05 もし縁談が来たら
バルとラーラの交際の話は、リリの両親であるコーカデス侯爵家の跡取り夫妻の耳にも届いた。
「リート、聞いた?」
いつもより大きめの声を出しながら、リリの母セリは夫に詰め寄った。
リリの父リートは妻の様子に内心少し引いた。もちろん表情には殆ど出さない。
「何をだ?」
「コードナ家のバルの事よ」
「バルがどうした?」
「平民の女と交際しているそうよ?知らないの?」
「ああ、知っている」
「知っていて黙っていたの?」
「セリはいつ知ったんだ?」
「先程よ。お茶会で言われたわ。お陰で恥を掻かされたわよ」
「知らなくても別に恥ではないだろう?」
「知らないからではないわよ。どうする積もり?」
「何をだ?」
「リリの事に決まっているではないの。リリと婚約の約束をしておきながら、バルは平民と交際していると言うのよ?」
婚約の約束と言うのも変なものだ、とリートは思う。結婚の約束が婚約なのだから、約束する約束ってどうなんだ?
そもそもその約束をリートはした覚えがない。いつの間にか両家での約束となっていた。しかもただの口約束だと言う。本当にそんな約束をしたのか?いったい誰が?どこで?
確かにリートは昔、姉妹のうちのどちらか一人をコードナ家に嫁にやっても良いとは言った気がするが、その時は酔っていたので良く覚えていない。
しかし絶対にバルにではない。可愛い娘を爵位を継がないバルに嫁がせる訳が無いじゃないか。有り得ない。長男なら有り得なくもないが三男なんて、有り得る筈がない。
「平民との交際など、交際のうちに入らないだろう?真に受けて騒ぐ方が恥を掻くぞ?」
「向こうが頭を下げて来たから、リリとの婚約を約束して上げたのよ?」
リートはそんな状況をやはり思い出せない。
「それなのに勝手に、平民となんて交際して」
「どうせ遊びだろう?女好きのバルらしいじゃないか」
「もしバルがその平民と結婚でもしてご覧なさい。リリが周りになんて言われるか、分からないの?」
「侯爵家子息とはいえ三男だから、確かに平民との結婚は有り得るか」
その様なレベルの低いバルにリリを嫁がせるなんて、とリートは約束の信憑性を改めて疑った。
「そうなったらバルとの縁が切れて、リリは周りから祝福されるだろうな」
「そんな訳ないでしょう?平民に負けたって言うレッテルが貼られるのよ?」
「だからってリリを無理矢理バルと結婚させるのか?」
リートの中ではリリとバルの結婚は、荒唐無稽で無理矢理な話になっていた。
「そうではないわ。そうではないけれど、おかしいでしょう?向こうが頭を下げて頼んで来て置きながら、我が家に何の断りもなく平民と交際させるなんて、許せる筈がないでしょう?」
セリがお茶会で何を言われたのか、リートは思い当たった。面子が潰されても平気でいるのね、などと煽られたのだろう。
「だからと言って、コードナ家にバルとリリを結婚させてくれなんて、頼みに行く積もりじゃないよな?」
「なんでこちらが頼むのよ?あちらが頭を下げるべきでしょう?」
「頭を下げて来たら、結婚させるのか?」
「それは、リリ次第ですけれど」
「じゃあどちらにしろ同じなのだから、構わないじゃないか」
「同じとは何がですか?」
「向こうが頭を下げて来ようが来まいが、リリはバルと結婚させないんだろう?リリの結婚相手がバルより条件が良ければ、我が家の面子も立つ」
なんでセリにはこんな簡単な結論が思い浮かばないのかと、リートは呆れる。よほど頭に血が上っているのかと思った。
リートは前からその積もりだ。
相手がコードナ家でも、跡継ぎとリリなら結婚させても良い。
今となってはリリの姉のチェチェは駄目だが、それと言うのもソロン王子がチェチェの事を好ましいと言った事があるからだ。好い加減な噂ではない。確かな筋からの情報だ。
だから長女はコードナ家に嫁にやれないが、リリなら跡継ぎに嫁がせない事もない。コードナ家の出方次第だ。
しかしセリは微妙な表情をしていた。少なくともリートの意見に納得してはいない様だ。
「どうした?気に入らないのか?」
「そうでは無いけれど」
