ミリの幸不幸
見詰め合っていたラーラとバルは、レントの言葉に振り向く。
「え?それって?」
「私の所為で、ミリが幸せになれないと言うのか?」
「いいえ」
レントは声を下げて、首を左右に振った。
「ミリ様を不幸にするのはミリ様です」
「え?」
「・・・それは、どう言う意味だ?」
「さっきはコーカデス卿は、ミリが自分で幸せになれるって言わなかった?」
「申しました。ミリ様を幸せに出来るのも、不幸にしてしまうのも、ミリ様なのです」
レントの返しにバルが露骨に嫌な顔をする。
「宗教や哲学を論ずる気ならお断りだ」
「いいえ、違います」
レントはバルに強い目を向けた。
「バル・コードナ様とラーラ様に命じられた事をただ無評価に、言われるがままに実行しているのはミリ様です。それは思考の放棄でしかない」
「ミリを考えなしだと言っているのか?!」
バルの荒い語調に、レントは更に声を下げて応える。
「それより酷いと言っているのです」
「・・・なに?」
バルも低い声で返した。
「考えれば考えられるのに考えず、バル・コードナ様とラーラ様に命じられたからと、言われた通りにする。何をするのにもお二人の責任としている。つまり自分には責任がないとしている。考えが足りない方がまだマシです」
「な!何だと?!」
バルがレントを睨むが、レントもバルを睨み返す。
二人の視線の間に、ラーラが手を差し入れた。
「でも、それで一番影響を受けるのはミリよ?自分の人生が賭かっているのに、思考放棄なんてしないでしょう?」
レントは険しい表情を消してからラーラに顔を向け、その流れのまま首を左右に振る。
「いいえ。ミリ様は思考放棄さえも言い訳にします」
「え?・・・それって、どう言う意味?」
「命令されたのだからこれで良いのだと、不幸になる事さえ受け入れるでしょう」
「だから、何の為にミリがその様な選択をすると思うのよ?」
「それはミリ様が、自分は不幸だと思っているからではありませんか」
「・・・え?」
「・・・何だと?」
口に出してからレントは、そうなのかと自分の言葉に納得したし、それだから自分はミリに怒っているのだと理解できた。
「やれば出来る事をやらずに、それを人の、バル・コードナ様とラーラ様の所為にしている。そして上手くいかなくても、それは自分が不幸だからと思っている。不幸を理由に手を抜いた生き方をしようとしている」
「そんな訳」
「その様な筈があるか!」
「けれども知識も才能もあるから、その様な自堕落な考えでも生きてはいける。ミリ様は御自分でもそう、意識してはいないのでしょうけれど、言われた通りに生きていても、生きていくのに困らないだろうとは気付いているのでしょう」
「いえ、でも」
「だが、だがな?」
「少なくとも言われるままの人生に、不安を感じてはいなそうですし、それですから真剣味も足りない」
「そんな、足りないなんてそんな」
「ああ、護身術などは真剣に取り組んでいるのだ」
「後は治療院や助産院の仕事ですか?どちらも人の命や人生が掛かっているので、手を抜いたりはなさらないとは思います。しかしそれは御自分の為ではない」
「それは、そうだけれど」
「そうとは限らないではないか」
「護身術も、御自分の命だけなら分かりません」
「え?・・・何だと?」
「それは、どう言う意味?」
「護衛達は命懸けでミリ様を守るでしょう。つまりミリ様は御自分を守る事に、護衛の命が掛かっている事を分かっているからこそ、護身術にも真剣に取り組むのです」
「そんな」
「確かに、そう言う面もあるかも知れないが」
「コーカデス領にいらっしゃった時に、ミリ様と護衛達との遣り取りを見ました。ミリ様が護衛されている姿を見れば、ミリ様が何を優先して護衛を受けているのかは、お分かりになると思います」
バルはミリの護身術の訓練を思い出していた。ミリが真面目に取り組んでいるのは確かだ。しかしそれが自分自身の為ではなく、護衛達の為だなどと言う事があるのだろうか?いや結局はそれが、ミリ自身の為にもなっているから、区別は付かない。
ラーラは、もしミリが護衛と逸れて一人になったなら、ミリはちゃんと自分自身の事を守るのかを考えて、とても不安になった。
「それ以外の事は、基本的にミリ様にしか影響がない様な事は、バル・コードナ様とラーラ様の命令をミリ様は守り続けるでしょう。ミリ様がわたくしに送って下さった手紙には、コーカデス領への投資をミリ様がなさる事になっていたのでしょうか?」
「え?ええ」
「ああ。その筈だ」
「それはバル・コードナ様とラーラ様の命令で、ミリ様が投資する事になっていたのですか?」
