ミリの壁
ミリに輝かしい未来が訪れる事に付いて、バルもラーラも否定は口に出来ない。レントの叔母リリも口を挟めなかった。そもそも三人とも、レントがどの様に話を進める積もりなのか、掴めていない。
レントの言いたい事が分かるか分からないかに関わらず、この場でレントに反論出来るのはミリだけだ。
「お父様?コーカデス卿とのお話に、口を挟んでもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ」
先程はレントにミリとの会話を遮ったバルが、ミリにレントとの会話を許したのは、レントの思惑通りだった。
レントは今日この場で、ミリがコーカデス領への投資や領政支援をする事に対して、バルを肯かせる事は出来ないと思ってはいたけれど、ミリが諸々をどう考えているのかは掘り起こして、バルとラーラにも聞かせておきたいし、もちろん自分でも確認しておきたかった。
「コーカデス卿」
「はい、ミリ・コードナ様」
ミリの声の冷たさに、レントの返しも温度が下がる。
それはキロからレントに戻った時の、ミリのよそよそしさなど問題にはならない程だった。少し前に馬上でディリオディリオ言っていたミリの姿が、幻だった様にさえレントには思える。
「わたくしの人生はわたくしのものです。コーカデス卿に心配して頂く必要はございません」
ラーラは、ミリとレントは仲が良いのかと思っていた。それなので、この様な突き放した言い方をミリがした事に、ラーラは驚く。
この様なミリを目にした事はなかったけれど、確かに貴族教育的には正しい対処である事にはラーラも気付く。下位者であるレントが、上位者であるミリの人生に口を出したのだ。
けれどもミリの姿を見て、ラーラは少し寂しく感じた。
それはバルもだ。
ミリの言っている事は正しい。無関係どころか、家同士は対峙する関係にある筈のレントに、ミリの人生に口出しをさせる訳にはいかない。
けれども、ミリにこう言わせているのは自分だ。この場でミリにレントを拒絶させているのは自分だと思うと、バルにはミリの姿が寂しく思えるし、自分の事が情けなくも感じられた。
しかしレントには違った。
ミリがいま作ってみせたこの壁は、レントには乗り越えるべき指標に見える。
これをこの場で乗り越えられないまでも、手応えがある事をバルとラーラに示せれば、コーカデス領開発にミリの協力を得られる様な未来が描けるとレントは考えた。
何しろ方法が思い付かなかったラーラに味方して貰える道が、ミリの壁のお陰で見えた気がして、レントの気持ちは上向く。
レントにはディリオディリオ言っているミリより、拒絶の壁を築くミリの方が、ミリの本音に近付けている感触があった。
「いいえ。心配などはしてはおりません」
ミリが本当に、レントが心配していると思っているのかは分からないけれど、レントはミリの壁の土台にヒビを入れる事を狙って、そう言ってみる。
レントの言葉にミリは、足下が滑る様な、足を掛けられた様な感覚を覚えた。
「バル・コードナ様とラーラ・コードナ様がミリ・コードナ様の将来に付いて、考えていらっしゃらない筈はございません。わたくしが心配する事などないとは、もちろん分かっております」
今度は壁の存在理由をレントは否定してみた。
ここで頷く訳にはいかないミリの、首に力が入る。
「それならばなぜ、わたくしが何も産み出せないなどと言ったのです」
「それでしたら逆にお伺いしますが、ミリ・コードナ様は何を産み出す事が出来るのですか?」
「それはわたくしと我が家の問題ですので、コーカデス卿に口にして頂く話題ではないと言っています」
「いいえ、ミリ・コードナ様。ミリ・コードナ様の助言が頂けるだけでも、コーカデス領の繁栄には道筋が付けられます」
「コーカデス領の繁栄など、わたくしには関係ないではありませんか」
「ミリ商会で干物を扱う件は、どうなりますか?」
レントは意図的に話題を小さくした。ミリは無意識に僅かにだけ、顎を引いて眉根を寄せる。
「その話は取り止めます」
「香辛料もですね?」
「ええ」
それまでのレントの意見を拒否する返しではなく、レントの思惑通りに、ミリは具体的な自分の意思を回答として口にした。
「分かりました。ミリ・コードナ様の協力が得られずとも、わたくしの力でそれらは形と致しましょう。ですが、ミリ・コードナ様?」
「・・・何でしょうか?コーカデス卿?」
「きっとわたくしの進め方に、ミリ・コードナ様は苛立ちますよ?」
レントの口調が馴れ馴れしかったので、ミリは少しイラッとする。
「なぜ?何故わたくしがコーカデス卿に苛立つ必要があるのです?」
「それは自分ならもっと上手く出来ると、ミリ・コードナ様が思うからです」
「コーカデス領の事など、耳にしなければ良いのです」
