透明な約束
「突然のことですが、今日を持ちまして、須藤さんが引越しされました。みなさんには秘密にしてほしいとのことだったので、隠していました」
担任のその言葉に、クラスが騒然となった。
須藤美玲、目立つ方じゃないけど、可愛らしくて、はにかんだ笑顔が素敵だった。
私の、友達だった。
ホールルームが終わった後、クラスメイトが私に問いかけた。
「何か、知っている?」
私は首を横に振るしかなかった。
何も知らなかった。
1番の友達だと思っていたのは私だけだったんだろか。
そりゃあ友達にも言えないこと、いっぱいあるだろうけど。言えない事情があったんだと思う。……たぶん、私には言えないことが。
別れの挨拶くらい、させてよ。美玲の馬鹿。
そういえば、先週美玲に貸したリップをまだ返してもらってない。
もう永遠に返ってこないんだろうな。
あーあー。
…なんで、私に黙っていってしまったんだろう。
授業中もずっとそのことが頭から離れなくて、何も学習できなかった。
お昼ご飯は一人で食べた。いつも美玲と食べていたから。
そういえば、この昼休みに、リップを貸したな。
美玲に似合いそうな、新作のリップ。しかも3本も。3本もいらないから試して使ってみて、どれかあげるって言ったっけ。
自分用のリップを買いにいったのに、なぜか美玲のリップばかり選んでいる自分に気づいたときは、思わず苦笑しちゃった。
こんなことばかり、思い出しちゃうな。
帰り道、野球部の掛け声がやけにうるさくて、廊下のお喋りを聞きながら、一人で靴を履いて校舎を出た。
積乱雲が遠い空の彼方に見える。
暑すぎて蜃気楼みたく、視界が揺れた。
それでも綺麗だ。
日光に反射してギラギラ輝くこの世界を、綺麗だと思う。
貸してたリップは3本。どれも美玲に合った(と私は思っている)薄ピンクの新作だ。
真っ先に美玲に試して、やっぱり似合うね。えー、そうかな。
照れた顔が可愛かった。
もう遠くに引っ越して、会うことは奇跡でも起きない限りないけど。
貸した3本のリップが、きっと御守りになっているって信じている。
肩にかけたスクールバッグがやけに重い。
アスファルトの道が今日に限ってとても遠く感じる。
でも、信じている。
同じ空の下で、美玲も同じように歩いていることを。
リップ、使ってくれたら嬉しいな。
使うたびに私を思い出してね、なんて傲慢なこと言えないけどさ。
私は覚えているよ。貸したまま返ってこなかった、3本のリップのことを。
美玲、もう何も言えないけどさ、今までありがとうね。
涙が頬を伝って、地面に落ちた。すぐに蒸発するだろう。私の気持ちと同じように。
遠くの積乱雲がゴロゴロ音を立てる。
スコールが来る前に帰ろう。
そうやって半ば無理やり歩調を早めた。
空の涙が私の涙を隠す前に。




