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第1話:底辺の荷物持ちと、白銀

 地下迷宮の空気は、吐き気がするほど停滞している。

 カビの胞子と、魔獣の排泄物、そして安物の鉄錆の匂い。吸い込むたびに肺の奥が重くなるような感覚を覚えながら、僕――アッシュは、泥だらけのブーツを引きずって歩いていた。


「おいノロマ! さっさとポーションを出せ! パーティーのタンクである俺様を待たせる気か!」


 前方で大剣を担いだ男、レオンが苛立たしげに吐き捨てる。


「……はい、中級ポーション。ついでに予備の業物も出しておくよ」


 僕は虚空に手をかざし、自身のスキルである【貯蔵】の空間から、指定された小瓶と剣を取り出した。


「次の階層は甲殻系が多いから剣も渡しておくよ。今の君の剣、刃こぼれが酷いから」

「チッ、荷物持ちの分際で俺に指図すんな。お前はただの『歩く倉庫』なんだからよ」


 レオンは僕の手から剣をひったくり、ポーションを乱暴に喉へ流し込む。

 その様子を後ろで見ていた魔術師のミラが、露骨に顔をしかめて鼻をつまんだ。


「ちょっと、あんまり近づかないでくれる? アンタのその底辺の匂いがうつりそうで吐き気がするわ。……ほら、私の魔力回復薬もさっさと出しなさい。グズグズしてると置いていくわよ」

「やれやれ、ミラも彼にあまりキツく言わないでやってくれ。戦闘の才能を持たずに生まれた可哀想な『道具』なんだから。彼だって、荷物を出し入れすることくらいしかこの世界で生きていく価値がないんだ」


 治癒士のキアンが、哀れむような笑みを浮かべて肩をすくめる。

 僕は無言で、指示された薬を彼らに手渡した。

 ――無能。道具。歩く倉庫。

 彼らが吐き出す蔑称を、僕はただ静かに聞き流す。そんな言葉にいちいち傷ついている余裕なんて、この過酷な迷宮にはない。

 彼らは自分たちの圧倒的な才能でBランクにまで登り詰めたと信じ込んでいる。

 だが、事実は違う。

 僕が【貯蔵】のスキルを応用し、日常生活や迷宮探索時に貯蔵した空気中の魔力をあらかじめ彼らの武器や防具に込めて戦闘能力を底上げしているから、彼らは本来の自分の適正ランク以上の魔獣を圧倒できると考えているだけだ。

 僕が魔力供給してなかったらCランクの昇給試験でも苦戦してるはず。

(僕が裏でどれだけ支えてると思ってるんだ……。ペース配分もめちゃくちゃだし、次に群れに囲まれたら確実に崩れるぞ)

 彼ら、特にレオンは最近Bランクに昇級したこともありかなり天狗になっていると思う。迷宮の浅い階層で出てくる魔獣であれば遭遇してからでも圧倒できるため、今まで最低限していた索敵や迷宮の下調べなどもしなくなっていた。それは他のメンバーに対しても言えることで、迷宮に入るとしてもどこか怠慢さや傲慢さが目につくようになっていた。

 こんな扱いを受けているが、彼らの傲慢さのせいでパーティーが全滅するようなことがあっては死んでも死にきれない。僕だけは気を引き締めようと、頭の中で最悪の事態を予測しながら、自分たちの力で易々と魔獣を倒せていると勘違いしている彼らの背中についてただ黙々と歩き続けた。


 ――その『最悪の事態』は、警告もなくやってきた。

 ズズズズズ……ッ!

 突如、迷宮の壁が爆発したかのように吹き飛び、分厚い土煙の中から巨大な影が躍り出た。

 全身を硬い岩の鱗で覆い、四つの赤い眼をぎらつかせた大蛇。周囲の空気が一瞬で凍りつくような、圧倒的なプレッシャー。


「なっ……なんでこんな浅い階層に、Aランクの『ロック・イーター』が!? 嘘だろ!!」


 さっきまで威張っていたレオンが、情けない悲鳴を上げて尻餅をつく。

 ミラは腰を抜かして顔面を蒼白にさせ、キアンは持っていた杖を放り出して真っ先に逃げ腰になった。

 大蛇が鎌首をもたげ、僕たちを獲物と認識して巨大な尾を振り上げた。あの質量が直撃すれば、人間なんて原型も留めないだろう。


「ひぃぃっ! おいノロマ! お前が囮になれ!!」


 レオンはあろうことか、僕の背中を全力で蹴り飛ばした。

 無防備だった僕は前に大きくつまずき、大蛇の目前へと放り出される。


「悪いわね無能! アンタの命で時間が稼げるなら本望でしょ!」

「神のご加護があらんことを!」


 三人のBランク冒険者たちは、僕を一瞥することもなく、我先にと通路の奥へと逃げ出していく。

 遠ざかる足音。僕の頭上に、死の影が覆いかぶさる。

(……逃げ道はない。僕自身の身体能力じゃ躱しきれない)

 時間が、ひどくゆっくりと流れているように感じた。

 僕は迫り来る大蛇の尾に向かって、自身の右腕を突き出す。

 戦闘には役に立たないと考えていた【貯蔵】のスキル。

 だが、もしこのスキルが無機物や空気中の魔力だけではなく、飛んでくる「運動エネルギー」や「衝撃」そのものを一瞬だけでも貯蔵できるとしたら?

