追い越す
夕方の内にコードナ侯爵邸とコーハナル侯爵邸を訪ねて、ミリとレントの交際練習を開始する報告を両家に伝えた。
コードナ侯爵夫妻もコーハナル侯爵夫妻も、前以てミリから説明を受けていたし、レントがプロポーズに賛成をされた事も予め連絡を送っていたので、微妙な雰囲気ではあったものの、揉める様な事なく受け入れられた。
コーハナル侯爵邸から帰るバルとラーラとレントをミリが玄関で見送る。
「今日もこちらに泊まるのかい?」
「はい」
寂しそうなバルにミリは微笑んで答える。
「しばらくディリオに会えなくなりますので、少しでも傍に居ようと思います」
「そうか」
ディリオを優先するミリに、バルはもう少し寂しさを募らせた。
ラーラがバルをちらりと見てから、ミリに顔を向けて尋ねる。
「ディリオは良いけれど、準備は大丈夫なのよね?」
「はい。治療院にも助産院にもしばらく通えない事は伝えてあります。ヤール伯父ちゃんに語学教師の面接も中断して貰いました」
「それは聞いたわ。護衛の手配も大丈夫よね?」
「はい。騎馬での旅程になる事を予め伝えてありましたし、急でしたが体制を整えて貰えましたので、前回と同じ人数を手配して頂けました」
「予め、内容と期間の見積もりは伝えてあったけれど、それは変わらずで良かったんだよね?」
「はい、お父様。手配して頂き、ありがとうございました」
「いや、まさか明日とは思わなかったけど、届いた手配完了の書類を見る上では大丈夫そうだからね。明日の出発前にも、直に確認するけれど」
そう言うバルの表情を見て、ラーラは眉尻を下げた。
「そんなに心配そうにしなくても、初めてじゃないのだから大丈夫でしょう?」
「いや、ラーラは心配しなさ過ぎじゃないか?」
「でもミリは王都の外に行商にも出ているし、何度か遠出もしているし、護衛もバルが育てた人達でしょう?心配いらないわよ」
「お父様?私も護身術を教えて頂いています。決して無理はしませんから」
「いや、そうだけれど」
「バルは心の準備が出来ていないのよね?でもコーハナルの邸の前で、いつまでも話を続けている訳にも行かないし、明日の朝またミリには会えるのだし、もう帰りましょうよ?」
「そう、だな・・・レント殿」
「はい、バル様」
「明日の朝は我が家に寄ってくれ。ミリとも一緒に朝食を摂ろう」
「分かりました。ありがとうございます」
「お父様?いつもより早い時間になりますけれど、大丈夫ですか?」
「構わないよ」
「準備しておくから心配いらないわ」
「分かりました。よろしくお願いします」
「よろしくお願い致します」
ミリに続けてレントもバルとラーラに頭を下げた。
バルとラーラと同時にレントも馬に跨がる。
「それではミリ様、明日からよろしくお願いします」
「はい。また明日、レント」
「あ、はい。また明日、ミリ」
ミリの言葉が砕けていて少し戸惑ったけれど、レントはそれに合わせて砕けた挨拶を返した。
その様子をバルは少しモヤモヤしながら、ラーラは少しニヤニヤする口元を手で隠しながら、見届けていた。
翌朝は予定通りの時刻にミリとレントはコードナ邸を出発した。
言いたい事がまだまだあったバルがすんなり送り出したのは、出発が遅くなって暗くなっても目的地に着かなかったりすれば、ミリが危険だと分かっているからだ。
ミリが「万が一」などと言いつつ野営の道具を用意していた事にも、バルは本当は文句を言いたかったけれど、レントがミリを必ず宿に泊めると言った言葉を信じて、送り出す事にした。もちろんバルはレントに釘も刺している。
ミリとレントはコーカデス領まで騎馬で向かうが、その乗り方には試行錯誤があった。
