婚約の可能性
ミリは視線をレントから、レントの祖父母、リート・コーカデスとセリ・コーカデスに向ける。
「わたくしは伯父のラゴ・コードナが爵位を嗣げば平民となります。学院に通うとしても、平民クラスを選択する予定です」
「え?」
リートもセリも目を見開いた。
貴族の子女が平民クラスを選ぶなど聞いた事がない。そもそも選べないのではないのか?そう考えるとなると、リートにもセリにも一つの可能性しか思い付かない。
「コードナ侯爵家は近々、代替わりをするのですか?」
コードナ侯爵ガダはリートと同世代だ。リートは降爵の責任を取って爵位を息子に譲ったが、ガダはまだ現役を続けられる年齢ではある。しかし早めに家督を譲る事はあり得なくはない。
リートの言葉にセリも肯きながら、二人揃ってミリを見詰めた。それにミリは「いいえ」と首を小さく左右に振って返す。
「その様な予定はありません」
「え?」
否定されてしまってミリの意図が掴めなくなり、リートとセリの眉根が寄った。
「今の身分のまま、平民クラスに入るのですか?」
「はい。そうなると思います」
ミリの事だから、それが可能な事は調査済みなのだろう。しかし、だからと言って、理由が一向に分からない。
「それは一体、何故なのですか?」
「ミリ様?在学中は身分が保証されるのですよ?ですからたとえ代替わりの予定がある場合でも、貴族クラスのまま学院を卒業できる筈ですけれど?」
ミリが知っているだろうとは思えたけれど、セリは尋ねずにはいられなかった。
「ええ、存じています。ですが貴族クラスで習える事は既に、わたくしは身に付ける事が出来ていると、周囲の方に言って頂けています」
ミリの言葉にリートもセリも肯いて返す。
所作にしても会話内容にしても、学院で習うレベル以上の事をミリが既に身に付けている事が覗えた。
「ですので学院には通わないか、通うとしたら学科が難しいとされる平民クラスにしようかと考えているのです」
「平民クラスですと万が一、ラゴ様が爵位を譲り受けた場合に、身分の保証がされません」
ミリが分かってない筈はないだろうと感じながらも、セリはそう訪ねる。
「はい」
ミリの表情が和らいだ様に思えた瞬間、セリの脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。
「あの、もしかして、婚約者がそれを望んでいるのですか?」
「え?」
レントは慌ててセリを見上げてからミリに驚いた顔を向け直したが、ここまでミリの話に納得出来ていなかったリートはセリの言葉に肯いた。
「ああ、なるほど。平民と婚約していると?」
ミリが貴族との婚姻を結ぶ事は無理だと、リートもセリも考えていた。それを望む危険があるのはレントくらいだ。バルが結婚させないのも、貴族相手の話だろうと二人は思っている。
だが相手が平民なら話は違う筈だ。コードナ侯爵家やコーハナル侯爵家やソウサ商会との繋がりが持てるのならば、ミリの出自に目を瞑る家も少なくないと思われる。平民なら名誉より実利を取るだろうし、生まれた時から傷もののミリを嫁に取る事で、コードナ侯爵家に対して恩を売る事まで考えるだろう。
そしてレントは、ミリが既に婚約しているのなら、ミリが交際練習を取り止めると言った理由も納得できる事に気が付いた。だがそれならミリが、一旦は交際練習を受け入れた理由が分からない。
しかしミリはまた、「いいえ」と首を小さく左右に振って返す。
「違います。その様な事はあり得ません。わたくしの父はわたくしを結婚させないと公言もしています。それは貴族相手に限った事ではありません。ですのでわたくしが婚約したりする事はあり得ないのです」
「え?それでは」
「ミリ様は学院卒業後はどうなさるのですか?」
「投資活動を今も行っていますが、それを中心に引き続き行います」
「結婚はなさらないのですね?」
「はい」
ミリは自分が学院に入学しない可能性が高い事は、この場では口にしなかった。それを口に出せば、留学するかも知れない事を説明しなければならなくなるかも知れないし、留学の話をすればまた、ミリが留学してはならない理由をレントに長々と説明されてしまうだろう。
感情を荒げてしまった昨日の事に付いては反省をしているけれど、まだミリの気持ちは落ち着ききっていない。今レントに余計な事を言われたら、また言う必要のない事を言ってしまいそうだ。
そんな話よりミリは、領地開発の話がしたかった。今日朝早くにコーカデス邸を訪ねたのは、じっくりと領地開発の話をする為なのだし。
「ですので領地開発の手助けをさせて頂いている間に、わたくしの身分が平民となる可能性があります。その時にコーカデス卿とわたくしの交際練習は見直される事になるでしょうし、それを念頭に置いて頂いて、コーカデス卿の交際練習相手を探して頂かなければなりません」
ミリはこれで交際練習の話は終えられると考えていた。しかしレントは黙ってはいられなかった。
「何を仰っているのです、ミリ様」
レントの表情に、話が長引く事をミリは覚悟する。
レントの交際練習相手を探す話は余計だったと後悔し、昨日から余計な事を言っては気持ちを波立たせてしまっている自分に対し、ミリは小さく息を吐いた。




