声
パノの護衛サーレが、ラーラの教室の後で並んでいた列からスッと離れ、教室の片方のドアに向かった。
ラーラのお父ちゃん事ガロンはサーレを見ながら、一歩前に出てラーラに近付く。
バルの護衛シールは、サーレとラーラの間に立った。
クラスに生徒はラーラの他に二人いて、その二人の護衛達もサーレと自分の護衛対象の間に立つ。
サーレが手で合図をすると、シールと護衛の一人が教室のもう一つのドアに向かい、もう一人の護衛はサーレの元に向かった。
ガロンは生徒二人をラーラの傍に寄せて、教師に手招きして傍に来させ、四人を背中に庇うように廊下側に体を向ける。
サーレとシールはそれぞれのドアに鍵を掛けた。
しばらくすると、廊下を歩く足音がラーラの耳にも聞こえた。
二つのドアの傍に立つ四人の護衛は、それぞれ盾をドアに押し付けた。
少しして、後のドアがガタガタと鳴り、続いてバンと大きな音を出す。
ガロンが剣を抜いて盾を構えた。
忙しないノックの音に教室内の護衛達が警戒しながらドアを開くと、パノの弟スディオに付いていた筈のサグが姿を見せた。
「サグ!」
パノはドアに駆け寄り、サグの肩を掴む。
「スディオに何かあったの?!」
「落ち着けパノ。まずは話を聞こう」
バルは後からパノの肩に手を置くと、低い声で「何があった?」とサグに声を掛けた。
サグがスディオに説明したのと同じ様に話始めると、「抜剣した護衛達が向かう方向にラーラ様の」と言った所でバルは教室を飛び出した。
バルにカタパルト代わりにされて肩を強く後に押しやられたパノは、サグに助けられながら倒れずに済んだ体を起こしつつ、「ばかバル!」と怒鳴った。そして浮き足立つ生徒達に振り向いて両手を広げ、「汚い言葉を使ってしまい、失礼致しました」と微笑むと、再びサグを振り向いて「続けて」と、話の先を促す。
話を聞き終えたパノは生徒達に帰宅を命じた。結婚してパノより格上になった生徒もクラスにはいたが、構わず命令する。
「みんなは少しでも早く帰宅して。そして帰り着いたら人手を学院に回す様に家に頼んで欲しい。少なくとも連絡係に一人。お願い」
クラスの全員がパノの言葉に肯いた。
教師にはこのクラスの生徒は帰宅する旨を教員室に報告して貰う。
そしてパノはサグを振り向いた。
「サグは私に付いてきて」
「馬車までですね?スディオ様にパノ様を守る事を命じられましたが、その命令を守る為にパノ様にも帰宅して頂きます」
「私にはやる事があるのよ」
「馬車ではスディオ様がパノ様を待っていますよ?」
「え?帰ってないの?」
「この様な状況でスディオ様がパノ様を置いて帰るとは思えません」
「まさか、こっちに来たりはしないでしょうね?」
「パノ様が遅ければ、迎えに来るかも知れませんね」
パノは眉根を寄せた。
弟ならやりかねない。なにせ自分も同じ様な事をやろうとしているのだ。
迷っているパノをもう一押ししようと、サグは思った。
「スディオ様はパノ様が直ぐに避難しない様なら、スディオ様が怖がって馬車でパノ様の名前を呼んでいると伝えてくれ、と言っていましたよ?」
言ってからサグは、自分の言葉に違和感を持った。
言い方を間違えたか?やはり少し、非常事態に気持ちが上擦っているかも知れない。護衛として、まだまだ修行不足だ。
その思いはパノの表情を見て確信に変わる。
「それならスディオが来る心配はないわね。サグ、行くわよ」
「しかし」
「私が一人で行くより良いでしょう?ほら、行くわよサグ」
そう言って教室を出て行くパノをサグは追い掛けた。
やはり自分ではパノ様を止められないよな、とサグは小さく溜め息を吐いた。
バンバンと激しくドアを叩く音が繰り返し続けられる中、ラーラに出て来いと命じる叫び声が聞こえた。
何度か出て来いと繰り返して効果が無いと気付いたのか、次にはラーラが出て来れば他の人間には何もしないと叫ぶ。
それを何度か繰り返すと次は、ラーラを出さないと他の人間の安全は保証しないと、少し言葉を変えた。
それでもラーラが出て行かないと、教室にいる人間全員に神罰が与えられると言い出した。神に許して貰う為にはラーラを自分達に渡すしかないと言う。
そして、ラーラを裁く為に教室内の人間に罰を与える様にと、廊下で神に祈り出した。その声は直ぐに合唱となり、ドアを剣で叩く音と合わさって校舎内に響き渡る。
ラーラの教室の前でドアを破ろうとしている男達を見て、バルは思わず「ラーラ!」と叫んだ。
