53 手札
呆れていたコードナ侯爵であるバルの祖父ゴバが口を開く。
「ラーラ。君がいない間のバルは、それは酷い有様だった。バルの心がもうすぐ壊れると思ったので、コードナ家では地下牢に閉じ込める準備をしていた」
「「え?」」
ラーラとバルの驚きの声が重なる。バルは自分が周囲からそんな風に見られていた事に気付いていなかった。
さっきの様子を思い出して、バルの心はもう壊れていたのかも知れないと、鳥肌を立てた何人かが思った。取り敢えず今は原形を保っているのだろう。けれどバルからラーラを離してバルの心が粉々になる想像をした者は、寒気に肩を竦めた。
ラーラの祖父ドランがゴバの言葉に肯く。
「バル様の様子から、ラーラをとても大切に思って下さっている事は、ウチのみんなも疑っていません。さすがに結婚は驚いたが、バル様がラーラを愛しているとの言葉は、私以外のみんなも信じてるでしょう」
「バルの閉じ込めたいには呆れたがな」
「私はバル様にそう言われた時の、ラーラの表情に呆れました」
老人二人が苦笑を交わす。
「それなのでラーラ。バルと君を離したら、バルは確実に地下牢暮らしだ」
「そんな」
「これは脅しではない。その必要があるなら行うだけだ。もちろん私もコードナ家の皆も、そんな事は望んでいない」
「ですが私は貴族の妻にはなれません」
「それは決心的な意味ですか?」
バルの祖母デドラのその問いにラーラが答える。
「気持ちの話ではなく、資格的な話です」
「ラーラ。貴族に必要なのは血よりも教育です。高貴な血を引いていても、無教育の者には貴族を名乗る事が許されません。教育が無ければ自分も家も守れないからです。ラーラがバルとの結婚を望むなら教育を受け、貴族に必要なものを身に着けなければなりません。そしてその教育を受けるに当たり、必要な資格などはありません」
「ですが」
「いつまでうだうだ言ってんのさ」
ラーラの祖母フェリが口を挟む。
「貴族になりたくないからバル様と一緒にいたくないならそう言えば良いんだよ。勉強がイヤだからバル様と結婚したくないならそう言いな。それを資格だなんだと、賢振ってる積もりかも知んないけど、みっともないだけだ。お前が本音を言うのをこんだけの人達が待ってんだよ?」
「そうですね。最初にも訊きましたけれど、ラーラはどうしたいのですか?」
老女二人がラーラの答を待った。
「でも貴族との結婚なんてダメよ!」
ラーラの母ユーレが叫ぶ。
「何も無くても苦労するわ!それなのにラーラがバル様と結婚なんてしたら、どれだけ責められるか!」
「それは私達より、コードナ侯爵家の皆さんの方が良く知ってるだろうね」
ラーラの父ダンがユーレの腕に手を置き言う。
「どうやらコードナ侯爵家の皆さんは、思った以上にラーラを気に入ってくれてる様だ」
「それはバル様を助けたいからでしょう?!」
「たとえそうでも、それでラーラも守られる。ラーラに何かあれば、バル様が大変だろうからね」
「そうだけど、ラーラにこれ以上辛い思いをさせる事なんて出来ないわよ」
「ラーラに取って何が本当に辛いか、それはラーラが決めるんだよ」
「だからラーラはバル様と結婚しない事を選んだじゃない!」
「選んでないよ。誰かに二人の結婚は許さないって言って貰おうとしてるだけだ」
「一緒よ!」
「違うよ」
「一緒だってば!ラーラは自分がこれ以上バル様を傷付けたくないのよ!ラーラが結婚したくないって言ったらバル様が傷付くじゃない!」
「さっき言ってたじゃないか。大嫌いとまで言ってたし」
「あれは、言葉の綾よ。お義母さんがラーラを怒らすから。ラーラだって本気じゃないし、バル様だって信じてないわよ」
「そうかな?ラーラ。男と女は中々分かり合うのが難しいよ。何せ男女は遙か昔に分かれたからね。私もユーレの気持ちは中々分からなくても、雄犬や雄馬の気持ちの方が良く分かる時がある」
