お互いの出方
ミリは応接室を出る時には、バルとラーラがレントからのミリとの交際練習の申し出を断るのだろうと思っていた。
そして応接室に戻る様に言われた時には逆に、レントとの交際練習をする事に決まったのではないかと感じていた。
しかし実際には、バルとラーラはレントに交際練習をミリに申し込む権利を与えたのだと言う。
目の前のレントは今にもミリに、交際練習を申し込んで来そうに見える。
ミリには考える時間が無かったけれど、幸いバルは交際練習に反対の様な雰囲気だ。時間はないけれどバルの反対を軸にして戦う事に、ミリはこの場で決心する事ができた。
一方でレントはミリが戻って来るまでに、多少は考える時間があった。
けれど今時点で作戦はない。
ただバルとラーラとの会話を通した事でも、レントが覚悟を決めるのには充分だった。何も武器を用意出来ていないとしても、レントの気持ちだけは前向きにする事が出来ていた。
それがバルにもラーラにもレントの叔母リリ・コーカデスにも、そしてミリに対しても、レントは不敵な印象を与えていた。
「ミリ・コードナ様」
敢えて顔を向けない様にしていたミリは、レントに呼び掛けられて、少しだけレントに顔を向けて視界の端にレントの姿を入れる。
「なんでしょうか、コーカデス卿?」
「わたくしは、バル・コードナ様とラーラ・コードナ様から頂きました権利に付いて、行使をさせて頂きます」
ぴしゃりと拒否する積もりで構えていたミリは、レントが申し込みそのものを直ぐには口にしなかったので、心の中で躓いた様に感じた。横目でレントを見るのも、目の周りの筋肉が痛くなって来ている。
ミリは小さく、しかしレントの耳には聞こえる様に息を吐いた。そして体ごと向き直って、レントを正面に見据える。
「御随意に」
そう言ってミリがレントに小さく肯くと、レントは口を開こうとするが、ミリは体全体を今度はバルに向けた。そうする事でミリは、レントを拒絶する事を改めて示す。
「お父様」
「あ、ああ」
ミリの冷たい態度がそのまま自分に向けられた様に感じて、バルの声は少し上擦った。
「コーカデス卿との本日のお話は、すべて終わったのですね?」
「あ、ああ。そうだね」
「私とお父様は終わったけれど、ミリ?コーカデス卿はあなたに話があるわ」
微笑みをミリに向けながら、ラーラが口を挟む。
ミリが明らかにこのままお開きにしようとしているとラーラは思った。しかしラーラとしては、この場でレントに交際練習をミリ本人に申し込んで欲しい。
ラーラはレントに視線を向けた。それに釣られてミリもレントを見る。
「わたくしには、コーカデス卿と話す事などありません」
ミリの言葉が応接室に冷たく響く。
レントの叔母リリ・コーカデスは、レントとミリが交際練習をする事には反対、と言うかあり得ないと思っている。一番の問題はミリの出自だし、ミリと交際練習をするなど、コーカデス家としては許容出来ない。レントの祖父母も許す筈がない。
レントが交際練習を口にしなければ、ミリがこの様な拒絶を示す事もなかったとリリは思う。そうすればこれまで通り、レントとミリの交流を続けさせる事で、ゆくゆくはコーカデス領の利益にも繋がっただろう。しかしこうなってはもう、そう言う関係にレントとミリが戻る事など出来ない。
先程までミリへの好感度を上げていただけに、リリはミリの声の冷たさがかなり寂しく感じた。そしてリリはその事に自分でも驚いている。
レントは微笑みを浮かべた顔を変えずにそのままで、ミリに尋ねた。
「ミリ・コードナ様は、わたくしとの交際練習は望んでいらっしゃらない、との解釈でよろしいでしょうか?」
ミリは否定を口にする準備をしているのに、それが分かっているレントは、肯定を引き出すような問いをする。
ミリにはレントの意図が分かったし、このくらいなら肯いても流れは変わらないとも思えたけれど、レントの思い通りになるのは避けた。
「わたくしがどう考えていようと、コーカデス卿には関係ありません」
ミリは応接室を一度離れる前に言ったのと、同じ様な言葉を口にする。けれどもそれはレントの想定内だし、レントに取ってはミリを肯かせるよりも望ましい答えだった。
「いいえ。わたくしがミリ・コードナ様との交際練習をさせて頂く為には、ミリ・コードナ様がどの様にお考えなるのかに付いては、わたくしにはとても重要な問題です」
