59 切り札
「私、キロと結婚したの」
ラーラはバルを見て言った。
「え?」
「なんだと?」
「だからお父ちゃんとお母ちゃんの娘にホントになったんだよ」
ラーラの言葉にマイとガロンは反応したが、バルは表情を見せずにラーラを見詰めていた。
「いつなの?」
「どう言う事だ?」
「お兄ちゃんに純潔を捧げる時に、あたしと結婚してってお願いしたの」
ラーラはマイとガロンを順番に見ながら答える。
「凄く悲しそうな顔をしてた。あれってお兄ちゃんはあたしとバル様を結婚させたかったからだったのね?でもお兄ちゃんは辛そうな表情だったけど肯いてくれたから、あたしからお兄ちゃんに誓いの口付けをしたの」
そう言うとまたラーラはバルを見た。しかしバルは無表情のままだった。
ラーラは不安を感じる。
バルから視線を外していた時にだけ、バルの表情が崩れていたのだろうか?それとも切り札に効果が無かったのか?
ラーラにはもう手札がない。バルには伝えないと決めていた、キロとの結婚まで話してしまった。
でも、これでバルの気持ちが変わらないなら、自分を愛してるなんて信じられない。もし自分なら、バルが誰かと結婚していたら、バルの幸せを願って、バルの幸せを邪魔しない様に諦める。
ラーラは祈る様な気持ちで、その自分の考えに縋った。
「だから私はバルとは結婚出来ない」
そのラーラの言葉にバルは視線を下げ、「ふう」と息を吐いて、もう一度ラーラを見た。
「コードナ家からは偽装結婚でも良いと提案されていたよな?キロさんとは婚姻届を出せなかっただろうから、俺とは書類上の夫婦で良い」
「なんで?なんでそんな事が言えるの?」
「ラーラが帰って来た時の状況を色々想像していたと言っただろう?ラーラが誰かと結婚して帰って来る事も考えていた。相手がキロさんのケースもだ」
「そんな・・・」
「ラーラが結婚していても、相手が死んでいたらプロポーズしようとも決めていた」
「そんなの、あんまりじゃない?」
「そうだな。あまり正気とは言えないかも知れない。でもラーラが帰って来てくれたなら、それだけで後は本当にどうでも良かったんだ」
バルは苦笑いを浮かべた後、再び表情を消した。
「ガロンさん、マイさん。二人はラーラさんの育ての親、なのですね?」
バルはラーラの育ての親ならと、二人に対しての口調を改めた。
「え?あ、はい。ラーラが、あ、いえ、ラーラお嬢様が生まれてすぐ、私は子守として、夫は護衛として、ラーラお嬢様の専属になりました。若旦那様も若奥様も行商に出ている事が多かったものですから、帰っていらしてもラーラお嬢様は私達と一緒を望んだので、小さい頃はずっと私達と暮らしていました」
「それで二人を両親と言ったのですね」
「ラーラお嬢様は言葉も私達と一緒に暮らす中で覚えたので、キロとミリが呼ぶ様にお父ちゃんお母ちゃんと私達を呼びましたし、今でも他の人が居ないときには今日の様な感じで懐いて下さっています」
「そうなのですか。それでは私は二人にも、ラーラさんとの結婚を認めて頂かなければなりませんね」
その言葉にガロンとマイはバルを見て目を見開いて、それからお互いを見た。
「私はラーラさんを愛していて、今の状況を全て分かった上でラーラさんとの結婚を望んでいます。二人にもラーラさんと私の結婚を許して頂きたいのですが、いかがでしょうか?」
「いかがも何も・・・ねえ?」
マイはそう言うとガロンを見る。
「そうだな。バル様に言われたら断れないじゃありませんか」
ガロンは眉間に皺を寄せて目を細め、バルを見た。
平民が貴族に不平を言ったり不満を表したりは出来ないので、ガロンの仕草も言葉も本来は咎められるレベルのものだ。
しかしバルはそれを許して肯いた。
「私はラーラさんと一緒に暮らせるなら、平民になるのも構わないと思っています。それにラーラさんはあなた達に結婚を反対して欲しがっている。だから構いません。ラーラさんの親として、二人の意見を聞かせて下さい」
