火の手
いいわけ回です。
後書きに粗筋を書きます。
王都にある大神殿のトップ、大神殿長は信仰心の篤い人物だった。
両親は敬虔な信者であり、神官となっていた兄に憧れて自分も神殿に入ったのだ。
神の御言葉に対する知識は厚く、理解は深い。そして御言葉に対しての主流とされていない解釈に付いても、高い見識を持っていた。
また大神殿長は人格者だった。神の御名の下に常に公正であり、人々の話に良く耳を傾け心を寄せる。多くの信者や神官達に慕われていた。
これまでのこの国の大神殿長には、貴族家所縁の神官がその役職に就いていた。しかし今代は、その貴族家所縁の神官達にも挙って推挙された、この国初の平民出身の大神殿長だった。
素晴らしく優秀な部下の前では座り心地の悪い椅子を譲る者が多かった結果でもある。
そして大神殿長は行動派でもあった。
見習い神官の頃から教区に拘らずに足を運び、知識を求め、人々と語り、人の生と死を見詰め、また神に祈った。
他国に派遣された時も、単に布教の為だけには時間を過ごさなかった。
それらは大神殿長となった今も変わりはない。
人として単純に見ただけでも、人好きのする人だった。大神殿長になる遙か前から、大神殿長に会う為の時間を喜んで作る貴族の権力者や財界の実力者も多かった。
それなので寄付も多く集めた。
神殿は土地を所有し農産物を生産して自給してはいるが、基本は寄付に頼った経営になっている。寄付を多く集める者は、神殿内での発言力も強い。
民に愛され、権力者に好かれ、神官に影響を与え、広い知識と広い心を持ち、金も集める。
一人の人間としても、一人の信徒としても、文句を付ける人のない人物であった。もちろんやっかみは別だが、その声は小さい。
その様な人物が小首を傾げれば、周囲に話が広がる間に、否定したと伝わりもする。
そして実際に否定の言葉を口にすればそれは、神の意志に反するとの見解だと、伝わる事も止められなかった。
合意によらない子供を産まないし育てないとする事は唯一、神殿の教義の中で許されている殺人と解釈されていた。
子供は両親に喜んで迎えられるものである。本来その教義は、子供を大切にしなさいとの意味の筈だった。しかし今では、両親に望まれない子を神は望まないと解釈されていた。
それらを決めたのは今代の大神殿長ではない。その昔には、それを許さなければ信徒が離れて行ってしまう程、強姦が多かったし、堕胎や育児放棄や棄児、そして子殺しも多かった。
血を重んじる貴族が作った法では、夫以外の相手との間に出来た子供を殺す事は罪とはならなかった。
この国の法では殺しても罪にはならない、神殿の教義の解釈では認めてはならない、との差があったが、どちらも謂わんとする所は同じだ。
積み重ねられた教義を重んじる神殿。そしてそれを国内でもっとも厳密に体現する大神殿。更に端々を掬い上げて矛盾なく高みあるいは深みを示す大神殿長は、いずれもラーラの妊娠に肯定の姿勢は見せない。
神殿の教義では姦淫を禁じている。強姦はもちろん罪だ。これは男が女を襲うのに限らずに、合意に依らない関係全てを罪の対象としている。そして神の認める夫婦以外の男女関係もこれに含まれる。
神殿の教義では夫婦の合意とは、男と女と神の三者でなされなければならないものだ。
その為、合意無き妊娠を神殿が認める筈は無く、その出産は神の祝福を拒む行いと位置付けられる。
これまでは暗黙的に否定されていたそれらの判断が、ラーラの妊娠に対する事で具体的な拒否に変わった。
大神殿長とその周囲の神官の間での認識に、差は認められなかった。
神官達の間でも、認識に差は無い。
神官と信徒の間でもだ。
そして熱心な信徒の言動に対して、違和を感じる人はその周囲にいなかった。
それなので敬虔な信徒達がラーラの妊娠を否定する意見を表明した事は、他の信徒達にも当然納得の行くものであり、神官達も同意を示した。上級神官を通して大神殿長の耳に入った内容も、なんら疑うべき点の無い常識的な見解として受け取れるものだった。
