60 説得したか分からないけれど、結婚用意
ソウサ邸の広間では、バルとラーラの結婚に付いて合意が出来ていた。
ただし決まった事は多くなく、バルの祖父コードナ侯爵ゴバの出した案とそれ程変わらなかった。
まずバルの離籍。バルとラーラの結婚。バルはコードナ侯爵家の養子に、ラーラはコーハナル侯爵家の養女にする。ここまでを全て今日中に行う。ラーラのお披露目や二人の結婚披露宴に付いては、今後三家で話し合って決めていく。
平民なら書類提出だけで結婚出来るが、ラーラが望んで体調が許せば神殿での結婚式も今日行う。
口止めをした上でだが、使用人達にも事情説明が行われた。
最初は結婚に反対していたラーラの母ユーレは、自分のウェディングドレスをラーラに着させる為に用意に向かっていた。
ラーラの三兄ヤールも反対と言っていたが、今は結婚式の予約をする為に神殿に行っている。
広間には残っているのは九人で、パノもまだ帰れないでいた。このまま結婚式にも参列させられそうだった。
「バル様とラーラ、ガロン達の所に行ったらしいよ」
ラーラの祖母フェリがそう言って少し顔を蹙める。それを少し首を傾げたラーラの父ダンが「そう」と何事も無い様に流した。
ラーラの祖父ドランとラーラの次兄ワールはフェリとダンの口喧嘩が始まるかと思い、眉間に皺を寄せて目を瞑る。しかしゴバが声を上げた事で、母子の争いは起こらなかった。
「ガロンとは?」
「ラーラの育ての親です」
ダンが僅かに口角を上げて答えた。フェリはダンの様子に眉根を寄せる。ワールは目を開けたが、ドランは眉間の皺を深くした。
「乳母夫婦か?」
「乳母は別にいましたけれど、私も妻も行商に出て家にいない事が多かったので、私達の替わりにラーラを育ててくれた夫婦です」
「死んだ護衛とメイドの両親ですよ」
フェリの補足にダンは僅かに眉を顰める。
「その方達にも結婚の許可を貰いに行ったのですね」
「いいえ、最後の悪足掻きですよ」
バルの祖母デドラの言葉をフェリが否定した。
「ガロン達に味方して貰って、結婚に反対して貰おうと思ったんでしょう」
そのフェリの意見には、ダンも肯いた。
「あの」
パノが手を挙げる。
「何故ラーラさんは結婚をしたがらないのですか?今のラーラさんで良いとコードナ侯爵家は結婚を許可したのですし、バルさんも良いと言っているのです。貴族からの求婚を拒むなんて、普通はありませんよね?」
フェリとダンは視線で回答を譲り合った。
ドランが小さく溜め息を吐いたので、ドランに答えさせるよりは良いかとワールが口を開く。
「普通は拒めませんからね。平民には拒否が出来ないですし。でもラーラは自分の価値を更に下げる為に、コードナ侯爵家からの結婚許可もコーハナル侯爵家からの養家申し入れも、断りたいんですよ」
「何故自分の価値を下げるんですか?」
「それはバル様にプロポーズを取り下げて頂く為でしょう」
「ですからそれは何故?」
「さあ?あいつは頑固な所がありますから、意地を張っているのかも知れません」
ダンが肯いて話を継いだ。
「多分攫われていた間に、自分の将来を決めてしまったのでしょう」
「絶望の中で。無理もないでしょう?」
フェリが感情を乗せずに視線も向けずに言った。
パノは視線を下げて独り言の様に呟く。
「でも二人は思い合っているのに」
パノはラーラの入学初日に二人が遠ざかる所と帰りの馬車に乗り込む所しか見ていなかった。それ以来ラーラの姿は見掛けなかった。
当時のイメージに今日の二人の様子は結び付かない。ラーラの悪い噂も耳にしていたので、バルがラーラとの結婚を考えていたなどとは思わなかった。
パノの呟きにフェリが返す。
「ラーラの考えは分かりませんが、バル様を大切に思っていたのは本当ですよ」
「そうですね」
デドラが肯いた。
「でもバルと結婚する気は元々なかったのでは?ラーラさんには縁談も来ていましたよね?」
ダンが「ええ」と答える。
「取引先の息子ですね。その件についてはコードナ侯爵家の皆様にご面倒をお掛けして、申し訳ありませんでした」