「交際練習をしないのですから、コーカデス卿には関係ありません」
「わたくしはミリ・コードナ様とその交際練習をしたいのですから、関係あるに決まっている事は、もちろんミリ・コードナ様もお分かりかと思います」
ミリは分からないと言いたいけれど、言っても大丈夫かと、立ち止まって考える。
レントがミリの感情的な応えを待ち構えていると、ミリには感じられた。それでどの様な話の流れになるのか、レントの読みが分からないし、ミリ自身も先が読めていない。
「交際練習は他の方となさって下さい」
「ミリ・コードナ様と交際練習をするのと同じくらいの経験をわたくしが積む為には、わたくしは何人もの御令嬢と交際練習をしなければなりません」
「すればよろしいではありませんか」
「それをする時間的余裕も経済的余裕も、わたくしにはございません」
「それはわたくしには関係ありません」
「はい。わたくしの都合です」
「それにそう言う考えは、他の御令嬢にも失礼ではありませんか?」
「いいえ。他の御令嬢とは交際練習を致しませんので」
「違います。複数の御令嬢と交際練習をする事ではなく、複数の御令嬢をわたくし一人と比べる事を言っているのです」
「それは分かっておりますし、比べたりはしておりません」
「比べていたではありませんか」
「ただ事実を述べただけです。ミリ・コードナ様以外の御令嬢との交際練習は、わたくしには価値が低いのです」
「それが、それが比べていると言う事ではありませんか」
「いいえ。たとえミリ・コードナ様との交際練習が出来なくても、他の御令嬢との交際練習の価値が上がる訳ではございません。低いままです」
「低いままなんて」
「はい。ミリ・コードナ様との相対評価ではなく、絶対評価です。ミリ・コードナ様と比べたりなど、他の御令嬢にもミリ・コードナ様にも失礼に当たりますから」
「・・・何を仰っているのですか?」
「わたくしのミリ・コードナ様への評価が、絶対的だと言う事です」
「いえ・・・何を仰っているの?」
バルはミリがレントに評価されるのは、気持ち的には嬉しいのだけれど、感情の中には喜び以外の何かモヤモヤとしたものが濃さを増していて、素直には喜べない。
実際にはバルは、喜ぶ事を無意識に抑えているが為に、モヤモヤとしているのかも知れなかった。
リリはレントの言葉にハラハラしていた。レントのミリへの言葉をとても失礼に感じていたし、それをバルとラーラが咎めるのではないかとリリは心配していた。
リリはレントに説得された事がない。レントがレントの祖父母を説得する場に立ち会った事もない。レントがレントの父スルトの離籍を認めた時も、レントは説得らしい言葉を口にはしていなかった。
それなので、先程までバルとラーラに対して、レントが開き直ったヤケクソで、かなりの言葉を打つけていた事など、リリは思いもしていなかった。知る由もないので仕方がない。
ラーラは思惑通りに展開している事自体にも喜んでいたし、ミリが苦戦している事もレントが言っていた経験を積ませている事になりそうで、それも喜んでいた。
そしてラーラはレントとミリの遣り取りを通して、レントに対しての理解を深めていた。
ミリは今日のレントは嫌いだった。レントを相手に今一つ、論理的に話が進められない。それはレントが話の主軸を少しずつずらすからでもあったけれど、ミリ自身が感情的な言葉を口にしてしまっている所為でもあった。
なぜ感情的な言葉を口にしてしまうのかと言うと、それはそれで今日のレントの掛ける言葉の所為であり、今日のレントの所為だった。
それなので、早く話を終わらせたいのに、今のミリには話の出口が一つしか見えていない。そしてその出口は、レントとの交際練習を受け入れる事だった。
ミリに論理的に意見をされたら勝てないとレントは考えていた。それなので、否定の足掛かりとなりそうな事は、避ける様にミリと会話を誘導していた。
何せまだレントはミリに向けては、交際練習を申し込む言葉さえも直接は伝えていない。それもミリに論理的な否定を口にさせない為だった。
ミリは応接室に戻って来てからレントの発言を遮る様にしていた事で、ミリに交際練習を受け入れさせる為の方針を考える時間をレントに与えてしまっていた。