何度も叩かれ続けたドアが壊れ始めてドアに出来た割れ目から廊下の光が漏れ始めた時、バンバンと鳴っている音と合唱の大音声の中に、ラーラは自分の名を呼ぶバルの声を聞いた。
「バル!」
叫んだバルに気付いた男達は、剣を振り上げ叫びながら、バルに向かって駆け寄る。
教室内から聞こえたラーラの声に一瞬気を取られたバルは、男達の動きに反応が遅れる。剣も盾も持たないバルは来た道を逃げ戻った。
「バル!バルなの?!」
「ラーラ、落ち着け」
ガロンがドアに視線を向けたまま振り向かずに、ラーラに低い声を掛ける。
「でも今、バルの声が」
「俺には聞こえなかった。廊下にバル様が現れるのは、賊を排除してからだ。バル様は安全な所にいるから、余計な心配はするな」
こんな状況でラーラがバルを心配しない筈がない事はガロンにも分かっている。それでもラーラが浮き足立つと、教師や他の生徒も騒ぎ始めるかも知れない。それを防ぐには、ラーラには気を落ち着けて貰う必要があった。
何より、行商で盗賊と戦った事のあるガロンと違い、他の四人の護衛達がどれほど実戦に慣れているのか分からない。ガロンがラーラに気を取られ、四人へのフォローが遅れたら致命的だ。
続けて「バル様は大丈夫だ」と言われても、ガロンの声はラーラの心に届かず、ラーラの気持ちは落ち着かない。
「あまり興奮するとお腹の子に障る」
ガロンのその言葉にラーラはスッと冷静になった。
バルは大丈夫、と呟いてからラーラはお腹をそっとゆっくり撫でる。そしてお腹に向けて声を掛けた。
「大丈夫。大丈夫だよ。守って上げるからね」
逃げたバルを追っていた男達は、追い付けない事に諦めて足を止め、引き返し始める。
それに気付いたバルは男達に気付かれない様に後を付いて行き、隙を見て最後尾の一人に背後から足を掛けて転ばして、剣を奪った。
鍛錬不足で疲れが出たのか、転ばされた男は怒鳴るだけで中々立ち上がらない。
バルの方に戻って来た他の男達も、疲れが脚に出ているようだ。
剣を交わすとよりハッキリと、男達の鍛錬不足がバルには分かった。
証言をさせなければならないから、生かして捕らえる必要がある。賠償金を支払わせる為には、体が不自由になる大怪我はさせられない。
そんな事に気を配れるほど、バルと男達の間には技量差があった。
しかし人数差があるので制圧は難しい。
特にバルに剣を奪われた男は、バルを捕まえようと腕を伸ばして来る。バルがその手や腕を切り付けるが、相手は怯まない。
こんな事をしている間にラーラはどうなっているのかと心配が続く。
こんな事をしている場合じゃない。自分の最優先はこいつらの賠償金でも証言でもなく、ラーラだ。
そう割り切ったバルは、男の目を切って視力を奪った。賠償金を諦めたのだ。
それでも男は叫びながらバルに腕を伸ばしてくる。
バルは証言も諦めて、素手の男も剣を持つ男達も斬った。
まだ男達に息がある事には気付いたが、治療も止めを刺す事もせずに捨て置いて、剣だけは男達の手の届かない場所に移動させ、バルはラーラの教室に向かった。
廊下から怒鳴り声と共に、金属同士が打つかり合う音が響く。
金属音はだんだん激しくなり、怒鳴り合う声も大きくなる。
ラーラも教師も生徒達も、耳を塞いで目を閉じた。
バルがラーラの教室に着くと男達は、こちら側には皆背を向けて、廊下の反対側と斬り結んでいた。
男達の先にはコードナ侯爵家等の護衛達がいた。ラーラの教室に到着して男達との戦闘を始めていたのだ。
バルは気付かれない様に注意しながら男達の背後から、一人ずつ背中を刺して行く。
バルに気付いた男が、振り向いて叫ぶ。
その声に男達が振り向き、それで出来た隙に護衛達が切り込んだ。
金属音と怒鳴り声は、次第に疎らになって行く。
代わりに指示をする声と呻き声が聞こえて来た。
「コードナ家のバル・コードナだ」
バルが教室のドアの前で、中に向かって名乗った。
それに対して中から応えが返る。
「ドアから少し離れて剣を構えます。斬り掛からないで下さい」
「サーレか。分かった。ドアを開けるぞ」
「どうぞ」
教室の片方のドアが開いて、バルが姿を見せた。
その瞬間顔を上げたラーラが悲鳴を上げ、体を縮こめて再び目を強く閉じて耳を塞いだ。
血塗れで片手に剣を持ち、もう一方の手をこちらに伸ばしているバルの姿に、ラーラは誘拐から救出された時の事を思い出してしまったのだ。
その姿がバルだと、ラーラは気付かなかった。




