妊娠への態度
ラーラの妊娠が伝えられ、話し合いのために関係者が集められた。
場所にはソウサ商会の大会議室が使われる。
参加者は、バルとラーラの結婚を認めた話し合いの時の人達に加え、バルの両親と兄二人と、パノの両親と、ラーラの長兄ザールとなった。コーハナル侯爵家を継ぐ予定のパノの弟は、ラーラと1歳しか違わないがまだ学院入学前でもあり、今回の話し合いには加わらない。
「私は妊娠していました」
ラーラが改めてそう伝えると、参加者の半数は苦い表情を浮かべる。
「私が複数の男性と関係を持った事までは許せても、血を継がない子供を産む事は貴族家としては許されないと思います」
「そうですね」
バルの祖母デドラが小さく肯く。
「それなのでコードナ侯爵家ともコーハナル侯爵家とも、離縁される覚悟は出来ています」
「それはつまり、子供を産むと言う事か?」
バルの父ガダの言葉に、ラーラは「はい」と肯いた。
それを聞いて、参加者の一部は眉間の皺を深くする。
パノの父ラーダが一層眉間の皺を深くして尋ねた。
「コードナ侯爵家を出てどうする積もりだ?」
「コーハナル侯爵家からも離縁されたら、ソウサ家に戻るのか?」
ガダも表情を更に渋くして尋ねる。
「手元にはそれなりのお金があります。平民としてなら、子供が成人するまで余裕で暮らせます」
「またそんな事言って、それはウチには戻らないって意味かい?」
ラーラの祖母フェリが口を挟んだ。
「そうなっても何とかなるわ」
「何ともならないよ。人を雇ったらお金が足りないじゃないか」
「雇わずに自分で何とかするわよ」
「何ともならないって。人が怖いラーラがどうやって買い物をするんだい?街にだって出られないだろう?少なくともガロンとマイは雇う必要があるし、ラーラの育ての親だからって二人をただ働きさせるのはダメだよ」
「分かってるわよ。でも母は強しって言うんでしょう?私は母親になるんだから、買い物も近所付き合いも炊事洗濯掃除も、上手く熟してみせるわ」
「その上子育てもかい?母親の実感なんてお腹が大きくなってからだよ。胎児の成長と共に母親になんのさ。最初は体調が悪くて気分が悪くて、惚れた男の子供でも産むのを止めたくなる時だってあったりする。ラーラも、やっぱり産むのを止めますってなりかねないね」
「そんな事ない!」
「あるから言ってんのさ。産まない為の言い訳なんて山ほどあんだから」
「絶対産むもん!」
「産んで終わりじゃないんだよ?夜泣きされたり、急に具合が悪くなったり、一日中気が抜けない。そりゃそうさ。ほっとけば死んじまうんだから。初めての子なんか特にだよ。大人しく寝てたって、息して無いんじゃないかって心配しちまうもんなんだ。誰にも頼らずに育てるなんて無理だね」
「俺も一緒に育てます」
バルがフェリに反論した。
「どうやってだい?」
「え?」
バルに対するフェリの言葉遣いに何人かが驚く。しかしそれをバルの祖父母と両親がスルーしているのを見て、咎める声は上げなかった。
「仕事はどうすんのさ?昼はいないし、夜は寝ておかないと翌日の仕事に差し障る。それに妊娠は肩代わり出来ないしね。奥さんの腹の中にいるのが自分の子だって、奥さんの事を心配するもんだ。ましてや他人、それもラーラを辱めた犯人達の子だ」
「キロの子かも知れないじゃない」
「キロの子じゃないかも知れない。それでバルの子じゃないのは確かだ」
「そんなの分かってる!わざわざ言う事ないでしょう!」
「怒るんじゃないよ。事実だろう?バル。その子を憎まないなんて約束出来ないだろう?」
「俺の子じゃないけれど、ラーラの子です」
「バル。ラーラと別れるなら今の内、ラーラの妊娠が人様に知られる前がチャンスだよ?妊娠が知られてからも血と名誉を守る為って名目で別れられるだろうけど、バルにもコードナ侯爵家にも傷が付くだろう?」
「コードナ侯爵家の傷が問題になるなら、俺は離縁して平民になって構わないんですよ」
