罪と罰と
「ラーラ・コードナ。事前に伝えてある通り、そなたの発言は許す。いちいち確認を取らずに意見を述べよ」
「ありがとうございます」
ラーラはそう言って、国王に会釈をした。
その様子を受けて、ラーラを捕らえようとしていた近衛兵達は元の位置に戻る。
「コーカデス侯爵閣下の仰る通り、わたくしが複数の男性と関係を持ったのは事実です」
ラーラの発言にリリは顔を上げた。
コードナ侯爵ゴバとコーハナル侯爵ルーゾの拳に再び力が籠もる。コーハナル侯爵夫人ピナは心配そうな目で、コードナ侯爵夫人デドラは感情を載せない視線で、ラーラを見た。
僅かな間を置いて、宰相が「なんと」と、国王が「まことか」と、コーカデス侯爵ガットが「本当だったのか」と声を漏らす。
「しかしバルとはその様な関係ではありません」
ラーラがバルを呼び捨てにした事に、リリは僅かに眉根を寄せる。
「近いうちに公表しますが、わたくしは誘拐され、犯人達から凌辱を受けました」
ラーラ側に座った4人以外は、驚きで目を大きく見開いた。
デドラとピナが両側からそれぞれ、ラーラの椅子の肘掛けに手を置く。その両方の手の上にラーラが手を載せた。
「確かに身籠もっているかも知れません。しかしバルとは結婚後も体の関係を持ってはおりませんので、バルの子ではない事は確かです」
ラーラは国王と宰相とガットを順に見て、リリに目を止める。
「バルの機嫌が悪かったのは、わたくしの行方が分からなかったからなのです」
そう言うと視線を一人一人戻し、ラーラは国王を見た。
「わたくしの誘拐にはパノ・コーハナル殿の署名と封印がされた手紙が使われました。筆跡はパノ殿の物でもコーハナル家の使用人達の物でもありません。誰の筆跡なのかはまだ分かっておりませんが、封印がパノ殿の物に間違いない事は分かっております」
「それなら、パノ殿が手紙を出したのだろう」
「コーカデス侯爵閣下はパノ殿が、筆跡は誤魔化したのに自分の名と封印を使ったと見立てるのですね?」
「あ、いや、そうではない。そうではないが、だからと言ってリリが誘拐犯の訳がない!名誉毀損だ!」
「リリ・コーカデス殿が誘拐の実行犯ではないとは、わたくしも思います。それを証明するために、パノ殿からの手紙を持っているのかどうか確認させて頂いたのです」
「いや待て!そもそもその時お前は平民だったのではないか?」
「はい。誘拐され助け出され、バルと結婚した所までは平民でした」
ガットは少し落ち着きを取り戻す。
「それならリリは問題ないではないか?リリは我がコーカデス侯爵家の、貴族の娘だ」
「それは、貴族なら平民に何をしても良いと言う意味で仰っているのでしょうか?」
「当たり前ではないか」
「そうなのですね。国王陛下も宰相閣下もその様にお考えですか?」
「いや、そう言い切る事は出来ないと余は思っておる」
「なるほど。宰相閣下はいかがですか?」
「コーカデス卿の意見で概ね問題ない」
「貴族なら平民に何をしても罪にはならないと?」
「示談金を払えば良いのだからな」
「それは違います」
「は?なんだと?この私に異論を申すのか?」
「宰相閣下がどの私かは存じませんが、示談金を支払うことによって裁判を避け、罰せられる事を避けられるだけであり、罪にならないわけではございません」
「そうだな。余もそれが言いたかったのだ」
「貴族も平民も罪は罪。ただ政治の混乱を避ける名目で、この国の法では貴族に罰を免れる道が色々と用意されているだけです」
「いや、だが、リリに罪があったとしても、お前が平民の時だったのは間違いない」
「はい、その通りです」
「それなら今のお前が貴族の一員だとしても、我が家は平民相手として対応して良い筈だ!」
「はい、その通りです。しかし罪の追及は今のわたくしの、貴族としての立場で行わせて頂きます」
「いや、それは関係ない!そうではない!そうではなく、お前が純潔でないなら、貴族と結婚出来ない!そう!それだ!だからお前とバルの婚姻は無効なのだ!」
婚姻が無効でも、コーハナル侯爵家の養女になったからには、ラーラは貴族として扱われる。