「それは、俺達が反対したら、ラーラとは結婚しないって事ですか?」
「いいえ。二人に許して貰えるまで説得させて貰います」
「それはバル様に譲歩もして貰えるのでしょうか?私達が望めばバル様は貴族を止めると言う事なのですか?」
「そうだな。今のラーラに貴族の妻は辛いだろう。どうなんですかバル様?」
「もちろんです」
「ウソよ。お父ちゃんお母ちゃん、コードナ侯爵家もソウサ家も、あたしを貴族の養女にする予定でバル様との結婚を許すの」
「ラーラ。俺はラーラがイヤなら平民になるのも構わないと言ったろう?ラーラが両家とガロンさんとマイさんの了解を望んで、平民のままでいる事も望むなら、それで皆を納得させる。それで誰も被害を受けない方法を探し出すよ。ソウサ家もガロンさんもマイさんもコードナ家も守る」
「どうやって?」
「どうって、そのやり方ならラーラは俺と暮らしてくれるのか?それなら本気で考えるし実現させる。どうしたら俺と一生いてくれるのか、条件を出してくれよ」
言葉に詰まったラーラを見ていたガロンが、バルに顔を向ける。
「バル様。今回の件は貴族様が絡んでいると聞きました。それは本当ですか?」
「証拠は見付かっていませんが、状況的に間違いないでしょう」
「え?私が閉じ込められてた部屋は、貴族の邸じゃないの?」
「持ち主は貴族家だったけれど、不動産会社を通じて賃貸されていた。今のところ持ち主からも不動産会社からも、事件と関わっていた証拠は見付かっていない」
「そうだったの」
「バル様。貴族様が関わっているなら、平民になったらラーラを守れないんじゃありませんか?」
「守り難いのは確かですけれど、私とラーラさんは標的から外れるかも知れません。どうやって守って行くかはラーラさんと相談しながらになりますが、この国を出たりすれば追っ手は来ないかも知れませんし」
「そんな事をするより、バル様と結婚しなければラーラは安全なんじゃないですか?」
「結婚しなくても、私と離れた所で暮らしても、ラーラさんは私の弱点のままです。私を攻撃する為にラーラさんは標的にされるでしょう」
「それならバル様がラーラを諦めるべきではありませんか?」
「そうですね。でもそれは私以外の人にやって貰います。自分ではラーラさんを諦めるなんて出来ません。私を閉じ込めるなり殺すなりして貰うしかないでしょう」
「そんな」
「でもそう言う事なんです。私に取ってはラーラさんを諦めないと言う事が、人生を諦めないと言う事ですから」
「ラーラがバル様の死を望んだらどうします?」
「そんなのしないわ!絶対しない!」
「死を望まれても死にません。でも殺されても恨みませんよ。自分で諦められないだけで、辛くない訳ではありませんから」
マイが疲れた顔でラーラに言う。
「ラーラ。望まれて嫁ぐなら、それが幸せよ?」
「何言ってんのお母ちゃん。幸せになんてなれない。あたしがお兄ちゃんとお姉ちゃんを殺したのに」
「ラーラ。殺したなんて言わないで」
「でも、あたしが巻き込まなかったら二人は死ななかったのよ?二人が生き返らない限り、幸せなんて絶対感じられないわ」
「それって、ラーラが不幸なのはキロとミリの所為って言ってんの?」
「え?」
「二人の所為で幸せになれないって、そう言う事でしょう?」
「ちがう」
「どう違うの?ラーラの所為とは言わないけれど、二人はラーラの為に死んだのよ?死んでからも二人を責め続けるの?」
「マイ、よせ」
「だって」
「ラーラ。お前には罪があって、その罪の所為で幸せになれないって言うんだな?幸せになれないのがお前への罰だと?」
「うん・・・お兄ちゃんとお姉ちゃんには感謝してるんだよ?」
「分かってる。お前は自分が幸せになれないから、バル様も幸せに出来ないって思ってるんじゃないか?」
「・・・うん」
「それならバル様と結婚しろ」
「え?なんで?」