「貴族の家名ってそんな軽いもんなんかい?」
「重いですよ。でも俺にはラーラと一緒に生きる事の方が大事なんです」
「はん、そうかい」
「ええ」
「バルみたいなのをお目出度いヤツって言うんだよ」
場に緊張が走る。
いくらなんでも侯爵家子息に向けて言って良い言葉ではないと皆が思った。
その緊張をバルの笑い声が押し流す。
「確かにラーラと一緒に暮らせる事は、俺にとってこの上なく目出度い事です」
「この馬鹿な孫娘のどこがそんなに気に入ったのか分かんないけど、そう言ってくれるなら感謝するよ。だからお礼だ。いつかラーラと別れたくなったらあたしに言いな。ラーラをバルから引っ剥がしてやるから」
「それよりラーラが俺から離れようとした時に、一緒に止めて下さい」
「そっちの方が大変そうだけど、そうかい。分かったよ」
不貞腐れた様に言うフェリに対して、バルは微笑みを向けた。
「私もラーラの出産を応援するわ」
ラーラの養母でパノの祖母でもあるピナがそう言うと、パノの母ナンテは困った表情を作り、ラーダは更に眉間の皺を深くした。ラーラの養父でパノの祖父のルーゾは一旦ピナに顔を向けた後、視線を下げて唇を強く結んだ。
「妊娠の可能性は最初から分かっていたのだもの。分かってラーラを養女にしたのだから、母親として当然、出産を助けるわ」
ピナのその言葉に、ラーラの実母ユーレは顔を歪める。
バルの母リルデは「そうですね」と小さく肯く。
「息子の嫁が他の男性の子供をと思うと、やはり納得はしかねますけれど、親しい女性が妊娠したと考えれば・・・でも、ラーラが産む子を可愛がれるか、正直自信はありません」
リルデの言葉にパノは小首を傾げた。
義叔母のラーラが産む子は、パノにとっては義理の従弟妹だ。
血が繋がっているとかいないとか、あまり気にならない。
犯罪者の血を引くだろうと言っても、犯罪者達に育てられなければまともに育つ様に思えた。
生まれて来る子には罪はないと、何回も耳にしてその気になっているだけかも知れないけれど、自分はその子を可愛がれる気がする。パノはそんな気になっていた。
「私はラーラの妊娠と出産を助けます。生まれた子供も可愛がる事が出来ると思います。従弟妹としてなら普通に付き合えると思いますし」
パノの言葉に何人かは苦笑いをした。パノの言葉には貴族としての視点が欠けていると思われたのだ。
デドラが口を挟む。
「そうですね。個人としてはラーラを応援したくても、家としては難しい」
「でもデドラさん。ラーラは始めから妊娠したら産むって言っていたじゃないですか?」
「ええ、ピナ。その通りです。その前提で我が家もバルの妻としてラーラを迎えました。しかし妊娠の可能性があると言うのと、犯罪者の子供を産むと言うのでは隔たりがあります」
「しかし!」
「分かっています。しかし貴族家としては、良しとは出来ないではありませんか」
「私は自分が貴族だからと、ラーラを見捨てたりは出来ません」
ピナがデドラを睨みながらそう告げる。
デドラは「そうですね」と言って少しだけ顔と視線を下げた。
その様子を横目に見ながら、フェリは使用人に耳打ちで指示を出す。
リルデが「お義母様」とデドラに声を掛けた。
「一度態度を表明したのにそれを覆したりしますと、どこかの三家みたいに民心を失いませんか?」
「あの公爵家などの領民達は、他の不満も持っています」
「そうですけれど、コーカデス侯爵家が僅かずつでも味方を増やしているのは、主張を変えていないからではありませんか?我が家に敵対する姿勢を一切崩していないのは忌々しいですけれど」
「そうですね」
「我が家が主張を変えたら、足下が崩れると私は思います」
「それほど足下が柔らかいとは思いません」
「いいえ。主張を変えた我が家に擦り寄って来る者達が、我々の足下を崩すのです」
「そうですね」
デドラが肯くのを見て、リルデは「あら?」と呟いた。
