初動
教室内には教師が一人、生徒が一人、護衛が一人の三人しかいない。
入学の説明に付いての教師の毎年使っていそうなジョークを微笑みで受け流していたスディオに、護衛のサグが「廊下を見てきます」と耳打ちをした。
退屈だからって自分だけ逃げるのか?
一瞬そう思ったが、ここにサグがいてもいなくても、スディオがいなければならないのには変わらない。
スディオは溜め息を誤魔化す様に、小さくしかし鷹揚に肯いた。
教室のドアに向かうサグに、教師は話を中断してそちらに視線を向けた。スディオも教師から目を離してドアの方を見る。
扉を少し開けて外の音に耳を傾けていたサグは、顔を半分だけ出すと直ぐに引っ込めて、音を立てない様にドアを閉めた。
スディオの所に戻りながら、サグは唇に人差し指を当てて教師を手招きする。
「大勢の護衛が廊下で抜剣しています」
小声でそう言うとサグは、再び唇に人差し指を当てた。
「向かう方向の先にはラーラ・コードナ様の教室があります。そこが目的地かどうか分かりませんが」
スディオが小声で問う。
「ソウサ商会の護衛は?」
「見当たりません。今朝見掛けた、見慣れない顔の男ばかりです」
姉上は大丈夫だろうかと、スディオはパノの事を心配した。学院内ではパノの護衛サーレはラーラに付いていて、パノには護衛が付いていない。
サグをパノの護衛に回せば良かった、と思考が持って行かれたが直ぐに、タラレバを考えている場合ではないと、スディオは意識を現状に集中させた。
「直ぐにラーラ義叔母様に連絡を」
「いえ。彼等を追い抜くのは難しいですし、回り込んでいたら間に合いません」
学院の地図を把握している筈のサグがそう言うならそうだと、スディオは信じた。
次の方策を考えようとするのを教師の声が遮る。
「何が起こっているのです?」
「分かりません」
サグが端的に応える。
「抜剣なんて見間違いでは?」
「その可能性はゼロではありませんが、私は間違いないと思っています」
「しかし当学院では、非常時以外に剣を抜く事は禁止されています」
「それなので非常事態だと考えています」
「しかし」
「見間違いならそれで良いでしょう」
教師とサグの遣り取りにスディオが割って入った。
「しかし見間違い出なければ今無駄にした時間で誰かが亡くなっているかも知れない」
「え?そんな」
「今動けば誰も死なないかも知れない」
自分の口から考えずに出た言葉に、スディオはその通りだと納得し、教師を無視する事にしてサグを向いた。
「サグ。馬車で待つ護衛への連絡と、姉上への連絡だな?」
「はい」
「私は馬車か?」
「はい」
「ではサグは姉上に」
「いえ、二人で馬車です。そこからパノ様と学院に連絡です」
「いや、サグは姉上と学院。私は一人で馬車だ」
「スディオ様が危険です」
「二手に分かれれば誰も死なない」
サグが言葉に詰まった。緊急事態だと判断したのに、護衛対象から離れるなど護衛としては有り得ない。
まして相手は幼い頃から知っているスディオだ。
「サグ。命令だ。姉上を守れ」
幼い頃から知っているから、スディオがパノに拗れた感情を持っているのも知っていた。
「分かりました。パノ様は私が必ず守りますが、私ではパノ様を止められないのは勘弁して下さいね?」
「姉上が直ぐに避難しない様なら、私が怖がって馬車で姉上の名前を呼んでいると伝えてくれ」
「了解です」
二人が席を離れてドアに向かおうとすると、教師が「待って下さい」とスディオの腕を掴んだ。サグが反応して教師の腕を掴もうとすると、教師はもう一方の手で紙をスディオに差し出した。
「これを守衛に渡せば、外の護衛も校内に入れられる筈です」
渡されたのはスディオの机の上の新入生への案内を千切った紙で、緊急事態が起きている旨と教師のサインが記されている。
「教員室には私が行きます。その方が早い」
そう言うと教師は教室のドアに向かって掛け出す。
サグが今度こそ教師の腕を捕まえ、三度唇に人差し指を当てた。
教師とスディオを手で制し、サグは先程と同じ様にドアを少し開けて外の音を聞き、顔を半分出して様子を窺い、もう少しドアを開いて廊下に出ると、四度唇に人差し指を当てながら二人を手招きする。
そのまま三人は音を立てない様に気を付けて廊下を歩き、無言で肯き合って三方に別れた。
スディオの姿を見付けたコーハナル侯爵家の護衛はコードナ侯爵家の護衛に一声掛けて、手振りで呼び寄せた。
スディオは集まっていた護衛達に事実として、今朝の見慣れない護衛が廊下で抜剣していた事、護衛達が向かった方向にはラーラの教室がある事、そこにはソウサ商会の護衛は混ざっていなかった事、教師は教員室に向かった事、サグはパノの所に報せに行った事、自分は真っ直ぐここに来た事、ここに来るまで誰の姿も見なかった事を告げる。
言葉の途中で護衛達に促されて、校門にある守衛室に歩いて向かいながらの説明だった。
スディオは守衛室の受付口で教師に渡された紙を見せ、自分が何者かを名乗り、何かが起こっているので護衛達を校内に入れると告げる。そしてもし間違いなら、コーハナル侯爵家が責任を取ると宣言した。
そのスディオの言葉と共に護衛達は校門を潜る。
家ではなくて自分が責任を取るって言えたら、なんて思考が逸れたので、スディオはまた意識を現状に集中させた。
スディオはその場に残り、先程護衛達にしたのと同じ説明を守衛達にする。途中で一人の守衛が「彼等に同行する」と言い捨てて守衛室を出て行った。
話を聞き終わるともう一人の守衛が、教師の寄越した紙を持って「報告して来る」と出て行く。
スディオは残った護衛と馬車に戻りながら、他に何か出来ないか考えた。
そして一緒に馬車に戻るコードナ侯爵家の護衛に、ラーラの帰宅をコーハナル侯爵家の馬車で送る事を提案した。狙いがラーラなら、少数の護衛と急いで帰る最中に、コードナ侯爵家の馬車が襲われる可能性もあると考えたのだ。
コードナ侯爵家の護衛はその意見に賛成し、コーハナル侯爵家の馬車にラーラ用のクッションを運んで来た。
スディオは護衛に守られた馬車の中でパノとラーラを待つ間、他に出来る事はないか、何か見落としがないか、次にすべき事が何か、目一杯考えた。




