速度と温度の差
使用人からの報告を受けて、レントの祖父リート・コーカデスと祖母セリ・コーカデスは慌てて身支度を整えて、執務室に向かった。
応えを受けて執務室に入ると、執務机の傍に孫のレントと見知らぬ少女が立っている。顔も知らないその少女が誰なのか、リートもセリも知っていた。
「ミリ様、紹介させて下さい。祖父のリートと祖母のセリです」
リートとセリが言葉を挟む隙も無く、レントはミリに二人を紹介する。
「コードナ侯爵ガダの三男バルの長女ミリです。よろしくお願いします、リート・コーカデス殿、セリ・コーカデス殿」
格上に当たるミリから挨拶をされたのなら、挨拶を返さない選択肢はリートにもセリにもない。
「お、お初にお目に掛かります、ミリ・コードナ様。コーカデス子爵レントの祖父リート・コーカデスです」
「お目に掛かれて光栄です、ミリ・コードナ様。コーカデス子爵レントの祖母セリ・コーカデスでございます」
リートの声は少し擦れたが、セリは落ち着いた様子を作って挨拶を返す。
「こちらこそ光栄です。わたくしの事はミリと呼んで下さい」
「ありがとうございます。わたくしの事はリートと呼んで下さい、ミリ様」
「ありがとうございます、ミリ様。わたくしの事はセリとお呼び下さい」
ミリはリートとセリに微笑んで見せた。そのミリの様子からはリートもセリも、なんの気負いも感じ取れない。それは極自然な笑みだ。
「ありがとうございます、リート殿、セリ殿。前触れもなく突然の来訪の無礼、許して下さい」
頭を下げるミリに「いえいえ」と、レントが片膝突いてミリの顔を見上げた。
「お顔をお上げ下さい、ミリ様。わたくしがミリ様をお連れしたのですし、ミリ様はコーカデス領の為にわざわざ来て下さったのです。詫びるのは無理を願ったわたくしです。そうですよね?お祖父様?お祖母様?」
そう言って振り向いたレントに、リートもセリも肯いて返す。
「あ、ああ、そうだな。ミリ様。御訪領頂き、ありがとうございます」
「遠いところを足を運んで頂き、ありがとうございます、ミリ様」
「受け入れて下さり、感謝します。リート殿、セリ殿」
リートもセリも、想定よりもずっと早く、そして前触れもなく、突然ミリが訪ねて来た事で、ミリへの警戒の準備が心に整う前にミリと言葉を交わしてしまっていた。その為、ただの上位貴族の令嬢に接した気分になって、二人が持っていた筈のミリへの嫌悪感が湧いて来ない。
嫌悪の理由を忘れた訳ではないのにそれをミリに向けられない事に対して、リートもセリもレントの筋書きを感じたけれど、それも含めて今の状況を二人とも受け入れていた。
そしてリートが侯爵として現役の時には、リートとセリの上位に当たるのは公爵家当主夫妻と王族だけだった。公爵家の既婚者は侯爵当主夫妻と同格、公爵家の未婚者は格下だったので、その当時の自分達より格上の令嬢とは王女だけであった。リートもセリも自分では気付いてはいなかったけれど、格上の令嬢としてミリを扱う事で、王族に向ける意識を無意識にミリに向けてしまっていた。それはコーカデス家が降爵する前から社交が途絶え、リートとセリの心の中で、格の上下への対応が更新されていなかった所為でもある。
「あの、ですが、レント?」
「なんでしょうか?お祖母様?」
「ミリ様も今、到着なさったのですよね?」
セリがミリではなくレントに声を掛けたのは、ミリを避けてレントと会話をする事で、いつもの自分のペースを取り戻そうとする無意識の選択だった。
「はい。わたくしと共に、つい先程」
「それでしたら応接室にお通しして、少し寛いで頂いたらどうですか?今、客室の準備もさせていますし」
「お気遣い頂き、ありがとうございます、セリ殿」
セリとレントの会話にミリが口を挟む。
「しかしわたくしが少しでも早く、レント殿に資料を見せて頂きたいとお願いしたのです」
「わたくしもミリ様に少しでも早く相談に乗って頂きたくて、ミリ様の意向に甘えさせて頂いてしまいました」
ミリの微笑みにリートが微笑みを被せた。
「そう、なのですか」
「ええ」
「はい」
ミリとレントにペースをリードされて、気持ちの落ち着かないセリの微笑みは僅かに引き攣る。
その、何とかペースを整えたいセリに、まだ気持ちが追い付いていないリートを巻き込んで、ミリが更に踏み込んだ。
「リート殿、セリ殿。お二人はこの後、時間は取れますか?」
「え?ええ」
「構いませんけれど、何に付いての時間なのでしょうか?」
「これからレント殿と話し合うのですが、よろしければお二人にも参加頂きたいと思いますが、いかがでしょう?」
「ミリ様。祖母にはコーカデス家に付いてわたくしの代理をして貰いますし、わたくしは当主としても領主としても祖父にフォローをして貰います。打ち合わせへの参加は、少なくとも祖父は必須とさせて下さい」
「分かりました。リート殿?セリ殿?この後のお二人の予定に合わせますので、教えて貰えますか?」
「あ、いえ、特には」
「わたくしも予定は大丈夫ですが、ミリ様?お疲れではありませんか?」
ミリとレントの勢いに、セリが何とかブレーキを掛けようとする。
「後程休憩は取らせて頂きますが、それは一人で考えて構わなくなってからにします。それまでは皆さんの意見を訊かせて下さい」
大変な事になったとリートもセリも思った。
王都からの騎馬での旅が、疲れない筈はない。それもレントがコーカデス邸を出発してからの日数を考えたら、かなりの強行軍だった筈だ。
それなのに着いたばかりで直ぐに話し合いを求めて来る少女に、話し合いを後回しにする事が出来る様な理由を思い付かない。
そして話し合いで発言を求められでもしたら、どれ程高いレベルの回答を期待されるのか分からない。何しろ相手は王族にも畏れられていたデドラ・コードナとピナ・コーハナルの二人から英才教育を受け、手強いレントが優秀と評し、国王にも王妃にも王太子にも気に入られ、数多の貴族家にも認められていると言うのだ。
リートもセリも揃って喉をごくりと鳴らし、その事に自分達では気が付かないまま、低い声で「はい」とミリに揃って返した。




