間違って嫁いだ侯爵令嬢は辺境で幸せになる
https://www.cmoa.jp/title/1101452755/
加筆して電子書籍化しました!買ってねー(*゜▽゜)ノ
「私は間違えて君を娶ったのだ。本当は別の女性と結婚するはずだった」
と夫に言われた私の気持ちが分かるかしらね。
私はマリアンヌ・ユルビスティン・バンクエイム。現在はバンクエイム次期伯爵夫人です。つまり夫はバンクエイム次期伯爵。大柄で、短い茶色の髪と穏やかな灰色の瞳のせいでどことなく「草食のクマ」みたいに見えるこの方と結婚したのは一年前のことでした。
私はユルビスティン侯爵家に生まれました。四女として。
ユルビスティン侯爵家は名家ですけど、四女ともなるとあまり良い扱いは受けませんでしたよ。貴族令嬢は政略結婚の駒として重宝されると思われるかもしれませんけど、それも精々三女までです。
貴族の嫁入りにはお金が掛かりますからね。特に費用が掛かるのは持参金で、これは格上のお家に嫁ぐ場合には莫大な額になります。
ユルビスティン侯爵家の場合は一番上のお姉様が公爵家に嫁ぎまして、これはお家としては政略結婚大成功。お姉様にとっても玉の輿で言う事ないお話だったのですが、非常にお金が掛かりました。
そのせいで割を食ったのが妹達です。格上のお家に嫁ぐ事が出来ず、次姉は格下の侯爵家、三姉は伯爵家になんとか嫁ぎました。
最後に残ったのが私というわけです。四番目の私となると、最早お家の予算はすっからかん。とてもではないけど嫁には出せない、とお父様にさすがに申し訳なさそうに言われたものです。
それがどうしたわけか、バンクエイム伯爵家から指名で縁談の打診があり、結婚が決まったのです。私はずいぶん驚きましたよ。なんでも持参金は要らないとか、正式な結婚式は領地でやるとか、バンクエイム伯爵家からの申し出があったそうで、我が家の費用負担がかなり軽かったのだそうです。
そしてバンクエイム伯爵家は新興の地方伯爵家だけど、将来性はあるとお父様が判断した事が決め手になり、すっかり諦めていた私の嫁入りが決定したのでした。
急に決まった結婚ですけど、私は嬉しかったですよ。やっぱりお嫁に行きたいとは思っていましたしね。一時は結婚なんてすっかり諦めていましたから。
ですけど、バンクエイム伯爵家は地方貴族で、王都にお住まいではないというのが若干引っ掛かりました。貴族は王都で国王陛下にお仕えする中央貴族と、自分の領地に住んで滅多に王都に出てこない地方貴族の二種類があります。
バンクエイム伯爵家の領地は王国の南の外れ。辺境も辺境です。王都から馬車で一ヶ月も掛かります。私はそこに住まなければならないのです。ちなみに私は王都から出たことすらありません。
まぁ、仕方ないですね。バンクエイム伯爵家は以前からその地に領地を持っていたそうですけど、現伯爵が港を整備し商人を呼び込み、貿易を振興して領地を大きく発展させたのだそうです。
その功績で数年前に伯爵家の位を国王陛下から賜ったのだそうですね。ですからかなり新興の貴族なのです。それで中央貴族であるユルビスティン侯爵家との繋がりを欲して、私を嫁に迎えたのではないか、とお父様は推察していました。
私とバンクエイム次期伯爵、ルーズモド様の王都での結婚式は非常に簡素でした。それが結婚の条件だったのだから仕方がないのですけど、王都の小さな礼拝堂で、ほとんど我が家の家族だけしかいない式ですから、お姉さまの式と比べてしまった私はちょっとがっかりしましたね。特に長姉の時は公爵家との婚礼でしたから凄かったのですよ。
ほとんど我が家の家族だけ、と言いましたけど、バンクエイム伯爵家の方々はどうしたのかというと、これがほとんど誰も参列しなかったのです。
ルーズモド様の他は王都にいらっしゃるご親戚の方がお二人。それだけです。これには私もお父様もびっくりでした。ルーズモド様は大きな身体を屈めて申し訳なさそうに謝罪なさいました。
「変事に備えるために父も母も領地を留守に出来なかったのだ」
その代わりに領地での結婚式は盛大に行うからと仰いましたけど、そちらには今度は我が家の者たちが出られません。遠過ぎて。おあいこという事でしょうかね。