「確かにコーカデス領にはソウサ商会の支店はありません。ミリ・コードナ様の耳に入る情報量も少ないでしょう。しかし、ボソボソと途切れ途切れに聞こえる声にこそ、人は耳をそばだててしまうものです」
「コーカデス卿はわたくしが情報の取捨も出来ないとお考えですか?」
「そう言う意味ではミリ・コードナ様は、コーカデス領の情報に興味を持ってしまうとわたくしは思います」
レントはミリに微笑んで見せる。ミリの眉根が寄って口角が下がった。それを見てレントは、壁の向こうのミリの姿が見えた気がした。
「コードナ侯爵家とコーカデス子爵家。家格は我が家の方が下ですので、その意味ではミリ・コードナ様が我が家に興味を持つとは思いません」
そのレントの言葉にミリは反論をしたい。
自分は将来は平民になるのだから、貴族家の家格で論じられても仕方がない。意味がない。
しかし反論すれば、コーカデス家に興味がある様に響いてしまう。それは違った。
反論を口に出来ないミリの唇に力が入る。
「しかしわたくしはミリ・コードナ様より一つ年上なだけの子供です。その御自分と同じ様な子供が、上手くもない領政を行って、好き勝手に開発をしているのを知ったなら、ミリ・コードナ様が何も感じない筈はありません」
「他家の事です」
「わたくしに口を出すなと仰った様に、御自分も口を出さないと?」
「もちろんです」
「確かに家同士ならばそうでしょう。しかし子供同士ならどうですか?」
「・・・どう言う意味ですか?」
「サニン殿下の親睦会で、ミリ・コードナ様は小さい子達を助けてあげていたではありませんか?」
レントは「小さい」と言う時に片腕を挙げて、自分の頭の高さに手のひらを伏せた。レントは背が伸び始めていたけれど、まだミリよりは小さい。それなので、自分も小さいですよアピールを盛り込んでみる。
「それにわたくしにも席を譲って下さろうとなさいました。そして同席も勧めて下さいましたよね?」
「それとこれとは話が違うではありませんか」
「確かに話の規模は違います。ミリ・コードナ様が助けて下さるか下さらないかに拠って、コーカデス領の領民が暮らしていけるかどうかに関わるのですから」
「他領の領民など、わたくしには責任はないではありませんか」
「その通りです。コーカデス領の領民への責任は、領主となりましたわたくしにあります」
「それが分かっていらっしゃるなら、コーカデス卿が何とかなされば良いではありませんか」
「はい」
「はいって」
「ですから今、コーカデス領の領民の未来の為に、コーカデス領の領主として、ミリ・コードナ様に御協力頂ける様にお願いしているのではないですか」
胸に手を当てて体を少し前に倒し、真面目な表情の顔を僅かに前に出すレントを見て、ミリはふっと力を抜いた。
「わたくしのコーカデス領への投資は、父が禁じました」
レントは壁の綻びを感じた。
「はい。ですので最初の質問に戻らせて頂きますが、バル・コードナ様とラーラ・コードナ様の許可、あるいはコードナ侯爵閣下のものも必要かも知れませんが、皆様の許可が下りた暁には、ミリ・コードナ様はコーカデス領の領政に、御協力頂けますか?」
「わたくしは平民となるのです。平民に領政関与は無理です」
「そこでしたか。ですがミリ・コードナ様が平民となる事など、ソロン王太子殿下が見逃す筈がないではありませんか」
「その様な事はありません。ソロン王太子殿下とて、貴族家の内情に口出しは出来ません」
「口出し出来ないからこそ、あの手この手を使うのです。ましてやミリ・コードナ様が平民となられたら、ソロン王太子殿下に好い様にされてしまうかも知れません」
レントはソロン王太子への不敬と受け取られるかも知れないとは思いながら、ミリの気持ちをたぐり寄せる為に敢えてそう口にした。
しかしレントは急ぎ過ぎていた。
「わたくしが父に唯一許されたのが投資だと、コーカデス卿は仰いましたが、そうではありません。結婚も仕事も投資も禁止されてもまだ、父に禁止されていない事がわたくしにはあります」
レントは嫌な予感を覚える。
「それは、平民になる事でしょうか?」
流れ的にそうではないと思いながらも、レントは何とか自分の対応出来る範囲にミリに話を収めて欲しかった。
「いいえ。学ぶ事です」
レントは、気持ちではホッとしながらも、思考では警戒のレベルを上げる。学ぶ事から繋がる先が見えない。
「それはミリ様の将来と、どの様に関わるのでしょうか?」
レントは思わずミリの名に家名を付け忘れる。
学ぶ事が将来に影響するのは当然だけれど、ミリが描くミリの将来がレントには分からなかった。
「わたくしは留学致します」
「へ?」
「ソロン王太子殿下の影響も、他国でしたら及び難いかと思います」
「・・・へ?」
レントの前には、国境の壁が立ち塞がる事になる。それはミリの壁とは意味合いが違うけれど、距離の壁や時間の壁を産むものだ。
レントに追い立てられたミリは、留学に逃げ込む事に、この場で決心をしていた。




