血跡
ラーラの悲鳴を聞いたバルは、教室内に踏み込んだ。
「ラーラ!」
「お待ちを!」
バルの護衛シールが見せたバルを止める素振りに反応して、傍にいたもう一人の護衛がバルに剣を向ける。その動きをシールが止めようとしたが間に合わず、バルが反射的に護衛の剣を剣で弾いた。
教室内に金属音がひびく。
ラーラの傍にいた教師と生徒達も悲鳴を上げた。
「落ち着いて下さい」
悲鳴に驚いて立ち竦んだバルをシールは押し返しながら、低い声を出す。
「ラーラ様は無事です。バル様は血だらけです。ラーラ様に怖がられますし、お腹の子に障ります」
「え?」
バルは後退りながら、自分の腕や胸や肩に掛かっている返り血に気付いた。その上、腕の血の一部はバルの物だ。
「いつの間に?」
「血を落とすまで、ラーラ様の前には立たないで下さい」
シールにそう言われて眉間に皺を寄せたが、バルは「分かった」と答えて教室から出た。
教室の一方のドアは鍵を閉じたまま、パノの護衛サーレは開かれたドアからシールと一緒に廊下に出て、残りの二人の護衛は自分の護衛対象の傍に戻る。
ラーラのお父ちゃん事ガロンは剣を収め、ゆっくりとした口調でラーラに話し掛けた。
「大丈夫だラーラ。あれは、味方だ」
あれはバルだと言うと、ラーラが面倒臭い事になりそうだ。
血塗れのバルが怪我をしたとラーラは大騒ぎしそうだし、バルの傍に行くとか言い出すだろう。そして我に返って、助けに来てくれたバルに対して悲鳴を上げたとかなんとか、クヨクヨし出すに決まっている。
ガロンはそう考えて、味方とだけ言った。
「賊は制圧された。もう少し片付いたら廊下に出られる。そうしたら帰ろう」
そう言ってガロンはラーラの肩に手を置く。
その言葉を聞いてラーラも教師も他の生徒二人も顔を上げた。
遅れてラーラの教室にやって来たパノは、廊下にいるバルの姿を見ると、声も出せずに固まった。
その様子に気付いたバルは、唇に人差し指を当ててパノを手招きする。
「ラーラが驚くから静かに」
「何言ってるのよ。誰だって驚くわよ。立っているって言う事は、それほど酷い怪我ではないの?」
「怪我は腕に少し。それ以外は返り血だ」
「返り血って・・・」
「さっきこの姿を見たラーラが悲鳴を上げたんだ」
「それはそうよ」
「後始末や事情確認もあるだろうから俺は残る。パノはラーラを連れて先に帰ってくれ」
「ええ、分かったわ。もう帰って良いのね?」
「ああ、構わない」
「それで?ラーラは無事なのね?」
バルは「ああ」と肯いて、教室内を指差した。
「ラーラはまだ中にいる。教室のドアは破られなかったから、怪我はさせられていない筈だ」
「それは良かった。バルも気を付けて帰って来てね」
「ああ。心配ない」
その姿で心配ないと言っても、とバルにツッコミたかったが、話が長くなると思い直し、パノはそのままラーラの教室に入って行く。
パノの弟スディオの護衛サグも、パノの後に続いた。
「ラーラ!」
ラーラの姿を見たパノの声に、ラーラは視線を向けるとひゅっと息を飲んだ。それに反応して教師と生徒達も短い悲鳴を上げる。
その様子に驚いて、パノの足が止まる。
同じく反応してパノの声に振り返ったガロンは、パノの後に控えるサグを見て事情を把握した。
「パノ様。ラーラ様は見慣れないサグに驚いたのでしょう。ラーラ様。パノ様は怖くありませんね?」
ガロンの言葉に声なくコクコク肯くラーラに、サグはショックを受けた。護衛としては恐れられる方が良いのだけれど、味方なのに。
パノはホッと息を吐き、サグに廊下で待つ様に命じる。
釈然としないながらもサグは「はい」とパノに肯き、閉じられた方のドアの鍵が掛かっている事を確認してから廊下に出た。
「ラーラ」
「パノ」
ラーラが手を伸ばし、パノは近寄ってその手を取った。
「怪我はなかったと聞いたけれど、大丈夫?」
「私は平気。皆が守ってくれたから。パノは大丈夫?」
「私の方は何もなかったから」
「そう。良かったわ。バルも?」
「え?」
「バルはパノと一緒ではなかったの?」
「ラーラ様」
声を掛けたガロンに目を向けたラーラは、パノの驚いた表情に気付かなかった。
「バル様は学生である前に一家の主です。事件解決の方向性を決めてからではないと、帰宅は出来ないのではないでしょうか?ラーラ様の為にも今はまず、ラーラ様の安全を計る為に動いていらっしゃるでしょう。ラーラ様がバル様の為に今するべき事は、ラーラ様自身がこの場を離れて安全な場所に身を置くことです」
「そう。そうね」
「はい。廊下の安全を確認する為に、私は少し傍を離れます」
「え?」
「大丈夫です。ラーラ様から見える範囲にしか行きません。すぐ戻ります」
「ええ、分かったわ」
「パノ様。廊下を見ながら周りの状況を教えて頂けますか?」
「ええ、そうね」
ガロンは傍の護衛達にラーラの事を頼んで、パノを促してドアまでゆっくりと歩いた。
廊下にいたバルとシールとサーレとサグが、パノとガロンに気付いて二人に近寄る。
ガロンはラーラ達には聞こえない様な小声で五人に、姿を見せた血塗れ男をラーラはバルだと思っていない事と、あれがバルだと知れば面倒臭い事になると思われる事を伝えた。
「バル様は着替えてからラーラ様に会う様になさって下さい」
「分かったよ。それはさっきシールにも言われた」
「バル様は怪我は?」
「腕だけ、軽傷だ」
そう言って袖を捲って包帯を見せた。ガロンは小さく肯く。
「このままラーラ様をコードナ邸に帰そうと思いますがよろしいですね?」
「ああ、頼む。そうしてくれ」
「誰か残しますか?」
「いや。軍の兵士も到着しているから、護衛は皆、生徒と共に帰って良い」
「バル様の護衛はどうしますか?わたくしが残りますか?」
シールの言葉に「いや」とバルは答えた。
「帰り道に何かあると困るから、ラーラと帰ってくれ。帰ったら家から誰かを寄越して欲しい。それまでは兵士か守衛といるから大丈夫だ」
兵士も守衛もバルを警護する役目を担っている訳ではない。しかし護衛の誰かを残しても、バルがラーラを心配するだろうと思った三人は、「分かりました」と肯いた。
その様子を見ていたサグにパノが声を掛ける。
「サグも私を馬車まで送ってくれたら、スディオと帰って良いから」
「はい」
ガロンが「しかし」と、血が零れたり跳ねたりしている廊下を見渡して言った。
「これはラーラ様には見せられませんね」
「そうね。私も早く離れたい」
パノの声は少し震えていた。
「ああ。早く連れ帰ってやってくれ」
バルはそう言うとラーラの教室から離れて行った。ラーラが廊下に出て来ても姿を見られない為だ。




