引き返させる
「叔母上!大丈夫ですか?!」
レントは立ち上がってテーブルを回り込んで、座っていながら上半身のバランスを崩した叔母のリリ・コーカデスに走り寄る。
リリには大丈夫だと答える余裕はなかった。
頭の良いレントは一旦誤ると、直ぐに止めなければとんでもない所まで進んでしまう事がある。そうなったら間違えた所まで引き戻して、進み直させなければならない。なんて、もうそんな悠長な事を考えている場合ではない、とリリは思った。一刻も早く、何もかも間違っていると分からせなければ。
でも、どうやって?
私にはもう、レント殿を止められないのだろうか?
なぜ?なぜ止められないのだろう?なぜそう思うのだろう?
どうしたら?どうしたら止められるのだろう?どうしたら止められると思えるのだろう?
いつから?最後にレント殿を止められたのはいつ?止められなくなったのはいつ?
とにかく止めて、止められなくなった前までレント殿を連れ戻さなければ、止められない。
そこでふと、リリは自分を振り返る。
レント殿を止められなくなったのは、自分?
それはレント殿が当主になったから?領主になったから?
それとも、自分が変質したから?後見人になったから?そんな訳はない。
変質・・・ミリ様に会ったから?いえ、どうして?
そう・・・ミリ様は異質だから?
「叔母上!」
「ありがとう。大丈夫です」
「一体どうなさったのですか?」
「いえ。何でもありません。大丈夫です」
そう言ってリリは姿勢を正し、レントに微笑みを向けた。
ミリ様に会って、印象が変わったのは本当。
レント殿がミリ様に傾倒しているのではないかと思っていたけれど、ミリ様を前にしたレント殿を見て傾倒し過ぎだと思ったけれど、ミリ様本人と会って話してみたら、そうなるのは良く分かる。
私がレント殿を止められなくなった原因は、ミリ様だ。ミリ様と会って私が少し変質した様に、レント殿はその何倍も変わってしまっていたのに違いない。
だから多分、ミリ様ならレント殿を止められる。けれどミリ様とレント殿の二人を一緒にしたら、どこに行ってしまうか分からない。
でももう一人、変質したレント殿を引き返させられる人がいる筈。
「レント殿」
「はい、叔母上」
「わたくしの名誉を掛けて、バル様はわたくしには大切でもなんでもありません」
「え?ですが、叔母上とバル様は幼馴染みですよね?」
「・・・そうですけれど、どう言う意味ですか?」
「幼馴染みと言うのは、利害を越えた友愛で結ばれているのではありませんか?」
「え?なんの話ですか?」
「幼馴染みが敵対する場合なども、立場や利害は対立しますが、ですが変わらず友愛の関係が続くので、そこに物語が生まれるのではありませんか?」
「なぜ物語の話になるのですか?」
「あ、いえ。今日の叔母上とバル様の遣り取りが、意見を対立させていながらも相手への友愛が確かに形成されていて、まるで物語の様だったと思い出しましたので」
「それでわたくしの大切なものが、バル様との話になったのですね?」
「はい」
「違います」
「え?でも、叔母上がバル様を一番大切にしているのでしたら、全ての辻褄が合うのですけれど?」
「それはつまり、レント殿がどこからか勘違いをしているのです」
「わたくしが勘違い?」
「バル様を大切にしている事は勘違いですし、ラーラ様への生理的嫌悪で当主様の案に反対している訳ではないとしたら、レント殿は一体どこから勘違いをなさっていたのですか?」
レントは視線を下げて、今日の一連の遣り取りを遡り始める。
その様子を見て、リリは小さくホッと息を吐いた。
レント殿を止める事は出来ないけれど、レント殿本人なら、ミリ様に変質された自分の中を自分で引き返せる筈。
その中で、いくつかのキーワードで通行止めを作っておけば、わたくしには見付けられない正しい道をレント殿自身が見付ける筈。
「レント殿」
「はい。叔母上」
「わたくしの要望を訊いて頂けるのなら、領民を追い出す前提の政策は止めて下さい」
「え?・・・はい」
「そしてコードナ侯爵家とコーハナル侯爵家との対立もいけません。せっかく、レント殿が両家との距離を縮めて下さったのです。それをわたくしは大切にしたいと思います」
「そう、ですか。分かりました」
「それと、ミリ様とは結婚なさらないで下さい。プロポーズもプロポーズの振りもなしです」
「それは、コーカデス家の体面の為ですか?」
「体面の為でもわたくしの嫌悪が理由でも関係ありません。どの様な理由であろうと、プロポーズの振りもプロポーズもミリ様にはしないで下さい」
「叔母上の御要望でしたら、その様に致します」
「はい。そして、いずれは御自分の子供にコーカデス家を嗣がせて下さい」
「え?・・・それは、養子では駄目だと言う意味ですか?」
「当然です」
「わたくしの血を引く子供に跡を嗣がせる・・・」
「もちろん、今すぐに縁談を探す必要はなく、将来にそうして頂ければそれで構いません。ただ、その事を忘れないで欲しいのと、わたくしの子供に跡を嗣がせる為に、わたくしの縁談を調えてはなりません」
「はい。分かりました」
「そして、当主様の役に立つのでしたら、わたくしに縁談を調えて下さい」
「え?・・・よろしいのですか?」
「はい。ただしその意図としては、わたくしも当主様の役に立ちたいからです。わたくしは結婚してもしなくても構いませんので、わたくしの為ではなく、当主様や領地の為に良い縁談があるのでしたら、話を進めて下さい。どちらにしても慌てる必要はありませんが、もしわたくしが子を産んでもコーカデス家は嗣がせませんし、ハクマーバ伯爵家から養子を取るのも絶対に認めません。それは絶対です」
「分かりました」
「これらの条件を守って頂けるなら、後は当主様の思う通りにして頂いて構いません」
「・・・本当でしょうか?」
レントには疑わしい目を向けられてしまったけれど、リリにはこれ以上、条件が思い浮かばなかった。