その点を見逃して勝ち誇るガットに向けて、ラーラは口角を少し上げた。
その点は指摘してもしなくても、もう変わらないので残して置く。その代わりにラーラは別の点を攻める事にした。
「わたくしは貴族に成り立てですので、法令も儀礼も典礼も学んだのはここ数日。それも基本的な部分を修めただけです」
「だからなんだ?自分の知識の無さの言い訳か?」
「そうですね。コーカデス侯爵閣下は、純潔でなければ貴族と結婚出来ないと、何を根拠に仰っているのでしょうか?」
「根拠も何もないだろう?そんなのは常識だ」
「いいえ。単なる通例、あるいは単なる多数です。少数ではありますが貴族の再婚はありますし、子連れ女性の場合には確実に純潔ではないでしょう」
「何を言っておる。それらは神の許しの元にある。お前は男達と交わるのにいちいち神に許しを乞うて、一人一人と結婚していたとでも言うのか?次の男との前にわざわざ離婚を神に許して頂いていたのか?」
その発言にピナは怒りを込めた目をガットに向け、デドラは冷えた視線をガットに送る。
その様子に国王は少し怯んだ。しかしラーラを睨み付けていたガット本人も宰相も、その様子には気付いていなかった。
「貴族の結婚は神の許しがなければならないと仰るのですね?」
「当たり前だ。平民でもそうだろう?」
「結婚式が神殿で行われる様になったのは、この国の歴史の中ではそれ程古い事ではありません」
「は?なんだと?」
「それ以前、貴族は国王陛下に夫婦の誓いを立てました」
「いや、それは昔の話だ」
「つまり昔の結婚は全て無効だと仰るのですね?」
「そんな事は言っておらん!」
「そうですね。そうでなければ御自身の御先祖様の婚姻を認めない事になってしまいますものね」
「なに!」
「御自分の御先祖様が婚外子だと認める方は、貴族なら中々いらっしゃらないでしょう」
「お前!何が言いたい!」
「バルは素敵な人です」
「は、はあ?」
「純潔を失って、触れ合いさえ出来ないわたくしなのに、それでも良いと妻にして下さいました。コーカデス侯爵閣下がなんと仰ろうとも、わたくしはバルと添い遂げます」
「勝手にしろ」
「はい。そうさせて頂きます。そしてコーカデス侯爵閣下はわたくし達の婚姻無効を訴えられましたので、それについては徹底的に戦わせて頂く準備があります」
「なんだと?」
「どう言う事だ、コードナ卿?」
宰相がゴバに尋ねる。
「どうも何も、ラーラの言う通りだが?」
「今日の話し合いで、済ませるのではないのか?」
「召喚状にはそう書いてあったな。しかし陛下には今日解決させなくても良いとのお言葉を頂いている」
「陛下。勝手な事は困ります」
「宰相。どの道、この場で解決などできんだろう?」
「いえ、訴えを取り下げさせれば良いのですから」
「わたくし共は取り下げません」
その声に宰相がラーラを睨む。
「何を言っている。そちらはもう論点がないだろう?手紙は捨てられ、使用人には罰が与えられているのだ」
「リリを誘拐犯だとは思ってないと言っていたではないか?」
ガットもラーラを睨みながらそう言った。
「なんとしてもリリに罪を着せる気か?」
「罪を捏造したり、冤罪を被せるなどは致しません」
「それならば、どうなれば納得するのだ?手紙はもうない。使用人も行方知れず。まさか使用人を探して来なければリリに罪を着せて、神殿送りにさせるなどとは言わんだろうな?」
「なぜ神殿送りなのですか?」
「それでは国外追放か?」
「どう言う意味でしょうか?」
「まさか、死を求めるなどとは言わないだろうな!」
「なるほど」
「何がなるほどだ!」
「コーカデス侯爵閣下に取っては、神殿送りも国外追放も罰なのですね?」
「当たり前だ!貴族子女に取って、最大の恥辱ではないか?!」
「恥辱?男達に力尽くで凌辱されるよりもですか?」
「あ、いや、そうではないが」
「そうですね。男性には分からないのかも知れません」
「ま、まさか、お前?リリへの罰にそれを求めるなどと」
