酸っぱい果物
「良くそれを食べられるわね?」
ラーラの様子を眺めていたパノが、呆れを含んだ口調で言った。
「そうね。自分でも不思議だけれど、味覚が変わるみたい」
「話には聞いて知っていたけれど、見ているだけで酸っぱく感じるわ」
「それはバルの顔を見てではないの?」
ラーラは笑顔でバルを見た。バルを見たパノは顔を蹙める。
「そんな顔をしてまでラーラに付き合う事ないのに。体に悪いのではない?」
「何を言っているんだ。体に悪い物なんて、ラーラに食べさせる訳ないだろう?」
「バルの体に悪いって言っているのよ。バルこそ何をやっているのよ」
「ラーラ一人に辛い思いはさせられない」
「バル」
「ラーラ」
「バルが辛くてもラーラが楽になる訳では無いわよ」
「そうだとしても少しでも、ラーラに寄り添いたいんだ」
「バル」
「ラーラ」
「ラーラは好んで食べているのだから、それならバルも喜んで食べたらどう?」
「もちろん」
「バル。私の為に無理しないで」
「ラーラの為なら何ともないさ」
「嬉しい」
「ラーラに喜んで貰えて、俺も嬉しいよ」
パノはラーラの袖を「ちょっとちょっと」と引っ張った。
耳を傾けたラーラにパノは小声で囁く。
「バルで遊ぶの、止めなさいよ。可哀想じゃない」
「聞こえてるぞ」
バルが酸っぱそうに尖らせた口でそう言った。
それを見たラーラはクスクス笑う。
最近のラーラは情緒が少し不安定だった。
そしてバルはそれにいちいち付き合っていた。
バル本人はラーラに寄り添っている積もりだ。
ラーラはそんなバルを邪険に扱う時もあれば、今の様に揶揄う時もある。泣きながらバルに謝っている時もあるから、それに比べたら揶揄われた方がバルもマシだろう。
パノは最初はラーラの様子に戸惑ったが、今は態度を変えない事を心掛けている。パノの接し方を基準として、ラーラが自分の感情のブレ具合を測っている様にパノには思えたからだ。
パノが変わらない事でラーラが安心する様にパノには感じられた。
その様な役目は本来はバルが担うべきだとパノは思うが、二人が物理的に触れ合う事が出来ないので、その隙間をパノが埋めていた。
パノが埋めなければ、ラーラのお父ちゃん事ガロンが埋めてしまうかも知れない。ラーラが温もりを求めた時に、護衛に付いているガロンに手を伸ばすのを人に見られるのは都合が悪い。夫には体に触れさせないのに、護衛には自分から触れると噂される。その通りなので弁解も難しい。
ラーラやバルの為ではなく、コーハナル侯爵家の養女であるラーラを守る事は自分を守る事なのだとの理屈で、パノはラーラの傍にいた。
バルとラーラと一緒に、コードナ侯爵邸の離れで暮らしているのもその為だ。周囲もその方が、ラーラもバルもコードナ侯爵家もコーハナル侯爵家もソウサ家も守る事が出来る、と賛成していた。
酸味の強い果物をラーラにあ~んされて、酸っぱい顔をしながら嬉しさを滲ませるバルに、呆れだけを込めた目をパノは向ける。
ラーラには聞こえない様に、パノは溜め息を吐いた。
「王都の人口が減っているって耳にしたけれど、知っている?」
二人をちょっと見ていられなくなったパノが話題を変えた。
バルの口に果物を押し込む手を引っ込めて、ラーラがパノを見る。
「ええ。毎日の様に王都を出て行く家族がいるそうよ」
「でも王都に来る人もいるのでしょう?」
「ええ。けれど家族で来る人はいないみたい」
「仕事を探しに来ているから?家族がいても暮らしの目処が立ってから呼び寄せるのかしら?」
「そう言う人もいるけれど、でも今の王都では平民が就ける仕事は護衛くらい。護衛は男性ならそれなりの訓練が必要で、直ぐには収入が得られないのよね。ソウサ商会に就職の斡旋を依頼する人にも、地方での仕事を紹介しているわ」
「お陰でコーハナル領にも人が増えているわよ」
「仕事があるものね。それに王都に残った貴族家の領地は人気があるし、活気も出て来ているから、仕事に外れが無くて紹介しやすいし」