「ラーラさんにバルと結婚して欲しいと考えていましたので、構いません」
「え?ラーラをバル様と?」
「ええ。バルの母のリルデがラーラさんを嫁に望みました。わたくしもそれに賛成していたのです」
「しかしコードナ侯爵家にはなんのメリットもないのでは?」
「先ほどゴバも申しましたが、貴族も子や孫の幸せは望むのです。跡取り相手になら難しいですが、バルでしたら」
「そうだったのですか」
「でもラーラさんは結局、お見合いする事を選んだのですよね?」
「ええ」
「それですので、ラーラさんはバルとの結婚は考えていないと思い、わたくし達は諦めていたのです。ラーラさんも言っていた通り、バルとラーラさんが結婚してもソウサ家にはデメリットしかないと、わたくし達も考えました」
ダンは言葉を返せなかった。ラーラがバルとの結婚を望む訳がないと考えていたからだ。
言葉を詰まらせたダンをパノが追い込む。
「でも今日の様子ですと、ラーラさんもバルさんを思っていますよね?ラーラさんがバルさんに感じているのは、友情だけではなく愛情だと私は思いましたけれど、いかがですか?」
パノはデドラとダンを見た。ダンは言葉を詰まらせたままだったが、デドラが「そうですね」と返した。
小さく息を吐いたフェリが「でも」と声を出す。
「本人がずっと自覚してなかったから、どっちにしてもこうなったのかも知れません」
「そうですね。自覚が遅かったのはバルも同じですし」
「実はしばらく前に、ラーラ殿と結婚したいとバルから相談を受けていた」
ゴバが苦い顔で口を挟む。
「その時、コードナ家から申し込んだらソウサ家は断れないだろうからと言って、私はバルにラーラへのプロポーズを保留させたのだ。もしソウサ家に話していたら、今日の様な事は起きなかったかも知れない」
ゴバの話を「いいえ」とドランが否定する。
「誘拐に貴族様が絡んでいるのだとしたら、バル様がラーラにプロポーズしていたらラーラは死んでいたかも知れません」
「そうね。キズモノにしても返す積もりだったみたいなのは、貴族様からみたら平民への単なる嫌がらせでしょう」
「嫌がらせなんてそんな」
フェリの意見にパノが力のない声を出す。
ワールがパノに向けて小さく首を左右に振る。
「黒幕を見付けたとしても、生きてるんだから良いだろうって、言いますよ」
パノの祖父コーハナル侯爵ルーゾが、バンと手のひらに拳を叩き付けた。
皆の表情が沈む。
しばらく沈黙が流れた後に、広間のドアを向いたパノの祖母ピナが口を開いた。
「ラーラさんはバルさんとの結婚に納得したかしら?」
「そうですね。バルが諦めるとは思えませんけれど、どうでしょう」
デドラもドアに目を向けながら返す。
ダンもドアに目を向けた。
「ラーラは根が冷静だから、気持ちを冷え固まらせているかも知れません」
「根が冷静なんて当てになんないよ。バル様にバカとか言ってたし」
フェリがフンと鼻から息を吐いてドアを斜に見る。
ワールが目を瞑り、また小さく首を振りながら小声で呟く。
「嫌いとも言ってしまってたな」
そして「はあ」と大き目に口から息を吐いてから、ドアを見た。
「それだけバル君と気を許し合っていると言う事だ」
ルーゾはそう言うと、大きく深呼吸してドアに目を向けた。
「そうですね。バル様もそれを許しているのですから」
そう言うとドランもドアを眺める。
ゴバは何も言わずにドアを見た。
パノは眉間に皺を寄せて、目を固く瞑っていた。
考えれば考えるほど、ラーラが遭わされた非道い仕打ちに納得が出来なかった。それを貴族に取ったら単なる嫌がらせだろうと言われたのはとても腹が立った。
そしてこの件に自分の名前が使われた事が、心底許せなかった。
パノは自分の疲労を自覚していたので、疲れの所為で感情が振れ過ぎすぎているのかも知れないとは考えていた。
しかし振れ過ぎていようと大袈裟だろうと自分の感情だ。それからは逃れられない。
眉間の皺は深くなり、パノは奥歯を強く噛み締めた。