「お義母様?もしかしてラーラの出産に賛成なのですか?」
「先程、応援したいと言いました」
「え?ええ、そうでしたね」
リルデにもう一度肯いて見せたデドラは、バルの祖父コードナ侯爵ゴバを向いた。
「あなた。コードナ家としては、ラーラの妊娠は残念であると表明すれば良いかと思いますが、どうですか?」
「それが妥当だろうな?」
「え?父上も母上も、出産に賛成するのですか?」
ガダが目を見開いて二人に尋ねる。それにデドラは肯いた。
「わたくしとしては賛成しますし応援します」
「コードナ家としては残念だがな」
「あなた?我が家は?」
「同じだろうな。コーハナル家としては望んだ結果ではないが、責任はあるし主張を変える積もりはない」
ピナの質問に、ルーゾは腕を組んで瞑っていた目を開いてそう答えた。
「では場所を分けましょう」
そう言ってフェリが立ち上がる。
「別室を用意したので、賛成組は私と一緒にそちらへ。ラーラをどう助けて行くのか話し合いをしましょう。どの様に公表するかなどあるでしょうから、残念組は引き続きこちらを使って下さい。もう一室用意していますので、その他の方が居るなら使用人に声を掛けて下さい」
そう言うとフェリはラーラを振り向いた。
「なにボサッとしてるんだい。皆さんに頭下げんだよ。良いかい?母親の強さってのは図々しさだ。子供の為なんだからさっさと頭下げて、助けて下さいってお願いしな」
ハッとしてラーラは立ち上がる。
「助けて下さい。お願いします」
ラーラが頭を下げる隣にバルも並び、「お願いします」と頭を下げた。
フェリは「ふん」と鼻を鳴らすと、バルとラーラに「ほら行くよ」と声を掛けて部屋を出て行く。
その後をバルとラーラと、バルの祖母デドラ、バルの母リルデ、パノ、パノの祖母ピナ、ラーラの兄のザールとワールとヤールが続いた。
バルの長兄ラゴと次兄ガスが言葉を交わし、ガスが立ってフェリ達の後を追う。
残ったのはバルの祖父ゴバ、バルの父ガダ、ラゴ、パノの祖父ルーゾ、パノの両親ラーダとナンテ、ラーラの祖父ドラン、ラーラの両親ダンとユーレだった。
少し経ってユーレが立ち上がる。
「ラーラの出産に反対の方はいらっしゃいませんか?」
その言葉に何人かは戸惑ったけれど、結局誰も手を挙げない。
その様子を受けて、ユーレは再び席に着いた。
更に少し経って、ドランが口を開いた。
「まさか本当に妊娠するとは、思いませんでした」
「そうだな」
ゴバがそう返すが、後の言葉は続かない。
少し間を開けて、ラーダがドランに尋ねる。
「ソウサ商会は大丈夫なのか?」
「新規事業には影響があるでしょう。どうだ、ダン?」
「そうですね。バル様とラーラ様の人気の影響を受けておりますので、妊娠に反発する人の分は売上の減少に繋がるかと思います」
「本業は問題ないのか?」
「行商事業自体はお二人の人気の影響はありませんでしたので、その分に付いては考えなくても良いのですが、広域事業者特別税を徴収する領地が増えれば多少は影響します」
「多少で済むのか?」
「ソウサ商会が扱うのは生活必需品や食材が多いですから、税金分を値上げしても人々は買わざるを得ませんので」
「幾つかの領地からは撤退したのではなかったか?」
「その場合も近隣領を通して販売は続けています。小売りではなく問屋業務の様に変わったので、人員を削減して新規事業に回していました」
「それなら影響があるのではないか?」
「新規事業で忙し過ぎましたし、儲けもそれなりに出ていましたから、全体的に少し落ち着いてくれた方が却って助かります」
「そんなものか?」
「はい。押し売りはソウサ商会の理念に反しますので必要な方に買って頂ければ良く、ぼちぼちで問題ありません」
ダンはラーダに微笑んで見せる。
ラーダが「そうか」と答えると、会話が途切れた。
ゴバがルーゾに声を掛ける。
「ルーゾ」
「ああ」
「公表する際はコーハナル侯爵家も連名とするか?」
「そうだな」
