なるほど、そうか
ミリ様の中には矛盾がない、とレントは思っていた。
ミリは知らない事は知らないと言うし、知っている事も理由もなく隠さない。ミリとの交流を通して、レントはその事を理解していた。そしてミリが、知らない事や出来ない事を放置したりしない事も。
もちろんミリにも知らない事も出来ない事もあるけれど、それらもミリの中ではきちんと整理がされている。それだからレントは、ミリに完璧を感じているのだった。
それなのに、それだからミリに論理を口にされたら中々論破出来ない事が分かっていたから警戒をしていたのに、今日はもうお終いな気分になっていたレントは、ここに至って油断をしてしまっていた。
今日はもう疲れました、とレントはしみじみそう思う。
自分が挙げた成果としては、バルとラーラからミリとの交際練習の許可を貰えた事で充分なのだ。今回王都でやるべき事は、予定以上に上手くいったので、もう領地に帰っても良かったのだ。
けれどここで帰ったら、次にミリに会った時に、ミリとレントの相互理解が同程度なのだと訴えても、次に会うまでの間に言い訳を考えて用意したのだと指摘をされるかも知れないし、当然ミリはレントの言いそうな事に対して各種の反論を用意して受けて立つだろう。ミリのメリットを訴えても否定されるだろうし、レントのメリットは一顧だにされないだろう。面倒臭い。
もし自分がミリなら、次回は万全を期して相手の心を折りに来る。その様な相手に時間を与えてはならないと判断できる程度には、レントはミリを理解していた。それが分かっているからこそ、再会までにそれに対応する準備を整える事など、とても面倒である事もレントは分かっている。想像しただけで疲れ果てて心が折れそうです、とレントは思った。
と言う事で、レントは面倒臭くなったので、王都を離れても良い程度には、今の内にミリを納得させる事を決心する。面倒臭いけれど。
一方ミリは、レントが言葉に詰まった事を不思議に思っていた。
そして今の遣り取りを振り返る。けれど単に、相手の言葉で示す事が出来る相手の気持ちの内で、相手が最も望まないであろう状態を挙げただけだ。
あれ?とミリは内心で首を捻った。少しレントの真似をしただけなのだけれど、もしかしてレントも単に、そうしていただけ?でも何の為に?
「なるほど」
単に自分の感情を波立てて思考を邪魔させる為に、レントは意地悪な事を言ったのかも知れない。それが言葉の裏なのかも知れない。つまりレントの言葉には深い意味などないのかも知れない。
そう考えたミリはなるほどとだけ口にして、そしてレントに議論の足場を与えない為に、そこで言葉を切った。
そしてそうする事で、なぜレントがミリの思考を邪魔しようとしたのか、その理由を考察する時間を作ろうとする。
レントはミリの、なるほどに続く言葉を待った。ミリのなるほどは意外だったけれど、いつものミリなら何かを付け加える筈だ。
しかしミリは微笑みを浮かべるだけで、口を開かない。
ここで何がなるほどなのかミリに尋ねたら、またミリに論理を口にされてしまうだろう。そうしない為には先にミリに何かを言わせるべきなのだ。
レントはバルやラーラの様子を窺いたくなったけれど、それを必死に我慢した。二人のどちらかとでも目が合えば、その誰かにはレントがミリに負けた様に見えるだろう。それでレントの言動の信用を損なう事にでもなれば、今日レントがバルとラーラを納得させたと言う成果が無になりかねない。
これは面倒臭がっている場合ではありませんね、と考えて、レントは散漫になり掛けている注意をミリに集中させようと意識した。
ミリは、バルとラーラがレントに対し、ミリに交際練習を申し込む許可を与えた事に付いて、改めて考えてみる。そもそも両親が交際練習を断ったのではなく、受け入れたのでもなく、申し込む許可を与えたと言う事には、ミリは違和感を抱いていた。きっとここに、今日のレントに対しての違和感やら嫌悪感やらの理由が隠れている筈だ。
レント殿が初めに私との交際練習をお父様に申し入れた時に、お父様は駄目だと言っていた。あれはお父様の本心の筈。そして応接室に戻って来た時のお父様の様子も、交際練習に賛成している様にはとても思えなかったので、今もお父様の本音は反対の筈。それならお母様が賛成しているので、お父様は仕方なく許可をしたとしか思えない。
でも、お母様が交際練習に賛成しているのは何故?もしかしたらお父様との交際練習を思い出させられて、お母様自身と私を重ねられている?でもそうしたらレント殿とお父様を重ねてもいる?