お話を伺うと、去年の今頃からルーズモド様だけが単身王都にいらっしゃって嫁探しをなさっていたのだとか。ですから遠過ぎて簡単にはご家族を呼べないということなのでしょうね。そして嫁を見付けたからには一刻も早く領地に帰らなければならないのだという事でした。
こうして私とルーズモド様は結婚して、わずか十日後には王都を離れたのでした。私は二十一歳。ルーズモド様は二十七歳の年でございました。
◇◇◇
王都からバンクエイム伯爵領までの道のりは、簡単に言えば「遠い」の一言に尽きましょう。一ヶ月。正確には四十日掛かりましたから。
王国は広いです。そして広いだけでなく変化に富んでいます。のどかな農村地帯が広がっているかと思えば、急峻な山脈を越える峠道があり、あるいは霧深い森や虫が飛び交う湿地、時には湖の上を船で渡る事もございましたよ。
私は王都育ちで王都から出た事もありませんでしたから驚きました。ただ、本で読んだ事がある場所や地域に来ると心が躍りましたね。
「あの大木が古の三英雄が会合を持った『アバナシアの木』では? その会合で王国の建国が決定されたのですよね!」
私が王国史の舞台を目にしてテンションを上げていると、ルーズモド様は目を白黒させていましたね。
「マリーは物知りなのだな」
「王国史には必ず出てくる逸話ですよ」
私は自分が結婚できないと思っていましたので、自分の食い扶持を稼ぐためにご令嬢相手の家庭教師をやろうと思っていたのです。貴族令嬢はさまざまな教育を受けますけど、ご令嬢を教える教師には嫁に行かなかった貴族令嬢がなる事も多いのです。
私は座学が得意でしたから、国語、外国語、歴史、地理、計算などをお父様に借りた本や王宮の図書館などで勉強していたのです。既に何件か親戚のご令嬢に教えた事もあったのですよ。
ですから地理にも詳しくて、道中ルーズモド様に色々と教えて差し上げました。ルーズモド様は海路には詳しいのだけど、内陸の事はほとんど知らないのだという事でしたね。
なにしろ一ヶ月です。毎日同じ馬車で揺られ、同じ宿に泊り、毎日いろんな話をするのですから、私はルーズモド様とずいぶん打ち解けました。
ルーズモド様は大柄ですけどおとなしい方で私の言うことを良く聞いて下さいます。王国中央や内陸の事には詳しくありませんが、逆に私の知らない海のことや外国の事を非常によく知っています。なんでも三年前まで何度も海を渡って外国に貿易に行っていたのだそうですよ。
お優しい方ですけど力持ちで、武勇にも優れているそうです。そして美男とは言えませんけど笑顔に愛嬌がある方です。私は道中ですっかりこの旦那様が気に入ってしまいました。
そうやって遥々旅をして、私たちはバンクエイム伯爵領にやってきたのでした。
◇◇◇
バンクエイム伯爵領は海沿いで、その領都であるアリーディアは大きな港町です。ルーズモド様のお父様であるカイモンド様が外国からの投資を呼び込むなどして港を整備して大きくし、一代で貿易を盛んにして街を富ませたのだ、という話でしたね。
そのアリーディアの街に入るといきなり大歓迎でした。
「おめでとう! 坊ちゃん!」「結婚おめでとう! 船長!」「これでお家も安泰だな! 団長!」
なんて声が街の人々から次々と掛かります。呼び方は違いますけど、全部ルーズモド様の事のようです。
後で聞きましたけど、バンクエイム家は元々はこの地の豪族、漁師の網元みたいな家系だったそうで、街の人にはその頃からの親戚も少なくないのだとか。そういう人たちはルーズモド様を「坊ちゃん」と呼びます。
で、ルーズモド様は貿易船の船長として何度も海を渡っていますから、元乗組員からも「船長」と慕われていて、更に街の防衛団の「団長」でもあるのでそういう呼ばれ方もあるのだそうです。
そんな訳でルーズモド様は街中の人から慕われておりまして、その彼の帰還に人々は大歓喜し、その結婚を熱烈に祝福してくれた訳です。もちろん、妻である私もです。
「おめでとう! よく来てくださいましたね!」「お幸せに! 坊ちゃんが悪さしたらとっちめてあげるから言いなさいね!」「お子が今から楽しみだわ!」
私の人生で一番の大歓迎だと言えましょうね。