神殿の敬虔な信徒達は、ラーラに出産を止めさせるべきとの意見の一致をみていた。そしてそれをラーラ本人に勧めようとした。神の祝福を受けない結婚も出産も、革めさせようとしたのだ。
しかし、手紙を送ってもラーラからの反応はない。本人に直接接触出来るのは学院に通っている生徒だけだが、敬虔な信徒である生徒が接触しようとしても周囲を守る者達に警戒されて、ラーラに近付く事が出来ない。声も届けられない。
その状況を打開すべく神殿の熱心な信徒達は、ラーラに対しての抗議行動をとる決断をする。
王都の各神殿に集まった信徒達に取って、父親の分からない子供をラーラが産む事は見逃す事の出来ない罪であり、ラーラに対しての抗議は必要不可欠な誰かがせねばならないものであった。
各神殿からバルとラーラの邸を目指す集団の先頭は神官達が務め、当然周囲の注目を集めた。
辻を通り道を越える度に、同道する人数は増えて行く。
そこには敬虔な信徒以外の思惑も混ざっていった。
同行中に話を聞きながら熱心な信徒達と同じ考えに染まる者もいれば、信徒ではあるが行動には懐疑的であって成り行きを見守る為に同道する者もいた。
中には抗議の意志よりも気分の高揚に酔う者達もいて、信仰とは関係ない祭りの様な雰囲気に引き寄せられる者達もいた。
各神殿を出発した時点より何倍もの集団になっても、先頭を進む神官や敬虔な信徒達が、末端の膨張に気付く事はなかった。
コードナ侯爵家もコーハナル侯爵家もソウサ家も神殿信徒の動静は認識していて、バルとラーラは使用人達と一緒にコードナ侯爵邸に避難を済ませている。
神官と敬虔な信徒達が着いた時には、バルとラーラの邸は無人だった。
邸のドアも窓も閉じられ、門も閉ざされている。
外からの抗議の声に、無人の邸からは応えが返らない。
徐々に声は大きくなり、直ぐに罵声や門扉を蹴る音がけたたましく響く様になった。
誰かが叫んだ「悪女」と言う単語が、集団内に広がる。
集まった人々が大きく騒ぐ間にも、更に人が集まって来る。
一歩退いて成り行きを見守っていた人々も、次々と押し寄せる人波に飲まれ、集団から抜け出せなくなった。
やがて塀を乗り越える者達が現れる。そして内側から門の鍵が壊されると、外開きの門扉が内側に押し開かれた。
門扉に押し付けられる様になっていた神官や敬虔な信徒達は、押し流される様にして敷地内に立ち入る。前庭で左右に分かれる事で、流れに押される圧力から逃げた。
次々と門から入り込む人々は、門から玄関までを埋め尽くす。
窓が破られ邸に侵入され、外開きの玄関扉も内側に押し開かれた。
邸の中に誰もいない事が伝えられると、誰かがコードナ侯爵家を目指せと叫ぶ。
門扉脇にいた神官と敬虔な信徒達は、未だに流れ込む人々にコードナ侯爵家を目指す事を叫んで伝える。
通りの人の流れが何とか変わり、バルとラーラの邸への人の流れ込みがなくなると、神官と敬虔な信徒達は門から通りに出て、コードナ侯爵邸を目指した。
バルとラーラの邸の周囲の家には予め、危険があるかも知れない事がコードナ侯爵家から伝えられていた。
それなのでバルとラーラ達と同様に、邸から避難している家もあった。
しかしそれは二人の邸の周囲だけであり、抗議先がコードナ侯爵家に変わる事までは予想されていなかった。集まった人数さえ誰も予想しない規模だった。
門を閉めていない途中の邸に群衆がなだれ込む。
そして襲い、奪った。
竈から手に入れた火を邸の中に付けて回る。
ご丁寧に、バルとラーラの邸に戻って放火する者もいた。
しかし群衆の先頭を進む神官と敬虔な信徒達が、それらに気付く事はやはりない。
ラーラの妊娠に対し、神殿信徒は抗議行動に出る。ラーラは悪女と呼ばれた。
それに便乗して破壊行動に出る暴徒が現れる。




