謝罪
「それではコーカデス卿。将来の話も決まりましたし、今すべき事の話を致しましょうか」
「はい、ミリ様」
レントがミリに笑顔を向ける。
ようやく自分が求める種類の話し合いのスタートラインに立てた事に、ミリは少しの安堵と、少なくない疲労を感じた。
しかし領地開発の検討はまだ始まらない。
レントの祖父リート・コーカデスがミリに声を掛けた。
「ミリ様」
「はい」
「その前に、私から謝罪をさせて下さい」
「リート?」
レントの祖母セリ・コーカデスの、リートの腕に触れている手に僅かに力が籠もる。リートはセリの手を覆っている自分の手の、押し付ける力を僅かに強めた。
リートは真剣な表情でセリに肯いて、視線をミリに向け直す。
「ミリ様に謝罪をさせて下さい」
ミリは一瞬視線をリートから逸らした。リートからの謝罪に、思い当たる節はない。後ほど謝罪するとは言っていた、レントに好き放題言わせた事だろうかとも思ったけれど、その件ならこの後もまだまだレントは言うだろうし、ミリもさんざんな事をレントに言っている。
一方でセリには心当たりがあり、リートを見上げる顔の眉尻が下がった。
リートが低い声をミリに向ける。
「私はミリ様を悪魔の子と呼んでいた」
「リート」
セリの声はか細く擦れた。
リートはセリの手を放し、ミリに向かって深く頭を下げた。
「誠に申し訳ありませんでした」
「顔を上げて下さい、リート殿」
ミリの声が幾分冷たく響く。
「わたくしは悪魔の子と言われ慣れていますので、陰で言われている分には、まったく気にしておりません」
「ミリ様。謝罪を受け入れて頂けませんか?」
リートが顔だけ上げてミリに尋ねた。
「わたくしは気にしないのですから、構わないではありませんか」
「いいえ。ミリ様とレントの話を聞くうちに、領地開発にはミリ様が必要だとのレントの意見は正しいと私は思う様になりました」
「だから謝罪を?」
「はい。この先レントは、ミリ様の助力を乞い続ける事になるでしょう。そして本当にコーカデス領を再興できるのではないかと、ミリ様とレントの会話を聞いていて感じたのです」
「わたくしはまだ領地開発に付いては、大した事を口にしておりませんけれど?」
「領地開発自体よりは、レントとの遣り取りです。正直なところ私には、二人の会話の展開が早過ぎて、付いていくのがやっとでした」
「確かにコーカデス卿の話の転回は、いささか急なところがありますけれど」
「それをミリ様はコントロールなさっていましたし、方向修正もして下さっています。私はレントから領政などに付いてのフォローを頼まれておりますが、レントが望む速度でフォローを出来る気がしません。レントは二人で受付をすれば行列がなくなると言いましたが、それは他の誰かとではなく、コーカデス領の為には、ミリ様とレントの二人である必要があると私は理解しました」
「失礼ですが、リート殿」
「はい、ミリ様」
「リート殿の発言は、責任を放棄していらっしゃる様に聞こえてしまいます」
「そうですね。私に取れる責任は、もうないのかも知れません」
「それで失敗があれば部外者のわたくしに、責任を取らせると言うお話ですか?」
「いいえ」
リートはゆっくりと首を左右に振ってから、顔を戻してミリに向ける。
「私はミリ様がレントと共に、コーカデス領を再興させて下さると感じたのです。既に信じたと言ってもいい。そしてコーカデス領が再興した後になって、ミリ様を悪魔の子と呼んでいた事を謝るのは、こう、格好が付かないと、そんな事を思ったのです」
リートはそう言うと視線を落とし、少し寂しそうな表情を見せた。
「リート」
心配そうな目を向けるセリにリートは僅かに微笑むと、顔を上げてミリを見る。
「先程、レントから指摘もありましたが、コーカデスが侯爵から伯爵に降爵したのは、私が間違えていたからです。そして伯爵から子爵になったのも、私に責任がある」
「え?お祖父様?」
口を挟もうとするレントを視線で抑え、リートはミリに向き直ると言葉を続けた。
「伯爵に降爵させた私が領政に口は出せないと、それこそ責任を取らない考え方をしておりました。その結果スルトは手探りで領地を治めねばならなかった。つまりミリ様にコーカデスの再興をお願いすると言う事は、私の過ちの後始末をして頂く事になるのです」
リートはミリを見詰め、ミリもただリートを見詰め返す。
「ミリ様」
「はい」
「そもそもラーラ様を貴族と認めないとした時に、私は過ちを犯していました」
「いえ、お祖父様。それは曾お祖父様が決めた事です」
口を挟んだレントに向けて、リートは「いいや」と首を左右に振る。そしてミリに顔を戻して言葉を続けた。
「バル様とラーラ様が結婚したと聞いた時、私はバル様に対して怒りを感じていました。そしてバル様とラーラ様の仲を裂いてやろうとしていたのです。ラーラ様の身に起こった不幸もいい気味だと思いましたし、目に見える形で二人をもっと不幸にしたかった。そこには領地の事もコーカデス家の事もリリの事もなく、ただ私の面目が潰された恨みだけがあったのだと、今になって思います」
「リート」
セリに対して僅かに口角を上げて見せて、リートは再びミリを向く。
「レントの曾祖父がラーラ様を恨んだ時も、その過ちを認め、正す責任が私にはあった。父を諫められるのは私しかいなかった。私にはそれが出来た筈なのに、怒りに目を眩ませてしまった。その尻拭いをすべて今、レントに負わせようとしています。そしてそのレントは多分、ミリ様の助けを心から必要としている」
リートに見詰められて、レントは言葉が出なかった。
リートは再びミリを見る。
「コードナ侯爵家にはスルトが正式に謝罪をしておりましたが、私からもミリ様に心からの謝罪をさせて下さい。ラーラ様を悪魔と呼んでいた事。ミリ様を悪魔の子と呼んでいた事。ミリ様を侮っていた事。ミリ様がレントを誑かすのではないかと疑っていた事。その他、様々な点で私が間違えていた事に対して、ここに謝罪致します。申し訳ございませんでした」
リートは深く頭を下げた。
「わたくしからも謝罪致します、ミリ様」
リートの隣でセリも深々と頭を下げる。
「わたくしもリートと同じでございます。誠に申し訳ございませんでした」
まだ子供で身長の低いミリに向かって頭を下げる為に、二人は腰をかなり深く折った。
その二人の後頭部を見詰めていたミリは、顔を上げてレントを見る。レントがミリの視線に気付かずに、目を見開いてリートとセリを見詰めているのを見て、ミリはリートとセリに視線を戻した。
「顔を上げて下さい。リート殿、セリ殿。謝罪を受け入れます」
その言葉にリートとセリは体を起こす。
「ミリ様、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人がまた揃ってミリに頭を下げた。
そしてセリが先に顔を上げる。
「ですがミリ様」
「ええ、セリ殿」
何を言うつもりなのかと、リートも体を起こしてセリを見た。
「ミリ様とレントとの結婚には、わたくしはどうしても賛成出来ないのです」
声を震わせながらそう言うセリに、リートは小さく短く息を吸い、レントは僅かに眉尻を下げる。
そしてミリはセリに微笑みを向けた。
「それに付いてはわたくしも賛成できませんので」
「ミリ様?」
レントの表情が視界の端に映り、ミリは微笑みを深める。
「大丈夫です、セリ殿。心配いりません」
「ミリ様~」
レントは情けない声でミリの名を呼んだ。