歓呼の声が途切れないまま港に程近い伯爵家の屋敷に入ります。それほど大きなお屋敷ではありませんけど、石造りのしっかりした建物でしたね。
玄関の前には二人の方がお待ちでした。男女。おそらく伯爵と伯爵夫人でしょう。私は少しは緊張しましたよ。なにしろ義父と義母ですからね。幸せな結婚生活のためには義理の両親との関係は大事です。
しかし馬車を降りた私に伯爵夫妻は駆け寄ると、両手をしっかりと握ってこう叫んだのです。
「ようこそ来て下さった! ま、まさか侯爵家のご令嬢に嫁に来ていただけるとは!」
「こ、こんな田舎に! よろしかったのですか? な、何かの間違いでは!」
お二人とも目に涙さえ浮かべての大歓迎です。私はさすがに目を白黒させてしまいましたね。まさか伯爵夫妻にまでこんなに歓迎されるとは正直思っていませんでしたから。
お屋敷に招き入れられてからも、伯爵ご夫妻も使用人も私を下にも置かない扱いをして下さいました。その晩は縁戚の方や街の有力者などが招かれての大宴会が開かれまして、そこでも私は大波のような大歓迎に包まれたのでした。
単に到着しただけでもこれです。結婚式の日はすごい事になりましたよ。
結婚式の数日前からアリーディアの街は文字通りお祭り騒ぎ。路地や家々や、それどころか港の船さえも色とりどりに飾り立てられ、街の通りや広場には露店が立ち並びます。
人々は私とルーズモド様の名前を叫んでは乾杯しています。酔ってない人は街にいない有様でしたね。この酒は伯爵家が振る舞ったものと街の商人が自主的に供出したものが半々だという話でした。
私の結婚衣装は王都で着たのと同じものでしたけど、肩から掛けるケープと手に持つブーケは伯爵夫人と街の方々が用意してくださいました。ケープには繊細な刺繍が入り、ブーケは何種類もの花が組み込まれた心のこもったものでしたよ。
結婚式が行われる海の近くの礼拝堂は街全体から集まった人で十重二十重に囲まれていまして、馬車で近付くのも一苦労でした。着くまでに街の人々から一生分のおめでとうを捧げられました。
礼拝堂は伯爵家の一族の方が入りきらないくらいに(実際希望者全員は入りきらず、くじ引きを行ったそうです)詰め込まれていまして、私とルーズモド様が祭壇に立つとそれだけで皆様大号泣。厳粛さは失われましたけど、誰一人見せ掛けの祝福などしない、実に心温まるお式になりました。
式が終わって礼拝堂から出ると、なんと私とルーズモド様は輿に乗せられました。それを港の屈強な男たちが「わっしょい! わっしょい!」と掛け声を発しながら担ぎ上げると、街を練り歩き始めたのです。
輿の上の私たちに向けて祝福の言葉と花びらが降り注ぎます。視界が白く染まり空が見えないくらいです。誰もが私とルーズモド様の結婚を喜び、祝福してくれているのです。私はもう感動で声が出せないくらいでしたね。まさかこんな素晴らしい結婚式を挙げられるなんて。王都での寂しい結婚式を思えば夢のようでした。
こんな素敵な結婚式をしていただいた花嫁は、この広い王国といえども私だけだったでしょうね。
◇◇◇
こんな素晴らしい結婚式を挙げて頂いたのです。私の気合が入るのも当たり前の事でした。
私は次期伯爵夫人。つまり将来の領主夫人です。結婚式で私たちを一人残らず祝福してくれた、あの領民達を導く立場なのです。
あんなに私を歓迎してくれた人々を失望させる訳にはいきません。私は彼らの期待に応えられるような、立派な領主夫人にならなければなりません。
私は即座に猛勉強を始めました。まずはバンクエイム伯爵領についての勉強です。私は侍女に資料を用意するように頼み、何冊もの冊子を次々と読み込み始めました。
幸い、私は勉強は得意です。それほど掛からずバンクエイム伯爵領の主要な町や村、街道などは記憶できました。
続けてアリーディアの港から繋がる外国の事も勉強します。お義父様とルーズモド様が開拓した航路によって、なんと七つもの国と海路が繋がっていました。私はその諸国の特徴や人口、政治制度、特産品などを覚えていきます。
最後に、アリーディアの街を出入りする商人の一覧を記憶します。名前だけでなく資産や扱う商品の実績などもです。これも漏れのないように覚えていきます。
