蓋の下に隠れているもの
「バル?」
ラーラはバルを見詰める。そのラーラの真剣な視線にバルは少し怯んだ。
「なに?ラーラ?」
怯みはしたけれど、ラーラの心の蓋が開く予感もして、バルは精一杯微笑んで見せる。
その微笑むバルの目の周りだけが、ラーラの視界に入っていた。
「バルのヤキモチで私が悪くないと言ってくれるのと、私のヤキモチでバルが悪くないと言ったのと、同じだと言う様に言ったけれど、実は違うのよ」
ラーラの言葉がバルには良く飲み込めない。けれど「違う」の単語が含まれている事が、バルの心に引っ掛かった。
これはラーラが違う違うと繰り返していた話に繋がるのではないかと、バルは期待する。
それなのでバルはラーラを見詰めて言葉の続きを待つけれど、ラーラもバルを見詰めたままで、そのまま口を閉ざしていた。
バルは、話がずれたりしない様に注意を払いながら、ラーラに問い掛ける言葉を選ぶ。
「・・・それは、どこが?」
「私が」
バルには訳が分からなかったけれど、ラーラの蓋が少し開いた様には思えた。そして下手な事を言えば、ラーラの蓋が閉まってしまう事はバルにも分かっていた。
「・・・ラーラが?」
バルは下手な事を言わない為に、ラーラの言葉をオウム返しの様に返してみる。
「うん」
先程の「私が」に対しての「ラーラが?」では蓋が閉まった感じはなかったけれど、この「うん」に対しては何と返したら蓋が閉まらないか、バルには思い付かなかった。
それなのでバルは方針を直ぐに変更して、ラーラを見詰めながらラーラが言葉を継ぐ事を待つ事にする。
このバルの待ちは功を奏し、ラーラが口を開いた。
「私のヤキモチは、私が悪いの」
それは先程も言っていたと思いながらも、バルは尋ねてみる。
「ラーラが?」
「うん」
ラーラの言葉がまたそこで途切れた。
バルは待つかどうしようか悩んで、少し待って、それ以上待たずに、もう一方を訊いてみる。
「何が悪いの?」
ラーラは視線を下げた。
しかしそのラーラの様子に付いて、アプローチに成功しているのだとバルは感じ取る。この、何が悪いかの理由に、ラーラの気持ちが含まれているか隠れていると言う予感が、バルの心に生まれていた。
「私のヤキモチは、バルが悪くないの」
話が戻ってしまったかの様なラーラの言葉だけれど、その声の調子から感じる湿り気に、バルはラーラの蓋が少し開いた印象を受ける。
しかしどの様な言葉をラーラに掛けたら良いのか、バルにはまた分からない。
バルはラーラが口を開くのを待った。下手な事を言ったらやはり蓋は閉まりそうだけれど、もし今日はここで話が終わっても、明日でも明後日でも、ここからなら話の続きが出来る様な、バルにはそんな気がしていた。
「私が悪いの」
その繰り返された言葉はやはり、声がこれまでより湿っている。
バルは、ラーラは悪くないと言いたい。ラーラは悪くないと、バルはラーラを説得したい。いつもならそうしている。しかしそれでは蓋を閉じてしまう事になるだろう。今はそれが分かっている。
ラーラの心の蓋の存在を意識したバルは、いつもならここで自分が間違えている事を認識した。
それに今のバルは、ラーラは悪くないと言う説得もしたいけれど、それよりもとにかくラーラの気持ちが知りたい。
「何が悪いの?」
ラーラの気持ちを知る為には、どう訊けば良いのか分からない。けれど、ラーラが悪いと思っている事がバルにはそう思えていないから、ラーラはしきりと、違う違うと、否定していた筈だ。つまり、悪いとラーラが思っている対象こそが、本当はラーラが伝えたい事なのかも知れない。今のバルにはそう思える。
ラーラが唾を飲み込むと、思いのほか大きな音で喉が鳴った。
それが結構恥ずかしくて、誤魔化すように、その恥ずかしさがラーラに口を開かせる。
「私のヤキモチは、バルに対してよりは、バルの相手の女性に対してで・・・」
唾を飲んだのにラーラの声は擦れていた。そしてそこで言葉が途切れた。
またバルは、このまま待つか続きを促す言葉を挟むか悩む。
そしてここではバルは促す事を選んだ。
「それで?」
その短い一言でも、バルには悩んだ結果の言葉だし、それに対してラーラの蓋がどうなるか、バルは緊張を持ってラーラの反応を待つ。
「それは、私の劣等感が原因なの」
バルはラーラが劣等感を抱いているなどとは思ってもいなかった。それはラーラが嫉妬を感じていた事より、バルには衝撃だった。
バルは言葉が出なかった。どう繋げるのが正しいか分からない。
ただ、ラーラの蓋が更に開いた事は分かる。
「・・・それで?」
バルは考えて考えて、けれども何も浮かばなくて、それだけれどラーラも言葉を続けなさそうに思えて、結局直前の言葉をもう一度繰り返した。
「それだから、バルは悪くなんてないのよ」
話が途切れてしまいそうだ。
バルは自分の考えを纏める為に、時間稼ぎの言葉を口にする。
「ラーラの嫉妬の原因が劣等感なのだとしたら、その劣等感の原因は?原因はあるの?」
いや、違ったかも知れない。口にしてからバルは後悔と共にそう感じた。
「あるいは何に対しての劣等感なのか」
話のバランスを取ろうと、そう付け足してみる。
そしてラーラが答えるまでの時間で、ラーラが劣等感を持つとしたら何に付いてなのか、バルは必死に考える。
「だって・・・」
「・・・だって?」
「・・・だって、バルは私に良くしてくれて、夫として完璧だし、男性としても素敵だけれど・・・」
そんなは事ないよ、か?ラーラも良くしてくれているよ、か?ラーラの方が素敵だよ、は本音だけれど、今の答えとしては正しいか?
「褒めてくれて、ありがとう」
と言ってから、いやあ違うだろう!とバルは思った。
けれどラーラは直ぐに返す。
「ううん。事実だから」
首を小さく左右に振りながら、ラーラはそう言った。
また話が途切れそうにバルは感じる。
バルはそのまま返してみた。
「ラーラも俺に良くしてくれているから、いつも感謝しているよ?妻としても完璧だし、女性としてもラーラは最高に素敵だ」
「違うわ」
またラーラの口から「違う」が出る。
そしてラーラが視線を上げて、バルを見た。
「私は女として傷物だし、バルの妻の役目を果たしていないじゃない」
ラーラの瞳が滲む。
バルは、その事か、とやっと理解した。
そしてラーラの心の傷を知っているのに、ラーラがその事を蓋の下に隠している事に思い至らなかった自分に呆れた。
しかし呆れて終わりではない。
バルに取っては自分がどれだけダメダメかよりも、ラーラの心の蓋が開いた事の方が優先すべき情報だった。