ラーラがバルを見ると、バルは答えを言い淀んでいるのが分かった。
「いいえ。ミリが投資すると、投資したいと言っていたわ」
「なるほど。ですがコーカデス領への投資が禁止されましたので、この先は、バル・コードナ様とラーラ様が投資を命令なさればミリ様に投資をして頂けるでしょうけれど、ミリ様に投資をしたいと思って頂いた上で投資をして頂ける事は、もうないのですね」
バルもラーラも、命令してもミリが投資をしたいとも思っている事もあるとは思うけれども、ミリの本音が分からなければレントの言う通りかも知れないとも思った。しかしだからと言って、レントに同意は返せない。また、否定も返せない。
二人が何も返さないのを確認して、レントは別の件に言及する。
「ところで、ミリ様はディリオ・コーハナル様をとても可愛がっていらっしゃいますが、あれは普通なのでしょうか?」
レントの言葉でバルとラーラは、ミリがレントにディリオ愛溢れる手紙を送っていたと言う話を思い出す。
「・・・それが、何なのだ?」
「いえ。わたくしは乳児を初めて見ましたので、ミリ様のディリオ・コーハナル様への接し方が、一般的なのかどうか分かりません。過剰なのではないかと思ってしまったのですが、間違いでしょうか?」
「それは、まあ」
「普通はあれ程、ディリオディリオと言わないと思うわ」
「そうですか。それはホッとしました」
「え?」
「ホッとしたの?」
「はい。自分がとても冷たい人間なのかと感じておりました。しかし赤ちゃんや小さい子の扱いに関しては、ミリ様と自分を比較するのは止める事にします」
「そう、そうか」
「その方が良いわね」
突然話題が変わった事に、バルもラーラも戸惑いはしたけれど、レントの出した結論は至極妥当なので、取り敢えず二人ともレントには肯いた。
それに対してレントは微笑んで「はい」と返すと、また真剣な表情を二人に向ける。
「もしここまでのわたくしのミリ様に関しての話を信じられないとお考えでしたら、バル・コードナ様、ラーラ様。是非ミリ様にディリオ・コーハナル様への接し方を変える様に仰ってみて下さい」
「え?」
「どう言う意味だ?」
「そのままの意味です。わたくしはミリ様がディリオ・コーハナル様を可愛がるのは、ディリオ・コーハナル様を可愛がる事は誰にも禁止されないとミリ様が考えていらっしゃるからだと思っています」
「ああ、その通りだ」
「もちろん禁止なんてしないわ」
「ええ。ですからミリ様は全力で、ディリオ・コーハナル様を可愛がるのです」
「全力って」
「確かにかなりの力の入れようだが」
「ミリ様はバル・コードナ様とラーラ様に禁じられた事は出来ませんので、力が有り余っていると思います」
「有り余っているって」
「それ程いくつも禁じてなどいない」
「結婚はともかく、仕事に就く事が禁止されているので、命に関わる治療院と助産院は手伝いを続けてはいらっしゃいますけれど、ソウサ商会の手伝いに掛ける時間はかなり減っているのではありませんか?」
「いや、それは」
「そうだったかも知れないけれど」
「ミリ商会の活動も、バル・コードナ様とラーラ様に禁止されていなかった投資に重きを置いていて、それ以外は減っているのではありませんか?」
「確かにそうだけれど」
「それが何だと言うのだ?」
「ですのでバル・コードナ様、ミリ様。もしわたくしが言いました事が間違いであると思われるのでしたら、ミリ様にディリオ・コーハナル様を可愛がらない様に命じてみて下さい」
「何故その様な事をする必要があるのだ?」
「その様な事、命令する筈がないでしょう?」
「そう命じられればミリ様は、ディリオ・コーハナル様を可愛がったりはしませんよね?」
「それは、まあ」
「そうかも知れないけれど」
「いいえ。お二人に禁じられたのなら、ミリ様はその通りになさいます。そして一旦そう命じられたなら、ミリ様がディリオ・コーハナル様を可愛がるには、バル・コードナ様とラーラ様の命令がなければならなくなります」
「そんな事、でも、可愛がるななんて、命令する訳ないでしょう?」
「そうだ。命令出来る訳がない」
「ええ。ミリ様はそれが分かっているからこそ、警戒もせずに安心して、ディリオ・コーハナル様を可愛がっているのです」
レントにそう断言されてしまえば、バルもラーラもその様な気になって来てしまう。
それはバルもラーラも、ミリがレントにディリオ愛溢れる手紙を送っていたと知って、後でミリに少し控える様に言おうと思っていた所為もあって、思いもしていなかったミリの将来への影響を意識してしまう事になったからであった。