そうですね。頑張ったのですけど一ヶ月くらいは掛かってしまったでしょうか。結構な情報量でしたからね。やむを得ません。そして私はある晩餐の席でお義父様とルーズモド様に言いました。
「お義父様。ルーズモド様。私は、バンクエイム家が私をお嫁に迎えて下さった理由は、中央貴族と繋がりが欲しかったからだと認識しておりますが、間違っていませんでしょうか?」
私の突然の発言に、ルーズモド様はなぜか焦ったような表情をしていらっしゃいましたね。
「あ、ああ。そうだよ。しかしそれはだな……」
「良い選択をなさいました。私の実家であるユルビスティン侯爵家は商売に明るうございます。もっとも、帝都での商売だけでございますが」
私は持っていた紙を広げました。
「こちらをご覧下さい」
「? なんだいこれは?」
「帝都で不足しがちなもので、この地では容易に手に入るもの一覧です」
例えば南国由来の砂糖、オリーブオイル、綿などは、アリーディアではかなり豊富に手に入ります。しかしこれら王都では高級品なのです。
一方、王都では容易に手に入る毛皮や硬い木で作られた家具、あるいは西方から入ってくる蒸留酒や絹織物などは南方のこの辺ではかなり珍しいものになります。
これらを相互に王都とこの地で交換出来れば間違いなく大きな利益を生む事でしょう。私はお二人にそう提案いたしました。
しかし二人の反応は芳しくありません。
「ううむ、そのマリアンヌ。それはそうなのだが……」
お義父様が言い難そうに言いました。長年商売に携わって来たお義父様です。当然私の考えたような事は検討した事があるのでしょう。しかしそれは容易な事ではありません。なぜなら。
「マリー。王都はあまりに遠い。私たちが旅するだけでも四十日も掛かったではないか。大きな荷物を抱えたキャラバンが往復するとなると、どれくらいの日数が掛かるかなど想像も付かぬ」
そうなのです。私とルーズモド様が帰ってくる時は馬車二台で身軽でした。しかし商隊となれば数十台の馬車を連ね護衛の者まで引き連れる事になります。歩みは更に遅くなるでしょう。
そういう事を考えると、王都とアリーディアの間の交易は容易ではなく、これまでお義父様やルーズモド様が二の足を踏んでいたのも無理のない話なのです。それにお二人には内陸の知識が何もありませんでしたからね。
しかし私は頷くと、お二人の前に地図を広げました。
「確かに陸路を行けばその通りです。しかし王国には海路とは別にもう一つ水運があるのですよ」
王国は広大で領内には高い山脈もあり、そのために移動に非常に時間が掛かります。これを憂いた歴代の王様や政治家達は改善に力を尽くしてきました。その解決策の一つが運河です。
王都と王国の西の外れにある大都市、レルムの間には運河が流れています。この水運を使うと馬車よりも早く大量の貨物を運搬出来るのです。これのおかげで王都とレルムの交易が盛んになり、レルムは大きく栄えてるのでした。
「ふむ。その事は知らなかったな。しかし、その運河は南方には流れていないのだろう? 我が領にはあまり関係がないのではないか?」
ルーズモド様は首を傾げます。確かにレルムもアリーディアとは見当違いの場所、王国の西北にありますからね。しかし私は指でレルムから線を引きます。
「レルムの横を流れているこのマーズ河。これの源はアリーディアの北にあるエザンテ山脈です。そしてアリーディアの西に流れ込むベブゼ河はこちらの山から流れますが、ここで、マーズ河と比較的近い所を通るのです」
すでにお義父様もルーズモド様も頭がこんがらがっている気配がしますが無視します。結論はすぐそこです。
「ですからベブゼ河を遡り、ここでマーズ河に乗り換え、流れ降ってレルムに行き、そこから運河に入ればほぼ水路で王都に行くことが出来るのです」
「な、なんだと?」
途端にお義父様とルーズモド様の目の色が変わりました。さすがは優秀な商人でもあるお二人です。私の話の重要性に即座に気が付きました。何度も何度も地図を辿って私の話を確認しています。
