失敗の分類
ラーラによってレントの想定にない名前呼びの段が間に挟まったけれど、ラーラにミリが失敗していなかったらどうなるのか尋ねられて、レントは想定していた考えを伝える事にする。
「ミリ・コードナ様が」
「ミリで良いわ」
話の出端を挫かれて、レントは小さく二度、肯いた。
「はい、あの」
レントには、ラーラの言葉でバルが顔を少し蹙めるのが目に入ったけれど、ラーラに言われたのなら、それに従わない訳にはいかない。
「ミリ様は、何事もそつなく熟されますので、失敗をなさった事がないのかとわたくしは思っておりました」
「その様な事はない」
バルが表情に即した不機嫌そうな声を出す。
「ミリには護身術を習わせてはいるが、始めから上手く出来ていた訳ではない。何度も失敗をしながら身に付けていっているのだ。ダンスや乗馬もそうだ」
ラーラの頭には、ミリが木登りを覚えた時の事も思い浮かんだけれど、さすがにバルもレントの前でそれは口にしないのかと思って、黙っていた。
「そう言えばミリ様は、水泳もなさるとか」
「護身術の一環で、水に落とされても泳いで逃げられる様には鍛えている」
それはセキュリティ的に、公言しない方が良いのではないかとラーラは思う。ミリが泳げる事を知っていたら、水に落とされる時に重しを括り付けられたりするかも知れない、と思えるからだ。
そう思ってラーラのバルを見る目が細まるけれど、そもそも泳げる事をレントが知っている事も何故なのかと思い、ラーラは細まった目をレントにも向けた。
「しかしそれらで得られる経験は、失敗と言うのとは違うのではないでしょうか?」
「違う?何がだ?」
「それらは出来ない事を覚える課程での、出来ない事自体であって、何かの誤りを起こして失敗した訳ではないと思います」
「どこが違うのだ?そうは言っても、失敗は失敗ではないか」
「バル・コードナ様は、例えばお菓子の味を決める時に、なかなかイメージと合わない事はございませんか?」
「もちろん、そう言う事はあるが」
「思った味にならなかった時、それはバル・コードナ様に取っては失敗でしょうか?」
「それは、まあ、そうだな」
「それではバル・コードナ様が見た事も聞いた事もない、例えば遠い異国のお菓子を召し上がって、それを再現しようとして出来なかった場合、それは失敗なのでしょうか?」
「それは失敗だろう。再現出来ていないのだから」
「その失敗は、バル・コードナ様のこれまでの経験があって、こうすれば再現できるかも知れないとの想定を立てて、それが外れてしまった事で、失敗と位置付けられるのではありませんか?」
「そんな事を言わなくても、失敗は失敗ではないか」
「その失敗を元に、バル・コードナ様はお菓子の再現の為の新たな想定を立てるのではありませんか?」
「まあ、続けるのであれば、そうだろうな」
「その際には当然、失敗を経験として生かして、新たな再現に臨みますよね?」
「当たり前ではないか」
「はい。それが失敗を経験に紐付けると言う事だと思います」
「それも当たり前だし、その用など事はコーカデス卿に教えられなくとも分かっている」
「はい。一方で全く経験がない事、例えば泳げない人間を水に落としても、その場で泳げる様になるものではないと思います」
「泳ぎを教える時には、いきなり水に落としたりはしない」
「はい。泳ぎも乗馬も剣の使い方も、見ただけで覚えられる人もいるのかも知れませんが、普通は教わりながら身に付けるのだと思います」
「ああ。それで?それがつまり、何なのだ?」
「これらでの失敗と言うのは、教わった事が出来ないと言う事です。教わった事と上手く出来ない現状とを比較して、徐々に出来る様になるのではないでしょうか?」
「その通りだが、それが何だと言うのだ」
レントはこれで分かって貰えると思っていた。だがバルにはまだ通じていない。
「え~と、つまりですね、習い事の失敗は、失敗と言っても言われた事が出来ないだけで」
「ああ。それで?」
バルには通じていない様だけれど、これ以上どの様に説明をしたら良いのか、レントは考えを整理しようと思った。そしてラーラには伝わっているのかどうかと思い、そちらにチラリと視線を向けると、ラーラと目が合う。
レントと目の合ったラーラは、レントの瞳に不安が浮かんでいる様に感じ取り、レントがまた勘違いだとか言い出して引き下がってしまうかも知れないと思った。そうはさせない。
「コーカデス卿はいまバルに、上手く説明が出来ていない様だけれど、この事自体はコーカデス卿の言う失敗と扱って良いのかしら?」
「え?あ、はい。そうですね」
ラーラの言葉は随分と礼を失してはいたのだけれど、レントはここまでの話がラーラには通じていると感じられて、思わずホッとした。
「それはコーカデス卿が立てた筋道、想定と違っているので、それなので失敗と位置付けられる、と言う事よね?」
「はい。ラーラ様の仰る通りです」
確かにラーラには話が通じていると思いながら、レントは肯いて返す。
「そうすると、この様な失敗と習い事で上手く出来ない事の差をコーカデス卿は拾い上げたいみたいだけれど、それってつまり、失敗した本人の想定と違うのか、教師が想定している事に生徒が合わせられないのか、その差と言う事ね?」
「はい。そうなのです」
「教師から習う事はゴールが変えられないけれど、自分が想定した物事なら、失敗を通して想定を変えていける。そこをコーカデス卿は取り上げたいのね?」
「はい。正に仰る通りなのです」
「ですって、バル」
「それは分かったが、だからどうだと言うのだ?」
バルはラーラに問い掛けたけれど、ラーラはバルには応えずにレントを見た。ラーラの視線に促されて、バルもレントを見る。
「いま、ラーラ様に仰って頂いた通り、習い事では正解と差があることが失敗です。そしてその差を埋めて正解に近付いて行く事になります」
「ああ」
「一方で自分で立てた想定と差が生まれてしまう失敗は、想定を変える事が出来ます」
「先程の菓子の話では、他国の菓子に近付ける事は変わらないではないか」
「あ、いいえ」
「いいえ?」
「どの様な材料を組み合わせれば、そのお菓子に近付くのか、それは正解がありませんから」
「いや、その見本となる菓子が正解ではないか」
「え~と、ですが材料や作り方は分からない訳です。誰かにレシピを教わって作るのでしたら、習い事と同じです。けれどそうではなく、そもそもお菓子を再現しようと言う判断も自分で決定した事で、途中で止めても良いのですし、あるいは途中でもっと美味しいお菓子を作り出す事に切り替えても構いません。その様に、ゴールを自分で変える事が出来る類いの失敗と経験は、教師に教わって積める経験とは異なるとわたくしは思うのです」
「教師に習うかどうか、自分で決められればまた違うと言う訳か」
そのバルの例えはレントの言いたい事と微妙にずれてはいたけれど、含むと言えば含まれるので、レントは「はい」と肯いた。
バルも「なるほど」と肯く。
ラーラも納得しているのかとレントがラーラに目を向けると、ラーラは微笑みを浮かべてレントを見ていた。
ラーラのその表情に、何故だか「良く出来ました」と言われている様に感じられて、レントの気持ちは落ち着かなくなった。




