船でコーカデス領へ
ミリとレントは王都のコードナ侯爵邸で、コードナ侯爵領から借りた技術者達を引き渡された。
この技術者達はいずれコードナ侯爵領に返さなければならない。その為、ソウサ商会から紹介されて面接した技術者達も、すべて採用する事にした。コードナ侯爵領の技術者達が帰った後も、コーカデス領の整備の為の技術者は必要であるからだ。ソウサ商会の技術者からも辞めてしまう者が出るかも知れないし、一人でも多くの技術者を残す為と、新規に技術者を育成させる為にも、余裕を持った体制を採る事にしたのだ。
ただし、直ぐに問題が発覚する。
ソウサ商会から紹介された技術者達が全員、コーカデス領までの旅程に船での移動を希望したのだ。
コーカデス領までの移動時間が少なくて済むし、港を作るなら船の事を良く知っておく必要があるとか、石材を運ぶイカダを作るには水の上で時間を過ごした経験が活きる筈だとか、要は皆、船の旅をした事がなかったからしてみたかったのだ。
そしてそれはコードナ侯爵領の技術者も同じだった。
こうして技術者達を連れて、ミリとレントは船でコーカデス領を目指す事になった。
前回の反省からミリは護衛女性の他に、側仕えの女性も同行させた。自分が船に酔って何も出来なくなっても、身の回りの事をして貰おうと思ったのだ。
しかしこの側仕えの女性も船に酔ってしまった。船には酔わないと言っていたのだけれど、湖で舟遊びをするのと、陸地が見える近場とは言え海上の波に揺られるのとでは訳が違う。
船酔いが比較的マシな護衛女性が側仕えの代わりに、女性が行う必要がある種類のミリの世話をしたが、男性でも良い種類のミリの世話をしたのはレントだった。
「ミリ様。お水です。口を漱いで下さい」
「ありがとうございます」
「こちらの桶に出して下さい。そちらの桶は洗って来ます」
「ごめんなさい」
「いいえ」
ミリはレントになんか面倒を見られたくなかった。けれど同行した女性達に吐瀉物の後片付けをさせたら吐瀉の連鎖が起きるし、警護の問題上、護衛以外の技術者や船員の男性にミリの世話をさせる訳にはいかない。ミリの世話をしても良い男性として、前回はラーラの次兄ワールが同乗していたけれど、今回の場合はそれがレントだけだった。
「なんでコーカデス卿は平気なのです?」
弱々しい声で尋ねるミリに、レントは微笑む。
「全く平気な訳ではありませんが、馬車ほど酔わないのは自分でも何故なのか分かりません。海風が和らげてくれるのでしょうか?」
吐瀉物の臭いに慣れているとは、ミリの前では口にしたりはしない。
「甲板で風に当たると気分が楽になりますので、ミリ様もいかがですか?」
「・・・でも・・・」
前回ワールに抱き抱えられて船を降りた事も、貴族令嬢としてはよろしくないのだが、あの時は平民の格好だったし、良しと言う事にしていた。
しかし今回はレントもいるので、ミリ・コードナとしての立場でいなければならない。レントに面倒を見て貰ってはいるけれど、他の人達の前では飽くまで貴族令嬢として振る舞わなければならなかった。
「シーツか毛布で隠せば、他の人の目には触れません。手が空いてそうな船員を探して、ミリ様を囲んで隠す様に頼んで見ましょうか?」
醜態を曝す訳にはいかないから、甲板には出られなかったのだけれど、姿を隠して貰えるのならミリも風に当たりたかった。
「お願いしてもよろしいですか?」
「はい。では船長に相談して来ます」
そう言うとレントは桶を手に持って、ミリの船室を後にした。
船員にシーツを持たせるのではなく、甲板上にシーツと毛布をロープから下げて壁を作り、その中にミリは入れられて椅子に座った。布が風に煽られて捲れるので、壁は二重にされている。
確かに少しは気分が楽になる。
「ミリ様。私は横になるよりは座ったり立ったりした方が楽ですし、それよりは歩き回った方が楽です」
「・・・そうですか?」
「はい。よろしければこの場で歩いてみませんか?」
そう言って差し出したレントの手に、ミリは指先を預ける。レントはミリの指先を親指で軽く抑え、ミリが立ち上がるのを助けた。
立ち上がると確かにもう少し、気分が楽になる。
ミリはレントの手を放し、椅子の回りを歩いて巡る。更にもう少し、気分が楽になった。
「ええ、本当に。だいぶ楽です」
「良かった」
「コーカデス卿。提案して頂き、ありがとうございます」
「お役に立てた様で嬉しいです」
レントが微笑むのに釣られて、ミリも微笑みを浮かべた。それは船に乗ってから、初めて自然に浮かんだ笑みだった。
帆が音を立て帆柱が軋み、船が少し傾く。
よろけたミリは、差し出されたレントの腕を掴んだ。
「大丈夫ですか?ミリ様?」
「ええ。ありがとうございます、コーカデス卿」
「立ち歩く提案は間違いでした。申し訳ございません」
「いいえ。かなり楽になりましたし」
「しかし危険です。どうぞお座り下さい」
レントにそう言われてもミリは、座るとまた気分が悪くなる気がしていた。そう考えるだけで気分が少し悪くなる。
「いえ、このままで」
レントはミリの左右に両腕を広げ、不用意にミリに触れない様にしながら、腕に捕まるミリを支えた。
船がまた揺れてミリの体が流れるが、レントはミリの体の回りを巡る様に動いて勢いを殺し、ミリが倒れない様に支える。そして思い付いた。
「それならミリ様。ダンスレッスンをしませんか?」
「え?・・・ここで?」
「はい。この様に体を動かしながら」
そう言ってレントはリードする様に重心を動かす。
「回り過ぎると目が回るかも知れませんが、ゆっくりとなら船の揺れも気にならない気がします」
レントのリードに乗ってミリも体を動かす。確かに歩く場合よりも揺れが気にならない。
「ふふ、本当に。これは良いですね」
「本当ですね」
「御自分で提案なさったのに」
「ただ、この様に緩いテンポの曲は、まだ習っていませんから、練習にはならなかったですね」
「それならわたくしがスキャットで」
そう言うとミリはメロディを口ずさみ始める。そしてレントにリードのタイミングを合図しながら、一通りの動きを示してみせた。
「この様な感じです。いかがですか?」
「ありがとうございます。いけそうです」
レントがそう答えるとミリはまたメロディを口ずさむ。そして今度はレントのリードでダンスを踊った。
その後二人は風や波に邪魔されながらも空が暗くなり始めるまで踊り、レントは複数の曲のダンスを知る事が出来、ミリは何度も心からの笑顔を浮かべる事が出来た。