「このルートを使えば日数が相当節約出来る上に、陸路よりも多くの荷物を一度に運べるようになるはずです。実際にはやってみないと分かりませんが」
物凄い遠回りになるのだけど、水路の方がスピードが速いですし、船の方が積載量が多いからそうなるのです。
「そして王都まで行けば、実家に繋がりがある商人に荷物を売ればいいだけです。更に北からやってくる荷物を積んで、また水路を通ってアリーディアに帰ってくれば……」
「う、うむ!」
お義父様が顔を真っ赤にして、怒ったような物凄い形相で立ち上がりました。
「な、なんという事だ! なぜこれに今まで気が付かなかった!」
お義父様は嘆きましたが、元々船乗りのお義父様は王国の内陸の事には詳しくないのだから仕方がありません。
「ルーズモド! 早速調査せよ!」
「分かりました! 父上!」
今にも走り出そうとするお二人を、私は止めます。
「お待ちください。調べるのならもう一つ調査して欲しい事があります」
「な、なんだと?」
私は地図の、ベブゼ河とマーズ河が接近するポイントを示します。
「どうせならここに運河を掘ってしまいましょう。そうすれば船を降りる事なく王都まで行けます。可能かどうか調べてください」
お義父様は顎が外れんばかりに驚いた。
「う、運河を掘る?」
「ハイ。あまり高低差があったり地盤が硬ければ難しいですが。アリーディアの港もあちこち掘削してあるから、高度な掘削技術はあるとお見受けしました」
お義父様とルーズモド様は一瞬呆然と立ち尽くしましたが、すぐに我に返って走り出しました。
◇◇◇
調査の結果、簡単な浚渫をすればかなりの大型船も河を遡る事が出来、マーズ河を下れば十日ほどでレルム街まで行けることが分かりました(流石にここは小型船になりますが)。
レルムから王都までは二十日は掛からなかった筈ですので、陸路に比べて十日以上の(商隊ならそれ以上の)短縮になる事が明らかになったのです。
お義父様とルーズモド様が欣喜雀躍したのは言うまでもありません。そして私の提案した運河もすぐに着工され、距離七キロの運河があっという間に完成してしまいました。その決断力と行動力は流石に新進気鋭の切れ者伯爵様です。
私は王都のお父様に使者を出し、商人の紹介を頼みました。ユルビスティン家は北方の商人と繋がりが強いです。彼らが南方の珍しい品々を見れば、大きな商機だと感じるに違いありません。
もちろん途中通過する他領との交渉や河船の調達。船乗りの育成。荷下ろし場や港の整備などいろいろな課題があったのですが。それらはお義父様やルーズモド様がさすがの馬力であっという間に片付けてしまいました。なるほど。バンクエイム伯爵領が急速に発展したわけですし、領民にお二人が慕われるわけですよ。
私ものんびりなんてしていませんでしたよ。実家の侯爵家の名前を使って方々に手紙を送って根回しをします。ユルビスティン侯爵家はお姉様が公爵家に嫁に行って王族とも繋がりが強くなっていますからね。お家の威光で多少の事は通ります。
それとお忙しい夫と義父の代わりに領内の統治にも協力します。幸い、私は法律には詳しいですし、計算も得意です。領内の事も覚えました。お義母様と一緒に税の徴収や領民からの要望の受け入れ、裁定などを行いました。裁定は公平で優しいと概ね好評だったようですよ。
こうして、結婚後一年が過ぎる頃にはバンクエイム伯爵領は王都との水路交易を本格化させました。おかげで伯爵領の財政は大きく潤ったようです。その頃には私はすっかり次期領主夫人として領民に慕われるようになっていました。
◇◇◇
私が夫に「間違えて娶ったのだ」と打ち明けられたのはそんな頃でした。どういう事なのですか! 私は真っ青になってしまいます。
私の様子を見たルーズモド様は慌てて言いました。
「違う! 間違えたのは確かだが、良い間違いだったのだ! というか、最高の間違いだった!」
「……どういう事なのですか?」
「う、うむ。実は私は中央貴族から嫁を娶るために、王都に行ったのだがな……」
地方の新興貴族であるバンクエイム家としては、どうしても中央貴族との繋がりが欲しかったそうです。で、そのために一番簡単なのが婚姻政策ですね。
