ませて歩み寄り、泥だらけの僕たち三人を、汚れなど一切気にせずに力強く抱きしめてくれた。その分厚い腕の温もりに、僕たちはようやく、迷宮から本当に生還できたのだと実感し、全身の力がスッと抜けていくのを感じた。

 ルナが堪えきれずに泣きじゃくり、アイリスも安堵の涙をこぼしながらボルグさんの背中にしがみつく。


「ギルド本部は、お前たちのAランク討伐の功績を正式に認める。これで、お前たちを縛るものは何一つない。……アッシュ、アイリス、ルナ。ギルドマスター権限で、お前たちのパーティーの特例昇格を中央へ推薦しよう」

「特例、昇格……」

「ああ。準備ができたら、王都へ行け。そこが、お前たちが次に挑むべき、本当の舞台だ」


 ボルグさんの言葉に、僕とアイリス、そしてルナは顔を見合わせ、泥だらけの顔で笑い合った。

 底辺の荷物持ちだった僕たちの、理不尽に対する逆襲が完了した。

 僕たちはもう、誰の影にも隠れない。

 僕のロジックと大砲、アイリスの絶対防御、ルナの神眼。三人で一つになれば、どんな壁だって打ち砕ける。

 次なる舞台は、すべての冒険者が憧れる中心地、王都。

 そこには、傷だらけの鎧を纏い、いつだってストイックに泥臭く先頭を走っていた、僕たちの憧れのAランク冒険者――シルヴィアがいる。

 彼女の隣に立つという約束を果たすため。

 僕たち三人の本当の冒険が、ここから幕を開けるのだ。

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