今日の疲労と明日の予定
レントの父スルトは、自分の宿に帰って行った。使っているコーカデス家の馬車や連れている護衛達は、後で送り返すと言う。
レントは叔母リリの部屋で、明日の予定を確認していた。
「叔母上、お疲れではありませんか?」
「そうですね」
リリはレントの言葉に素直に肯いた。
王宮で国王との謁見があり、甥が子爵になって、自分が後見人に認められた。兄が離籍して平民になり、平民女性と再婚をすると言う。真実の愛だそうだ。その兄に甥は生活費を仕送りすると言う。
数年間ずっと、領地の邸の敷地から出ずに離れで引き籠もって暮らして来た身にとっては、今日の出来事は許容量を越えていた。
「レント殿も疲れたでしょう?」
今日のリリの身に起きた出来事の、本当の中心人物はレントだ。疲れていない訳がない。
「そうですね」
レントは曖昧な返事をした。
確かに今日の出来事を他人事だと思うと大変ではあった筈だが、レントの体感ではそれ程でもない。それは明日にも別の、大物の予定が控えているからでもあった。
レントはリリに尋ねてみる。
「明日はどうしますか?中止としましょうか?」
リリが中止を望むならそうしようと、レントはリリの表情を窺う。
リリも、中止にするかと訊かれたら、そちらに心が動いてしまう。今日の疲れもあって、中止に流されそうになる。
「ですけれどわたくしは、次にはいつ王都に来られるか、分かりません」
リリは自分を逃がさない為に、事実を口にした。
「それにコーカデス子爵閣下が授爵した事は、挨拶に伺う為の口実としては、これ以上のものは望めません。このタイミングを逃したら、わたくしは二度と訪ねては行けないでしょう」
「確かに、それはあるかもしれませんね」
レントが僅かに肯いた事で、リリは更に自分を追い込む。
「その上、こちらからお願いをして時間を作って頂いた訪問の約束ですのに、こちらの都合でキャンセルするなど、侯爵家に対して子爵家が行う事は許されません」
そうは言っても、それなりの理由があれば許されるとレントは知っている。そして父親スルトが貴族籍を抜けた事などは、それなりの理由に該当させられるだろうとレントは考えていた。
「許されないとまではいかないと思うのですが」
しかしそのレントの考えは、レントが気遣った相手の首を縦には振らせない。
「閣下」
リリにそう呼び掛けられ、このままだとその呼ばれ方で固定しそうなので、何とかしたいレントだったが、しかしリリの真面目な表情に、ただ「はい」とだけ返した。
「コードナ侯爵家やコーハナル侯爵家からの閣下への応対が、以前のコーカデス家へのものと比較して険しさが取れたのは閣下のお力だとわたくしも思いますが、ですからと言って、それに甘んじたり、それをあてにしてはなりません」
「その様な積もりではありませんが」
「閣下のお気持ちとしてはそうなのかも知れませんが、傍から見てその様に受け取れる事は問題です」
「そうですね。確かにそう受け取られるのなら、両家に甘えていると言われてしまうでしょう」
「ええ、その通りです。閣下?」
「はい、叔母上」
「もしかしたら両家にお願いしなければ、コーカデス領が立ち行かなくなってしまう事が、今後起こるかも知れません」
「それは干魃や水害などですね?」
「ええ、その通りです。その時には助けて頂かない訳にはいかないのですから、そうではない限りは、甘えと取られる行いはしてはなりません。それは閣下のお心に関わらず、両家や周囲にどの様に受け取られる可能性があるかが問題となるのです」
「分かりました、叔母上」
レントはリリに向けて肯く。
確かに災害が起これば、体力のない今のコーカデス領では、自領だけでは対応しきれないだろう。そして手助けしてくれる他領のあてもない。
レントが助けて貰えるとしたら、コードナ侯爵家とコーハナル侯爵家くらいしかないだろうし、向こうから「助けようか?」と手を差し出して貰える様な関係ではないので、その際にはこちらから「助けて下さい」と頭を下げにいく必要がある。
そしてその時に助けて貰う為には、普段からレントやコーカデス子爵領が、自助努力をしている事を知っておいて貰う必要があるとは、レントも思った。
それなので、疲れたから予定を変えさせて下さい、とは両家には今は言えない、とレントは肯いた。
「それでは予定通り、明日はコードナ侯爵家とコーハナル侯爵家を尋ねましょう」
リリは本心としては顔を出したくない。しかしレントの為にと思って自分が言いだした事だ。それに当主がそう決定したのなら行くしかない。
リリは自分の気持ちの逃げ道を塞いで、レントに肯き返した。
「ですが、バル・コードナ様の邸はどうしますか?」
レントの問いにリリは言葉が詰まる。
リリとしては、バルの邸の訪問を別問題に切り離して欲しくなかった。コードナ侯爵家とコーハナル侯爵家を訪ねるのと一纏まりとしたい。バルの邸だけを個別に意識したくなどない。
表情を硬くするリリを見て、レントはリリの疲労を懸念した。
「コードナ侯爵家とコーハナル侯爵家はデドラ様とピナ様の墓参りの名目がありますから、やはり早く伺っておく必要がありますけれど」
リリはコードナ侯爵邸とコーハナル侯爵邸を訪ねるよりは、バルとラーラの邸を訪ねる方が気が重い。
しかしリリとしては、バルとラーラに会う事も大きな目的であるし、その流れを作る為に、ある意味ウォーミングアップの様な前座の様な位置付けで、コードナ侯爵邸とコーハナル侯爵邸を訪問するのだ。
「先程も申しました通り、今後には訪ねる機会がないかと思いますので、バル・コードナ様とラーラ・コードナ様の下も訪ねさせて下さい」
「分かりました」
レントはすんなりと肯いた。
レントはリリがバル達を訪ねるかどうか、リリの体調だけを心配して確認していた。
コードナ侯爵邸とコーハナル侯爵邸を訪ねるのは、今日の一連の出来事の後で、リリに更なる負担を掛けるとレントは考えている。そして、コードナ侯爵邸を訪ねたら、コーハナル侯爵邸を訪ねない訳にはいかないと、レントは思っていた。
しかしバルとラーラの邸を訪ねるのは、両家とは並べなくても良いとレントは考えていた。それなので、いざとなったら当日に直前での訪問キャンセルをすれば良い、とレントは心で決めている。
レントは、バルがリリを好きでリリも満更ではなかったけれど、それをラーラが横から奪ったとの噂を聞いていた。
しかし実際に会ったバルとラーラの印象から、噂は大袈裟に語られているのだとレントは考えている。
何しろレントは、リリがラーラの誘拐に携わったと言う話は、全く信じていない。それは満更程度の好意で誘拐に加担する事などあり得ないと考えていたのと、そもそもどの様な理由があったとしてもリリが誘拐に加担する人間ではないと思っていたからだ。
それなのでレントは、バルとラーラに会う事をリリがどう感じているかに付いて、とても軽い事の様に、簡単に取り止めても構わない程度の事として受け止めていた。