それで次期伯爵であるルーズモド様が嫁取りのために単身王都に向かわれたのだそうです。しかし、王都には何の伝手もないルーズモド様の婚活が、そう簡単に進むわけがありません。
わずかな伝手を辿って縁談を持ち掛けた何軒かの家には門前払いを受け、舞踏会に出るにも苦労し、出られてもほとんどのご令嬢にダンスを拒否される有様だったそうです。
まぁ、中央貴族にとって辺境の新興貴族であるバンクエイム伯爵家なんて未知のお家ですし、ルーズモド様も大きくてお優しい方ですけど美男ではありませんからね。確かにご令嬢の受けは良くなかったかもしれません。
ルーズモド様は困り果て、また自信も失ってしまわれたそうです。
「そこで私は考えたのだ。社交界で一番不人気な令嬢なら、私の縁談を受けてくれるのではないかと」
ずいぶん卑屈な考えですけど、それくらい切羽詰まっていたのでしょう。
それでルーズモド様が調べたところ「マリー」と呼ばれているご令嬢が、社交界で非常に嫌われているという事が分かりました。
それでルーズモド様は「マリー」というご令嬢を探して、ダメもとで縁談を持ち掛けました。それが私だったというわけです。
「ところが縁談を持ち掛けてみれば侯爵家のご令嬢だし、なぜかとんとん拍子で話は進むし、実際に会ってみればとても嫌われているとは思えぬ素晴らしい女性だしで、私はどういう事なのかとずいぶん混乱したのだ!」
縁談がとんとん拍子で進んだ理由は、実家の都合で私が二十歳過ぎまで全く縁談がなかったところに、突然指名で持ちかけられたお話だった事。ルーズモド様の都合で王都での結婚式が非常に小規模にならざるを得なくなり、それが実家にとって予算的に都合が良かったからですね。
しかし社交界に全然出ていない私が指名されたのはなぜなのか、お父様も不思議がっていましたけど、人違いだったなんて。確かに私も愛称はマリーですけど……。
「……もしかして、そのマリーって『ほら吹きマリー』の事ではありませんか?」
お姉様が話しているのを聞いた事があります。なんでも言う事に一つも本当の事がなく、いつも嘘の自慢ばかりして非常に嫌われていたとか。確か伯爵家のご令嬢だった筈です。
「でも確か数年前にお嫁に行っている筈ですよ」
私の三つ上のお姉様と同年代だった筈です。有力伯爵家の次女か何かでしたから「性格があれほど最悪でも良い家なら嫁の貰い手があるのね!」なんてお姉様が悪口を言っていたのを薄ら覚えています。
つまり、ルーズモド様が嫁探しをしていた時、マリーというご令嬢がもう私しかおらず、噂のマリーを探したら私にたまたま行き着いてしまった、という事らしいのです。
なんとまぁ。私はびっくりしてしまいましたよ。そんな事情があったとは私は知りもしませんでした。
そういえば結婚当初、お義父様とお義母様が「どうして侯爵家のご令嬢が我が家に? 何かの間違いなのではないか?」なんて戸惑っていましたね。おそらく手紙か何かでルーズモド様が婚活に苦戦しているのは聞いていたのでしょう。
「身分だけでなく、その知識と見識は素晴らしく、心優しくてしかも美しい。あれほどどのご令嬢にも相手にされなかった私に、こんな素晴らしい妻が出来ようとは、未だに信じられなくてな……。間違って求婚したのにと罪悪感を覚えている程なのだ……」
ぷっ……。私は思わず吹き出してしまいましたよ。本人の前でそんな真面目な顔で惚気ないで下さいませ。
確かに、間違いだったのでしょうけど、それはルーズモド様にとっても私にとっても最高の間違いだったようです。だって。
「私だってすっかり結婚は諦めていましたのに、まさかこんな幸せな結婚が出来るとは思ってもいませんでしたよ。よくぞ私を『マリアンヌ』と名付けて下さったとお父様に感謝しなければいけませんね」
私が笑ったからかルーズモド様もほっとしたように微笑みました。美男ではありませんが優しくて包容力のある笑顔で私は大好きですよ。
「ああ。その『ほら吹きマリー』にも感謝しなければいけないな。おかげで私は王国一の妻を迎える事が出来たのだから」
私とルーズモド様はお互いに見つめ合い、そして大きな声で笑ったのでした。
面白いと思ったら、高評価、ブックマークをよろしくお願い致します。励みに致します!