ミリはチラリと両親の様子を窺う。そしてバルともラーラとも目が合った。バルは心配そうにミリを見ている様に思えるけれど、ミリにはラーラの表情からは何も読み取れなかった。
気持ちが読み取れないと言う事は、つまりお母様はレント殿を応援している訳ではない筈。お父様とレント殿を重ねてもいなそう。私を心配している訳でもなさそうなので、お母様としては私がレント殿の申し出を断っても良いと考えている筈。
でも私が今日のこの席を閉めようとしたら、お母様がレント殿と私に話をさせようとした。もし断っても良いと考えているのだとしたら、それはなぜ?単に私の反応を見たいから?それならそれはなぜ?
お母様は私とレント殿との交際練習を望んでいない?
いえ。お母様がたとえ望んでも、お父様がたとえ許しても、コーカデス家の人間と私との交際練習など、コードナのお祖父様もお祖母様も許す筈がないし、コーハナルの養伯父様も養伯母様も難色を示さない訳がない。つまりお母様もお父様も、私もだけれど、レント殿と私の交際練習などあり得ないと思っている事になる。
その上でお母様がこの場に望んでいるのは、そうか。私が交際練習に対してどの様な反応をするのか、どの様な意見を述べてレント殿の申し込みを断るのかに付いて、確認をしたいのね。そしてそれは他の方との交際練習を私に勧める時に、私を説得する時の参考情報として使う筈。
つまりはお母様は、相手はどなたかは分からないけれど、私に交際練習をさせたいと言う事ね。
そしてレント殿がいつもと違う印象なのは、私から情報を引き出す為?御自分の意見を出さずに揚げ足取りの様な事ばかり言って、私の調子を崩させて失言を引き出そうとしている。お母様はそれを利用しようとしているのね。
でもそれなら何故、レント殿は私から情報を引き出そうとしているの?
ああ、そうか。私との会話は情報収集が目的で、交際練習に付いて私を説得する積もりがないから、私はレント殿の話の進め方に違和感を抱くし、嫌な気持ちにもさせられるのか。
そう言えばレント殿は、交際練習も急に思い付いたみたいに口にしていた。少なくとも今日の訪問の目的ではなかった筈。
そうか。コーカデス領への投資をお父様が断ったから、それを何とか撤回させたいだけなのかも知れない。お父様もお母様も投資家として有名だから、その二人に投資を断られたとの情報が流れたら、他の投資家の方達も警戒するだろう。逆にお父様とお母様が投資をしたのなら、他の方からも投資を受け易くなる筈。
そうか。我が家からの投資を引き出す為に、私に交際練習の申し込みを続ける事で定期的に訪ねるなどして、我が家の情報を集める事がレント殿の狙いなのね。そうか。私への依頼が投資をする事ではなく、投資家を紹介する事だったのも、私からお父様とお母様を紹介して貰う狙いがあったのね。
そうか。つまりレント殿は私との交際練習を望んではいないし、この場では私から交際練習を断られる事を望んでいるのね。
なんだ。そうか。
それならこの場で私が取るべき行動は?
ミリは、レントに嫌悪感を抱いたのもあるから、レントの都合に合わせる気は一切なかった。
ただレントに自分の時間が使われる事は許せない。ここでラーラから、レント以外も含めて、誰かとの交際練習を命じられたくもない。
ミリはディリオとの時間を優先したい。それだから嫌悪してもレントやコーカデス領に対し、わざわざ邪魔をしようとはミリが思ったりしなかった事だけは、レントに取っては今日イチの幸運だった。