「外れなんてあるの?」
「紹介したけれど、店が潰れるなんて事はあり得るわ。潰れなくても人員削減で解雇とか」
「え?潰れたり削減するのに人を雇うの?」
「本業が上手く行かなくて、他の仕事に手を出す事もあるから」
「本業そっちのけで?」
「両方一緒にが多いけれど、そう言うケースもあるらしいわね」
「考えられないわね」
「代々領地を守っている貴族様には理解し難いかもね。でも平民の商人でも追い詰められないとそんな事は・・・しなくもないか。調子が良いからこそ副業を始める人もいるな」
「そんな所を紹介したら、ソウサ商会の評判が危ないじゃない」
「そこは大丈夫よ。これまでの付き合いとか、行商で培った人を見る目とかを使っているから、危ない所は断っているし」
「そうなのでしょうし、私が心配する事ではないけれどね」
「ううん。気遣ってくれてありがとう」
「どういたしまして。でも自分が安心したかっただけよ」
ラーラの状態がニュートラルに戻った様にパノは感じた。
バルはまだモグモグしている。
ラーラがバルを見て、また口に果物を押し込もうと手を伸ばした。
「王都の人口が減ったのなら、ソウサ商会の売上も減っているの?」
パノの言葉にラーラは伸ばし掛けた手を止める。
「王都で減っても他の所で増えているから、全体ではそれほど変わらない筈ね」
「そう言えば、王宮にも食糧を納品する様になったのでしょう?」
「一時的にね」
「一時的なの?続けないの?」
「元からの納入業者の配送が再開できたら、ソウサ商会は多分手を引くと思うな」
「折角の大口新規顧客なのに?」
「貴族や王族との取引は、やっぱり商会の理念に合わないし、ソウサ商会の仕入れられない贅沢品を求められたら、結局は元々納入していた商会に頼む事になるから」
「余分な利益は要らないって言う事?」
「利益を余分とは思わないけれど、利益に見合わない苦労やトラブルを避けるのは当然だから」
パノはラーラの言葉に微笑みを浮かべた。
「そう言う事を言うラーラは、やはり商家の人なのね」
ラーラは一瞬嬉しそうな表情を見せた後、悲しそうな顔を作った。
「一所懸命に貴族夫人の勉強をしているけれど、まだまだ足りないのね。でもバルの為にもガンバるわ」
「ラーラ」
「バル」
ラーラはバルの口に果物を押し込んだ後、パノを向いた。
「妊婦用の礼儀作法なんてあるのね。知らなかったわ」
「私も習った事があるけれど、楽で良いわよね」
「もう使う事も無いのに覚えなければならないのは、楽では無いわよ」
スッとラーラの顔に陰が差す。
覚えなければならない事にだけラーラが表情を暗くしたのか、パノには判断が付かない。
パノは触れたくない事を避けられる様に返す。
「出産までは毎日使うでしょう?」
「それもそうね」
ラーラは腹部に手を当てた。
「でもお腹の大きい自分が、まだピンと来ないわ」
ゆったりとした服装を選んでいるのもあり、ラーラの腹部の様子はまだ傍からは窺えない。
「そんな言葉を聞かれたら、フェリさんに色々言われるのではない?」
「祖母に?自覚なんてお腹が大きくなってから生まれるんだって言っていたけれど、確かにそれを忘れて自覚が足りないのかとか言われそうよね。お祖母ちゃん、言いたがりぃだし。でも私に足りないのは多分想像力」
「ラーラ」
腹部に視線を向けていたラーラはバルの声に顔を上げ、果物をピックに刺してまたバルの口に押し込んで微笑んだ。
もう一度果物を刺すと、今度はパノに差し出す。
パノはラーラの差し出した果物を指で摘まみ、皿の上に置いた。砂糖壺からスプーンで粉砂糖を掬い、果物に掛ける。それをまた指で摘まんで口にした。
パノはその酸っぱさに顔を蹙める。
「それでもそんなに酸っぱいの?ふふ。本質的な酸っぱさは、砂糖では誤魔化せないのね?」
パノの様子を見ていたラーラはそう言うと、自分も果物を口にして笑顔になった。