「近い家には予め伝える積もりだが、どうする?」
「ああ、そうだな」
「どうした?妊娠が衝撃過ぎたか?」
「そうだな。そうかも知れない」
「ラーダ君に任せるか?」
「父上、私が引き継ぎます」
「いや、私がやる」
「しかし父上、顔色が」
「大丈夫だ。イヤな想像をしてしまっただけで、ラーラの件は大丈夫だ」
「そうですか?」
「妹君の事か?」
「ああ。あの時、妹が妊娠していたら、当時の私は自分で妹を殺していただろう。そうではなくても妹に死ねと言った筈だ」
「そうだな。今もどの家でもそうするだろう」
「お前でもか?」
「・・・いや、分からん。考えたくもないな。以前なら迷わずそうしたかも知れんが、ラーラを見ていると、何だろうな?そうなったらしっかりと考えなくてはならないと思う」
「考える時点でもう、死ねなどとは言えんだろう」
「そうだな・・・そうだろうな」
「だが世間は許さない」
「そうだな。ガロン殿」
「何でしょうか?」
「平民はどうなんだ?望まぬ妊娠をした娘を死なせる平民の話を耳にした事はないが?」
「子供は産ませなくても、本人を死なせる事はありません。犯罪になりますので」
「そうか。平民はそうだったな。子供はやはり産ませないのだな?」
「犯罪被害ならそうでしょう。不義なら離婚して一人で産んだり、不倫相手と再婚して産んだりはあると思います」
「一人で産んで暮らして行けるのか?」
「行けないでしょうね。子を捨てる親もおりますので」
「そうか。貴族だと子捨てなどにはならないが」
「貴族女性はそもそも一人で子を産まないのでは?」
「それもそうか」
「その前に死なせるからな」
「貞淑を疑われた貴族女性が死ぬ事は、平民はどう思っているのだ?」
「可哀想、とかでしょうか?」
「可哀想?それは非難か?」
「非難と言うよりは感想ですね」
「賛同も非難もないのか?」
「どうでしょう?別世界の話、と言う感じですので。名誉を守って死を選ぶと言うのは、平民には縁遠い感覚ですから」
「そうか」
「妹も平民なら死ぬ事などなかったのだよな」
「あの」
ユーレの呼び掛ける声は微かに震えていた。
「ラーラ様は命を狙われるのでしょうか?」
ゴバとルーゾは少し顔を蹙めた。実母であるユーレがラーラを様付けしたからだ。
ダンもラーラを様付けしていたが、ラーダはそれに違和を感じなかったので、特に反応してはいなかった。
その為ユーレは、ゴバとルーゾの表情の変化を悪いものと受け取った。
「もしかして残念と言うのは、ラーラ様を殺すと言う意味ですか?!」
そう言ってユーレは勢い良く立ち上がった。
「いや違う。そうじゃない」
「ユーレ、落ち着いて」
ゴバの言葉に続け、ダンがユーレに手を伸ばしながら言った。ルーゾも続ける。
「ラーラは私達が守るから、ユーレ殿は安心して欲しい。任せてくれ」
「しかし」
「残念と言うのは、ラーラは妊娠しないと思っていたのに妊娠してしまって残念だ、と公表するだけだ」
「そうだぞユーレ殿。コーハナル侯爵家もコードナ家も、ラーラの妊娠を歓迎してはいないけれど受け入れると言う意味だ。拒絶する訳ではない」
「ましてやラーラの命を脅かしたりはしない」
「その通りだ。受け入れると表明したのなら、もしラーラに何かあれば我々の落ち度だ。他家からは責められる弱点になる」
「ああ。我々が受け入れたラーラに他家が手を出せば、我々が許さない。なので手を出したり、ましてやラーラの命を狙ったりする家は出ない」
「他家から見ればラーラの妊娠自体が我々の弱点だからな。それを取り除こうとする敵はおらんよ」
「ああ。だから心配はいらない」
「大丈夫だ」
「・・・そうですか」
ユーレは視線を下げて少しの思案の後に顔を上げた。
「分かりました。ラーラ様をよろしくお願い致します」
そう言うと大きく腰を折り、深く頭を下げる。ダンも立ち上がってユーレの隣に立つと、「お願い致します」と同じ様に頭を下げた。