「たとえ罰だとしてもわたくしが、あの様な辛く恐ろしい経験を他の方に求める事などあり得ません」
「あ、当たり前だ!死なせた方が増しだ!」
ガットの言葉に国王は苦い顔をして、宰相は小さく肯いた。ピナは瞳の怒りの熱を更に上げ、デドラは蔑みで更に熱を下げた視線をガットに向ける。ゴバとルーゾの首筋にもこめかみにも血管が浮き出る。リリは顔を伏せた。
ラーラはガットの言う通りだと思い、宰相と同じ様に小さく肯いた。
「ですが神殿送りも国外追放も、罰にはなり得ないのではありませんか?」
「何を言っておる!」
「神殿に籠もって世俗から逃れ、のんびりと暮らすのが罰とは思えません」
「な、何を言っておる?」
「国外追放で母国での非難から逃れ、他国でのびのびと暮らすのが罰なのでしょうか?」
「そんな訳があるか!貴族子女に取って生活基盤をなくす事は死を意味するのだ!平民感覚で物事を判断するな!」
「生活基盤を失くせばそうかも知れませんが、リリ・コーカデス殿が神殿に入ろうが国外に出ようが、コーカデス侯爵閣下は生活を支援なさいますよね?」
「そんな、あり得もしない事には返事をする価値もない!」
「そうですか。ですが、罪を犯した使用人を庇ってその家族全員と共に領地に匿い、使用人本人も家族も仕事をせずとも暮らしていける様に助けようとなさるコーカデス侯爵閣下なら、リリ・コーカデス殿がどこで暮らす事になっても援助なさるとわたくしには思えます」
ガットは思わず腰を浮かせた。それに反応して近衛兵が身構える。
「な、なんだと・・・?」
「ラーラ・コードナ。それはどう言う意味だ?」
国王の言葉に、ラーラは顔を向けた。
「パノ殿からの手紙を紛失したとされて解雇された元使用人は、コーカデス侯爵領のとある街で隠れ住む様に命じられていました。働かずとも家族全員が暮らしていけるお金が、毎月コーカデス侯爵家から頂けるそうです」
「そんな馬鹿な!あり得ん!」
「そう仰ると言う事は、コーカデス侯爵閣下はご存知なかったのですね?」
「当たり前だ!」
「では、国王陛下。その様な支出があるのかないのか確認する為に、コーカデス侯爵家の収支調査をして頂けますか?」
ラーラの言葉に宰相が立ち上がった。
「貴様!何を言っている!不敬だぞ!」
「不敬?どこがでしょうか?」
「国王陛下に対して命じるなど!」
「お願いしたまでです。陛下がなさらないと仰るなら、それで結構ですので」
「余が退けるのが分かって申したのか?」
「いいえ陛下。調査頂けると思っております」
「それが不敬だと申すのだ!」
「宰相閣下。コーカデス侯爵家の元使用人が手にするお金を誰が支払うのか、もしかして宰相閣下はご存知なのですか?」
「はあ?何故私が知っているのだ?あり得んだろう?」
「わたくしは貴族に成り立てですので、今の話の流れで宰相閣下が知らないとの結論がどうして出るのか分かりません」
「なんだと?」
「今回の召喚に当たって、宰相閣下は申請の取り下げを求めていらっしゃる様ですが、それはわたくしの誘拐事件の真相を究明させない為でしょうか?」
「貴様!私を疑うのか?!」
「今日までは疑ってはおりませんでしたが、今日の宰相閣下の御様子では、疑わざるを得ません」
「なんだと貴様!」
「今日はパノ殿の手紙の件で喚ばれましたので、宰相閣下の嫌疑に付いては改めてお話の時間を頂ければ結構です」
「貴様、私は宰相だぞ」
宰相はもの凄い形相でラーラを睨んだ。
「存じております」
「その私を裁くとでも言うのか?」
「宰相閣下が無実であるならその様な事にはならないでしょう。しかし宰相閣下も法の下にあります。我が国では、平民だから裁かれて、宰相だから裁かれない、などの身分差はないと学びました」
「ラーラ」
「はい、お養父様」
ラーラは宰相から視線を外さずに、ルーゾに返事をする。
「その辺にしておきなさい」
「そうだな。それ以上口にしても、あまり益はない」
「分かりました、お義祖父様、お養父様」
ラーラはそう言うとゴバとルーゾの順に視線を巡らせ、次にピナとデドラと順に目を合わせた。