(解釈の範囲を広げろ。やるしかない。衝撃が触れる瞬間に、スキルを最大出力で――)

 僕が一か八かの賭けに出ようとした、その時だった。


 ――キィンッ、と。

 カビと鉄錆の匂いが充満する迷宮の空気を、完全に凍らせるような澄んだ音が響いた。

 世界が、真っ白に染まる。

 圧倒的な魔力を帯びた、一振りの『白銀の剣閃』。

 僕を押し潰そうとしていた巨大なAランク魔獣が、悲鳴を上げる間もなく、空間ごと斜めにズレて両断された。


「……はぁ、やっと追いついた。こんな浅い階層まで逃げられちゃうなんて、私もまだまだだなぁ」


 砂埃が晴れたそこに立っていたのは、一人の少女だった。

 月光を編み込んだような白銀の長髪。星空を切り取ったような、深く澄んだ蒼い瞳。

 一切の汚れを知らない、純白の騎士服に身を包んだ彼女は、この泥と血に塗れた迷宮にはあまりにも不釣り合いで……息を呑むほど、美しかった。

 僕でも知っている、世界最強の『Sランク』冒険者。

 【白銀の翼】、シルヴィア・ローゼンベルグ。

 討ち漏らした獲物を追ってここまで来たのか。

 呆然と尻餅をついたまま見上げる僕に向かって、彼女はそっと手を差し伸べた。


「大丈夫? キミ、仲間とはぐれちゃったの? 怪我はない?」


 その声は、鈴の音のように澄んでいた。

 僕は震える手で彼女の手を取る。驚くほど細く、柔らかい手だ。


「……ありがとう。助かりました」

「よかった。下の階層で私が仕留めそこねたせいで、怖い思いをさせちゃってごめんなさい。出口まで護衛するよ」


 彼女はふわりと笑って、両断した魔獣の死骸に背を向けた。

 その隙だらけに見える背中。

 だが、僕の目は、彼女の戦い方にある『いびつさ』を無意識に読み取っていた。

(……違う。隙じゃない。彼女の立ち回りには、そもそも『誰かに背中を預ける』という発想がないんだ)

 彼女の放ったあの一撃は、完璧すぎた。カバーに入る味方の存在を一切想定していない、最初から最後まで「自分一人で全てを終わらせる」ための太刀筋。

 誰も彼女に追いつけない。誰も彼女の隣で戦えない。

 世界最強という肩書きが作り出した、絶対的な『孤高』。

 彼女の笑顔はあんなに眩しいのに、その背中は、見ているこっちの胸が痛くなるほどに寂しそうだった。


 ――トクン、と。

 僕の心臓が、今まで経験したことのない大きな音を立てた。

 住む世界が違う。手の届くはずもない、見上げるだけの星。

 なのに僕は、今まで積み上げてきた理屈や警戒心を全部放り投げて、ただ純粋に「この背中を、一人ぼっちにしたくない」と強烈に思ってしまった。


「……あのさ」

「ん?」


 振り返った白銀の少女を、僕は真っ直ぐに見据えた。

 才能なんてない。力もない。ただの底辺だ。

 それでも、僕は。


「一目惚れしたんだ。……君の剣に。君の、その背中に」

「えっ……?」

「いつか必ず、僕が君の隣に立つ。……だから、君の背中は僕に守らせてほしい」


 それは、彼女が瞬殺したAランク魔獣に手も足も出なかった無力な少年による、あまりにも身の程知らずでバカげた告白。

 シルヴィアは目を丸くして、ポカンと口を開け――やがて、堪えきれないように吹き出した。


「……あははっ! 何それ。私に守られて尻餅ついてたのに、私の盾になるの?」

「今はね。でも、絶対に証明してみせる」


 大真面目に答える僕を見て、彼女は花が咲くように、今日一番の笑顔を見せた。


「ふふ、変な人。そっかじゃあ待ってるね」


 そう言って笑った彼女の顔は、この世界のどんな宝石よりも眩しかった。

 彼女からしたらそれは、彼女に憧れる幾多の人間から聞いてきた言葉だったかも知れない。それでも。


 これが、底辺の少年だった僕が、彼女の隣に立つために全てを覆していく――泥臭くて理不尽な反逆の始まりだった。

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