前回ミリがコーカデス領を訪れた時は、ミリとレントはそれぞれが馬を操ったし、今回も出発時にはそうしていた。
しかしそれだと、先を急ぐ今回は、馬を進めながら二人が会話をするのは難しかった。
それなので同じ馬に二人で一緒に乗ってみたけれど、レントが前でもリリが前でも声が聞き取り辛く、相手に声を伝える事に気を取られると馬への指示がなおざりになり、危険だし速度も上げにくい。
最終的にミリもレントも護衛との二人乗りにして、護衛に二頭の馬を並走させて貰い、護衛の後ろに座ってお互いを見ながらなら、話が伝わりやすいし速度も出す事が出来た。
王都とコーカデス領を結ぶ街道は、徒歩や馬車や騎馬で人々が往き来している。その為に、それぞれの手段で一日に進める間隔で、宿泊できる宿が存在していた。
レントはバルとの約束を守る為に、騎馬で使う宿屋に泊まろうとしていた。しかしミリはそれを良しとせず、それより先の徒歩や馬車で使う宿がある場所まで進む事を求めた。
馬車向けの宿ならそれなりだから良いけれど、徒歩向けは騎馬向けよりは安宿になる。
レントはその様な所にミリを泊めたくないし、ハクマーバ伯爵領でミリが盗賊に襲われた事もあるから、ミリの護衛達も警護に問題があるとして反対するけれど、ミリがどうしても譲らず、なんなら夜通し走る様な事まで言い出したので、一行は仕方なく警備上の懸念のある安宿も利用する事になった。
しかしミリが譲らなかったお陰で、レントが野営しながら王都に向かって来た時と変わらない日数で、コーカデス領に着く目処が立っていた。
王都からコーカデス領に向かう馬車の中。
レントの叔母リリ・コーカデスは手にしたミニチュアの花瓶を眺めながら、考えに耽っていた。
レントからミリへのプロポーズに賛成はしたけれど、もし本当にレントがミリにプロポーズをしたりする事があったら、自分はやはり反対するだろう。
しかしそれは正しいのだろうか?
もちろん血を守る為には正しいけれど、他の事が間違っていても、それを守れさえすれば、正しい行いだと言い切って良いのだろうか?
馬車が急に停車する。
何かあったのかと窓の外を確認しようとすると、馬車の扉がノックされた。
馬車の扉の前にはレントとミリが立っていた。
「え?ミリ様?」
「こんにちは、リリ殿」
「叔母上」
「え?ええ、当主様」
「ミリ様に交際練習を受け入れて頂けました」
「え?交際練習?・・・え?!交際練習?!本当ですか?!ミリ様?!」
「はい」
「叔母上がプロポーズに賛成して下さったお陰です」
「レント殿と交際練習をさせて頂く事になりましたので、これからは何かとお会いしたりお話ししたりする機会もあると思いますが、よろしくお願いします、リリ殿」
「あ、いえ、こちらこそ、よろしくお願い致します、ミリ様」
「では叔母上、わたくし達は先を急ぎますので」
「え?」
「先にコーカデス領に参りますので、そちらでまたお会いしましょう」
「あ、はい、ミリ様」
ミリとレント達はリリ達を置いて出発した。
リリは、レントとミリが王都より手前で行き会って折り返して来たのかと思ったけれど、交際練習を始めるのだとしたら、バル達の許可も必要な筈だと考える。バル達もミリと一緒に向かって来ていたら問題は無いけれど、その様な事は考え難かった。
「つまり、当主様は王都に行ってミリ様を訪ねたと言う事?そして二人で王都を出発して、私に追い付いたと言う事?あり得る?あまりにも早過ぎない?」
納得は出来ないけれどそれしか考えられない事に、レントが急いでいた事にミリも同意見を持っていたのだとリリは思い至る。
そして、あの時あれ以上引き留めずにプロポーズに賛成しておいた事は、きっと正しい事だったのだろうとリリは考える事にしたし、そう感じられてもいた。