「バル様がお前の所為で幸せになれない様子を一生傍で見続けるんだ。最後まで見届けろ。それがお前の本当の罰だ」
ガロンの言葉にマイもラーラを見た。
ラーラが口を少し開けたまま言葉を返さないのを見ていたガロンは、顔をバルに向けた。
「バル様もご自分が幸せにならない所為で苦しむラーラを一生見続ける事になりますが、それで良いんですよね?」
「ええ。私が傍にいてもいなくても、ラーラさんは一生苦しむでしょう。それなら私も近くで一緒に苦しみます」
「そんな、バルは私を忘れれば」
「忘れられないって言っているだろう?」
バルはラーラに苦笑を向ける。
「ラーラ。ラーラの知っている俺は、ラーラを忘れて笑う様なヤツなのか?」
「忘れてくれて、良いのに」
「それなら俺がラーラを忘れられるかどうか、俺の傍で確かめてみないか?」
「そんな事、しなくても」
「忘れないと思っているのだろう?」
バルは苦笑を微笑みに変えてラーラに向けた。
そして表情を消してガロンとマイに向く。
「ガロンさん、マイさん。ラーラと私との結婚を認めて下さい。夫婦の形を取るかどうかはラーラとの話し合い次第になりますが、一生傍にいてラーラを守ります。お願いします」
バルは椅子から立ち上がり、二人に向けて頭を下げた。
「「こちらこそ、ラーラをお願いします」」
ガロンとマイも立ち上がり、声を揃え、二人も頭を下げた。
ガロンが立ち上がる時に腿から下ろされたラーラもガロンとマイの間に立って、両手を胸の前で握って眉根を寄せてバルの頭を見下ろす。
頭を上げたバルと、釣られて顔を上げたラーラの目が合った。
「ラーラ。ラーラが一生罰を受けるなら、俺も一緒に罰を受けるよ。幸せに出来ないし苦しませるけれど、決してラーラを一人にはしない。俺以外には傷付けさせない。必ず守る。俺と一緒で良かったと言わせてみせる。そうだラーラ。俺の言葉が本当か嘘か、賭けをしないか?俺は俺の一生を賭けるから、ラーラも一生を賭けてくれ」
「それってどうなったらどっちの勝ちなの?」
「ラーラが賭けに乗ってくれたら俺の勝ち」
「それじゃあ賭けに乗れる訳ないじゃない」
「いいや。ここまで俺がラーラに勝てなかったのは、ラーラに勝とうとしていたからかも知れない。俺が負ける様に仕組めば、ラーラが負けてくれるんじゃないかなって」
「ばかバル」
「そうだな」
そう言うとバルは片膝を突き、片手の甲をラーラに差し出した。
「ラーラ。愛している。頼むからこの気持ちを受け入れてくれ」
「バルが私を捨てたくなっても、私はバルに縋って放さないわよ?」
「構わない」
「ホントに良いの?一生しがみつくわよ?」
「ラーラを捨てるなんてあり得ないから構わないし、一生ラーラにしがみつくのは俺の方だよ。ラーラ。俺の心はもうラーラから逃げられないんだから、俺の心を縛り付けた罪を一生掛けて償ってくれ」
「私の、罪?」
「ああ、ラーラの罪だ。罰として俺と一生を生きてくれ。罰なら仕方ないだろう?」
「バルの罰になっちゃわない?」
「ラーラと同じだけ俺も罰を受けるよ。でも俺一人では耐えられない。お願いだラーラ。俺と一緒に罰を受けてくれ」
ラーラは眉根を寄せて眉尻を下げて、両手を揉んだ。
ガロンがラーラの背中に手を当てる。ラーラがガロンの顔を見ると、ガロンは疲れた顔でラーラに肯いた。ラーラがマイを見ると、やはり疲れた顔でマイも肯く。
バルを見ると、バルは身動ぎせずにラーラを見詰めていた。
ガロンが一度離した手を再びラーラの背中にトンと当てた。
ラーラは胸の前の手を放し、片手をゆっくりとバルに伸ばす。
バルの手の甲の前でラーラの手は止まるが、バルもガロンもマイも身動きしなかった。
そして更にゆっくりとラーラの手が動き、バルの手の甲に指先が届いた。
「ありがとう、ラーラ」
バルはラーラに微笑んだ。
ガロンはラーラの背中をトンとそっと叩いた。
マイは背中を少し丸めてベッドに座り込んだ。
ラーラはぎこちなくバルに微笑みを返した。




