レントの憂慮
ダンスの他に、揺れる船上での護衛達との連携訓練を行ったり、海岸に灯台を設置する場所の目処を立てたり、食事もサンドイッチ等にして甲板で立ったまま食べたりして、ミリとレントはなんとか船酔いに抵抗する。ちなみに鬼ごっこは船からの転落を恐れてやっていない。
酔わなくなるほどに船に慣れると迄はいかなかったけれど、酔ってしまうのではないか?きっと酔うに違いない、と言う思いに囚われなくなった事もあって、ミリは前回の乗船中に感じた船に対する苦手意識が薄れたし、レントは馬車より船の方が何百倍もマシですとの感想を持っていた。
「コーカデス卿?」
甲板で並んで海岸を見ていたミリに声を掛けられ、レントはミリに視線を向ける。
「はい、ミリ様」
「ニダさんにはどう接しますか?船から降りたら会うと思いますけれど」
レントは息を鋭く僅かに吸った。
「・・・そうですよね」
「前回、コーカデス領から王都に向けて船で出発する時にも、わたくしはニダさんに会いましたけれど、わたくしはまだ町娘のミリとしてニダさんに接していました。しかし、港町を作ったりするのなら、いずれは身許が知られてしまうと思います」
「ええ。それはわたくしもですね」
「はい。人が増えればコーカデス卿がキロだと知る人も増えるでしょうから、いずれどこかでニダさんの耳にも入るでしょう」
「・・・それよりは、自分で名乗りたいですね」
「ええ。わたくしもそう思います。キロがコーカデス卿だと分かれば、わたくしもミリ・コードナだと気付かれるかも知れません。ニダさんはミリと言う名を聞いても悪魔の子とは言わなかったので、ミリ・コードナだと分かっても忌避されたりはしないと思いますし、出来れば疑われる前に自分から名乗りたいと思っています」
「ミリ様が名乗る為には、わたくしも名乗る必要がありますね」
「ええ。名乗る事を催促する様で、申し訳ありませんけれど」
「いいえ。そしていつか名乗るのであれば、今回上陸する時が良い機会だと言う事ですね。後になればなるほど名乗り難くなりますし、他からニダさんの耳に入る可能性も上がりますし」
「そうですね。わたくしもそう思います」
「・・・そうですね」
レントは海岸に視線を戻した。
お忍びは楽しかったけれど、いずれは身許が知られる。コーカデス領内の町長や村長には既に顔は知られている。先代領主も先々代も、領内を巡る時は身許を隠してなどいなかった。
レントは再びミリを見た。
「今回、船を降りた時にニダに話しましょう」
ミリと目を合わせながらそう言うレントには、ニダとの関係性が変わってしまう事が寂しく思えていた。しかし今のニダとの関係は偽りなのだ。それは正す必要がある。
ミリはレントの決断に微笑みを向けるが、レントの様子から寂しさを感じ取り、それがミリの表情にも滲んだ。
「そうですか」
ミリの声が沈んで聞こえ、レントの決心は揺らぐ。
「あの、ミリ様もそれでよろしいでしょうか?」
ミリに嫌だと言われたら困る事は分かっているのに、レントはそう尋ねてしまった。
「ええ、もちろんです」
そう返すミリにレントは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいえ。必要な事ですし、わたくしも今回が良い機会だと思いますから、コーカデス卿の意見に賛成です」
そう言うミリの微笑みからは寂しさは消えていたが、頭を下げたレントにはそれが見えてはいなかった。
船は目的地に着き、碇を下ろす。
コーカデス領に上陸する為に船から小舟を降ろしていると、海岸に人影が現れた。その人影が船に向かって手を振る。それに気付いたミリとレントは、手を振り返した。
手を振っていたのはニダだった。
小舟で海岸に近付きながら、レントは少しずつ緊張を高める。それはレントがニダにどの様に話せば良いのか、思い付いてないからだ。
嘘を吐いて騙していた訳だけれど、しかし身分を明かしてからでは、領主が一領民に対して無闇に謝る事は避けなければならない。
体に力が入って行くレントの隣で、声が届く距離にまで近付くと、ミリが体を舟縁から乗り出す様にしてニダに手を振った。
「ニダさ~ん!」
その町娘らしいミリの振る舞いに、レントは目を見開く。ミリもミリ・コードナである事をニダに伝える筈なのに、どうする気なのかレントには分からなかった。
ミリに手を振り返すニダを見て、レントの気分は少し暗くなった。
小舟が浅瀬に着くと、同乗していた護衛達と船員の数人が先に降りて、小舟を押して海岸に着ける。そして護衛がミリとレントを抱き上げて、海水に濡れない様に二人を小舟から降ろした。
「ニダさん!」
「お帰り、ミリ。キロも一緒にだったんだね」
「うん」
町娘モードを続けるミリの様子に、レントはなんて言えば良いのか思い付かない。
「二人とも、今日は随分と素敵な格好だね」
「そうでしょう?」
ニダの言葉に笑顔を見せたミリが、その表情のままレントを振り向く。
「さあ」
ミリのその言葉にレントは、この状況で身分を明かせと言うのですか?と顔を蹙めた。
「大丈夫ですから」
ミリはそう続けるけれど、何が大丈夫なのかレントには分からない。
中々言葉を出せないレントに、ミリは笑顔を微笑みに変えて肯いて、ミリ・コードナの表情で「大丈夫です」と言葉を足した。
「何が大丈夫なんだい?」
微笑みながらのニダのその声に、レントは反射的にニダを見る。
「・・・実は、わたくしの本当の名は、キロではない」
ニダはレントの言葉に僅かに眉を上げたけれど、表情は微笑みを浮かべたままだった。その事がレントを勇気付ける。
「わたくしはコーカデス子爵レント。先日授爵した、このコーカデス領の領主だ」
そう言うレントに対してニダは、今度は少し目を細めて、しかし変わらずに微笑みを向けていた。




