笑みに滲むもの
ラーラが寝室のドアを開けると、それに気付いたバルがドアまでラーラを迎えに出る。
バルの差し出す手に、ラーラは指先を預けた。
「今日は疲れたね」
苦笑を浮かべるバルに、ラーラは「そうね」と色のない声で返す。
「一杯、飲まない?」
ソファの脇に置かれたワゴンの上には既に、酒の入ったデカンタと二人のグラス、それとつまみの載った皿が用意されていた。
ラーラは俯き加減に顔を伏せながら目を閉じて、首を僅かに左右に揺らしながら、「ううん」と小さく答える。
そのラーラの様子に、ラーラをソファに誘っていたバルは立ち止まり、少しはしゃいだ様な声を出しながらラーラの顔を覗き込んだ。
「疲れ過ぎちゃったかな?」
そのバルの言葉に、微笑みを作って顔を上げて返したラーラの表情を見て、バルはベッドの方へ少し体を向ける。ラーラがそれに逆らわないので、バルはラーラのエスコート先をベッドに変えた。
バルは寝室からワゴンと使用人を下げさせると、ラーラをベッドに一人座らせて、室内の灯りを落として回る。寝室にはサイドテーブルの灯り一つだけを残し、バルはベッドのラーラの隣に腰を下ろした。
ラーラがもうベッドに横になるのか、バルは見極めようとする。しかしラーラはベッドに座った時の姿勢のまま、少しだけ顔を俯いて目を伏せて動かずに、寝そうな素振りを見せてはいない。
せめて寄り掛からせようかと思って、バルがラーラの肩に腕を回そうとすると、ラーラはバルの胸を抑え、二人の体の間に隙間を作った。
「あっ」
小さな驚きの声を上げたのはラーラだった。バルも驚いてはいたけれど、バルは咄嗟には声が出なかった。
バルはラーラの反応に、自分の何がいけなかったのか、今日の事を振り返る。
やはりミリを結婚させない事だろうか?
ラーラにはその理由がミリの出自の所為と、やはり思われてしまっているのだろうか?
父親なら、娘を嫁に出したくないなんて、当たり前なのだ。みんな、そう言っているじゃないか?俺だってそうだ。ミリの父親なんだから。ミリを嫁にやったりしたくない。
そんな普通の当たり前の事なのに、ミリの出自や俺と血が繋がっていない事を持ち出されたら、確かにそれは事実だけれど、それに勝手に納得されたり理由に使われたりするのは、俺には想定外なんだ。
確かに、ミリは嫁に出したくない。出したくないぞ。それは本当だ。
でも俺はラーラと結婚して良かったし、ラーラも俺と結婚して良かったと思ってくれていると思っている。
もちろん本気でミリを嫁に出さない、出したくないと思っているけれど、でも、そうじゃないだろう?
いや、だからと言って、レント殿と結婚させたりは絶対にしないのだけれど、でもミリ以上の令嬢なんていないだろう?嫁には出さないけれど、結婚したいとミリが思われるのは当然じゃないか。嫁には出さないけれども。
バルはラーラの事を考える積もりが、親バカモードのスイッチが入ってしまっていた。
「ごめん」
ラーラはやはり小さな声で囁く様に呟くと、座り直して上半身を捻り、バルの肩に額を付ける。二人の膝も触れ合ったけれど、ラーラの体の重心はバルから離れた。
「どうした?」
親バカモードから抜けたバルが、またラーラの顔を覗き込もうとする。
バルは十中八九、自分が何かをしてしまったのだろうと考えていたけれど、下手な事を言ってヤブヘビになっても困るので、取り敢えずは分からない振りでラーラに尋ねた。
しかし、しばらく待っても、ラーラは答えを返さない。
バルは先程よりも真剣に、心当たりを探った。
ミリのコーカデス領への投資に付いて、ダメだと言ってしまった件だろうか?
確かにラーラとミリとの三人でした話では、投資をして良い事にしていたけれど、それを自分の独断で禁止とした。
ラーラも隣にいたのに、相談しなかった事を怒っているのだろうか?
だが今のこれは、怒っている雰囲気でもない。
ラーラがレントの意見を聞こうとするのを止めさせようとしたからか?
しかしあれも結局は、ラーラの要望通りに、レントの話を聞いた。
平民になると言った事か?
ラーラへのプロポーズの時に平民になると言ったらラーラには反対されたけれど、あれは騎士になれなくなるからだった筈。
実際に今日、平民になると言った時には、反対してはいなかった。少し寂しそうな表情はしていたけれど。
留学させる事自体は、ラーラも反対しないだろう。
ミリの留学に付いて行くのも、反対する理由はない筈だ。
以前ラーラはよその国で商売をしてみたいとも言っていたし、その気持ちは今でも持ち続けていた筈だよな?
もしそうなら、商売するしないを置いておいても、ミリの留学に付いて行くのは、ラーラに取っても嬉しい筈だ。
そうすると、やはり、ミリを結婚させないから?
ラーラはミリを結婚させたいのだろうか?
もしそうなら少しでも早く、ミリの結婚を許す様に、雰囲気を変えて行かなくてはならないけれど・・・いや、無理だけれど。
ラーラがかなりの間を開けて、「ううん」とほんの少しだけ首を振った。
バルはその様子に、危機を感じる。
「なんでもない」
顔を上げる事なくそう言うラーラに、バルはヤブヘビに構っていられないと思って、思い当たる事を自分から口にする決心をした。
もちろんバルは、それが何に付いてであっても、ラーラに謝る覚悟は出来ている。