「またダンはそんな事言って」
「しょうが無いだろう?人類が生まれるずっと前に男女は分かれたんだから。でもねラーラ。だからこそドラマも生まれる。正直、二人の結婚には反対だ。ユーレの言う通りだと思うからね。でも私にはバル様の気持ちが良く分かるし、ラーラはバル様を信じても大丈夫だよ」
「ラーラ。余計な苦労はしなくて良いのよ。子供の事だって心配要らない。どうしても産みたいって言うなら、一緒に考えましょう?お金も生活も心配要らないから、バル様との結婚がイヤならそう言って大丈夫。コードナ侯爵家からだってあなたを守るから」
ラーラに微笑んでいたダンは、涙を浮かべてラーラにそう訴える最後の言葉にかなり驚いてユーレを見た。
「ラーラ。子供の面倒なら俺が見るから」
「お前は行商に行け。子供は俺が育てるからな、ラーラ」
「ワール兄さんこそ貿易でも行商でもしてれば良い。ラーラは俺に任せて置けよ」
「ヤールに任せられるか。たとえ任せられたとしても俺がやる。ラーラ、だけどな、お前がバル様と結婚したいって言うなら手助けするぞ?父さんじゃないけど、俺もバル様の気持ちは分かるからな」
「俺だって。ラーラがバル様との結婚を望むなら、俺だって応援する。王都に住み辛いならどっかに二人の家を用意してやる」
「この国に住み辛いなら他国に二人の家と仕事を用意するぞ?」
「俺のアイデアを盗るなよワール兄さん!」
「ラーラの為ならアイデアくらい使わせろ」
「いやまあ、そうだけど。だからラーラ。安心して俺を頼っても良いんだからな?」
「ラーラ、頼るなら俺にしとけ。そしてお前を助ける為にも、お前がどうしたいのか教えてくれ」
ワールとヤールも顔を向け、ラーラの応えを待った。
ラーラの手札はほとんどない。
ラーラは温存していたと言うより、これまで使えなかったカードを切る決心をする。かなり危ない事をユーレがコードナ侯爵夫妻の前で言った際に、二人が特に咎めなかったのでラーラは心を決める事が出来た。
「私がバル様と結婚したら、ソウサ商会の商売に影響するわ」
ラーラのこの意見は、コードナ侯爵家との繋がりを持つ事は、ソウサ家にはマイナスだと言う意味に捉えられるだろう。
「なに言ってんだい」
「影響はゼロじゃないだろうが、大した事はない」
「そんなのラーラが気にしなくても大丈夫よ」
「“そんなの”はないと思うけど、ラーラが思うより影響は小さい筈だよ」
「そう言うのは良くあるし、ウチに圧力掛けたら困るのは貴族の方さ」
「ホントに困るのは領民だから、そんなに長くは続かない。影響は直ぐに収まるぞ」
「もし利益に影響があるなら、コードナが補償しても良い」
「その様な事をしたら更にソウサ商会に影響が出ます。皆さんにお任せして、相談しながらの方が良いでしょう。しかしいずれにしても、ラーラのしている心配は無用の様です」
不発に終わった。
こうなると次の1枚も効果がないかも知れない。
ラーラはコーハナル侯爵夫妻をチラリと見た。逆効果かも知れない。またまたイヤな予感がする。
でもこのままでもラーラの望む結果にはならない。
「私がバル様の妻になる為には、貴族家の養女になる必要があります」
「それは早急に探す」
「心当たりもあります」
「その件だが、コーハナル家にラーラ殿の養家を引き受けさせて貰えないだろうか?」
今日のラーラの予感は的中率が100パーセントだ。
パノの祖父コーハナル侯爵ルーゾの発言にソウサ家の面々は驚いたが、コードナ侯爵家の三人は驚いていなかった。
パノも途中からこうなる予感がしていた。
予想通りとなり、自分の誘拐犯容疑の為ではなく、ラーラを養女にする話の為に祖父母がここに同席していた事に納得して、パノはやっと安心できた。




