準備よし
レントの叔母リリ・コーカデスを相手にミニチュアの制作方法などに付いての話をしていると、ラーラからの伝言がミリに届けられた。
伝言を受けたミリが一瞬、目を細める。
ミリは小さく息を吐いてから、微笑みを作ってリリに向けた。
「リリ殿」
「はい、ミリ様」
「コーカデス卿とわたくしの両親との話が終わったのですが、応接室に戻る様にとの事です」
「はい」
「先程母は、こちらで三人を待つ様にと申しておりましたが、わたくし達が応接室に向かうのでもよろしいでしょうか?」
「はい。もちろんです」
「ありがとうございます」
ミリは会釈をすると立ち上がり、リリに手を差し出す。
「では、参りましょう」
「はい」
リリが指先を預けると、ミリはリリに席を立たせた。
庭を案内されてガゼボでお茶を飲んで話をして、そう長くはないけれど一緒の時間を送ってみて、リリはミリの所作が美しい事をその都度その都度に感じていた。
大人のリリと子供のミリでは身長差もまだあるけれど、ミリのエスコートもそつがない。
レントに礼儀作法を教えたリリとしては、レントの所作が少し至らなく思えて、少し恥ずかしく感じてしまった。領地に戻ったら鍛え直さないと。まだ子供だからなんて大目に見ていたら、本人の為にはならない事が良く分かった。それにまだ子供でも、既にもう領主で当主なのだから。
応接室に戻る様に伝言を聞いた時から、ミリは嫌な予感がしていた。
戻ってみると、ミリの予感は確信に変わる。
まずはレントが喜んで見える。レントとは長い付き合いとは言えないミリだけれど、レントの浮かべる微笑みが喜びに拠るものだとミリは思った。
そしてバルが疲労して見える。バルの微笑みからはどうしても、疲れが滲んでいる様にミリには感じられた。
ラーラからは感情が良く読み取れない。詰まりラーラの微笑みの裏には、何らかの企みが隠れているのだろうとミリは考えた。
リリもレントは喜んでいると受け取ったし、バルが疲れているとリリも感じる。
「ミリ」
そのバルの呼びかけの声の高さからも、僅かに疲れが滲んでいる様に、ミリもリリも感じた。
「はい、お父様」
「コーカデス卿に、ミリに交際練習を申し込む権利を与えた」
「え?」
ミリもリリも「交際練習」とまで聞いた時に、ミリとレントの交際練習が決まったのだと確信していた。応接室に入って、三人の顔を見た時から、そうなのだろうと二人とも覚悟をしていた。
しかし申し込む権利と言われ、ミリもリリも小首を傾げる。
「あの、お父様?」
「ああ、なんだい?」
「コーカデス卿との交際練習を行う事に、決まった訳ではないのですね?」
「ああ、そうだ。決まった訳ではない」
そうは言ってもラーラが乗り気な限り、相手はレントではないかも知れないけれど、ミリが交際練習をする事は避けられないとしかバルには思えない。自然にバルの声の調子も下がる。
「コーカデス卿がわたくしに申し込む権利ですか?」
レントに視線を移しながらのミリの問いに、バルは少しぶっきら棒に「そうだ」とだけただ返した。
ミリに見られてレントは、微笑みからもう少し口角を上げる。
つまりお父様は反対なのね、とミリは判断した。
レントが口を開こうとするけれど、それに気付きながらも構わずに、ミリは視線をバルに戻す。
「お父様」
「ああ」
「それはつまりここまでのコーカデス卿とお父様とお母様との話し合いで、コーカデス卿がわたくしに交際練習を申し込む事が出来る、と言う事だけが決まったと言う事なのですね?」
「ああ、その通りだよ」
バルはミリの言葉に無意識に表情を緩めた。この言い方なら、ミリはレントとの交際練習を断るだろうと思ったからだ。
しかしまた少しだけ、バルは眉根を寄せた。それは口を開き掛けたレントを制する様にミリがバルに顔を向けた事で、レントがミリもいる前で交際練習の申し込みをした時にバルが駄目だと言ったから、ミリがレントの申し出を断ろうとするのではないかとバルには思えたからだ。
ミリがレントを断るのは良いけれど、それが自分が駄目だと言った事が理由であるのだとしたなら、と考えてしまうと、バルの心には不安が広がる。
ラーラも表情を緩めた。
ミリがこの場でレントを拒否するだろう事は、ラーラも想定している。
その上でレントがどう攻めて、ミリがどう受けて立つのか、あるいは逃げるのか、二人がどこを今日の議論の落とし所にするのか、ラーラはラーラなりに計算をしていて、今のミリの様子はまさにそのラーラの計算通りだった。
そしてこの場の二人の議論も、きっとミリの経験になるともラーラは考えていた。
リリの表情には寂しさが滲んだ。
短時間ながら今日の会話を通して、リリはミリを高く評価する様になっていた。
ミリがレントと文通をしていたり、コーカデス領を訪れていたりしていたので、そのままミリとレントが交流をしていけば、直接コーカデス領の為になったかどうかは分からないけれど、レントには良い影響をミリが与えて、ミリの存在が間接的にはコーカデス領やコーカデス家の為になっただろうと、リリは思った。ミリとリリ自身との交流も、きっと増やしていけたのだろうとリリは考える。
しかしレントが交際練習を申し込む権利などと言う、実体の良く分からないものを手に入れた所為で、ミリとの交流は絶たれる様にリリには思えた。少なくとも目の前のミリは、先程応接室でレントを一度拒否した時よりも、今は更に壁を作った様にリリには感じられる。
交際練習を申し込む権利とは、ミリ自身にレントを拒否させる為のバルとラーラが仕組んだ仕掛けの様だと、リリは受け取った。
そしてレントは、ミリのこの反応を予想していた。
ここからどうミリを説得すれば良いのか、レントにはなんのアイデアもなかったけれど、それでもレントは今の状況が楽しくなって来ていた。
それなので、レントの頬には自然な笑みが浮かぶ。
バルとラーラとの議論を通しての議論ハイがまだ残っていたし、その前の開き直りももちろん続いている上に、ヤケクソにもまたいつでも再び火が点けられる状態に、レントの中ではなっていた。