「面子の事か?あれだけリリリリ言っているのだから、バルの気が済んだらリリとの婚約を打診してくる。そうなったら笑った奴等を笑い返せばいい。それまでの我慢だろう?」
「その時にリリが受け入れたらどうするの?」
「それはまあ、婚約をしても良いと言う口約束もある様だし、誠意を見せてリリには一応気持ちを聞くが、結果は決まっているじゃないか」
「だから、リリがバルとの婚約を受け入れたらどうするのよ?」
「馬鹿らしい。そんな事有り得ないだろう?毎日毎日アプローチされて、一度も受け入れてないんだぞ?あれだけ嫌っているのに、どうやって受け入れるって言うんだ」
「嫌ってはないでしょう?」
「何言ってるんだ。あれ程言い寄られて、少しも絆されてないんだぞ?嫌ってなければ何だって言うんだ」
「リリはバルの事を満更でもなく思っているわよ?」
「そんな馬鹿な事があるか」
「嫌っているなら傍にいる事を許す訳ないじゃない」
「いや、そんな筈ないだろう?」
「パーティーに誘われて、嫌っている人にエスコートを許すと思う?」
「それは、しかし」
「お茶会で、嫌っている人の隣に自分から座るかしら?」
「それならなんで、バルからのアプローチを受け入れないんだ?」
「それは最初に周りが囃し立てたから、恥ずかしがって拗ねちゃったのよ」
「最初?最初って何の話だ?」
「初めてバルがリリに、好きだから付き合ってって言った時よ」
「そんな昔の事、何年前だと思っている?」
「何年も何年も、リリは拗ね続けているのよ」
「いや、違う。あの後リリは、お父様のお嫁さんになるって言ってくれたんだぞ?バルの事なんて何とも思っていない証拠じゃないか?」
「リートのお嫁さんなんて言ったの、あの時一度切りじゃないの。今はもう、思ってないわよ」
「それは分かっている。親子で結婚できない事をリリが知っているのは分かっている。しかしあれは父親にとっては勲章なんだ。バルになんぞ、負ける訳がない」
「大事な思い出なのは分かるけれど、リリの現状を理解するには邪魔な記憶ね。リリがバルを満更でもないと思っていると、少なくともお義父様とお義母様も思っているわ。リリとバルの婚約の話がコードナ家から来たら、お二人は受ける積もりよ?」
「そんな、リリを侯爵家とは言え三男の嫁にする事に、我が家にどんなメリットがあると言うんだ?」
「リリの幸せを考えているみたいだけれど」
「あんな女好きと結婚して、幸せになんかならんだろう?」
「ああ見えて、バルも一途だと思うけれど」
「何が一途だ。枝分かれし放題じゃないか」
「そう思うならコードナ家からの縁談を受けない様に、お義父様とお義母様に釘を刺して置いてよ」
「いや、まず本人に確認する」
「え?リリに?」
「そうだ」
リートは使用人にリリを呼び出させた。
「大丈夫?」
「何がだ?」
「リリが婚約を受けるって言ったらどうするの?」
「そんな事有り得ないが、万が一そうなら、もっと条件の良い相手との縁談を直ぐに調える」
使用人に連れられてリリが入室する。
「なんのご用かしら、お父様?」
「ああ、リリ。話がある」
「ええ。お母様、もうお茶会は終わったの?」
「早目に帰って来たのよ」
「何か有ったの?」
「有ったからお前を喚んだんだ」
「え?私の事?」
「そうだ。リリ。バルとの婚約話が来たら、お前はどうする?」
「え?そんな話があるの?」
「いや、まだない。だが、お前の考えを聞いて置きたい。バルは今、平民女と交際しているそうだが、知っているか?」
「・・・ええ。学院で噂になっているし」
教室でのバルとの遣り取りに付いて、リリは家族に伝える気にはなれなかった。
「そのバルが婚約を申し込んで来たらどうする?お前は受けるのか?」
「それは、いえ」
「まあ、そうだろうな」
「リート、そんな訊き方ないでしょう?ねえリリ?もしコードナ家からバルとあなたとの婚約申し込みが来たとしても、断っても良いの?話だけ受ける?」
「私の訊き方とどこが違うんだ?」
「お母様。そんな話がお茶会で出たの?」
「いいえ。婚約に付いては出ていないけれど」
「それなら何故、そんな事を私に訊くの?」
「心配だからよ」
「何が心配なの?」
「お前がバルに気があるなら、平民女との交際なんて許せんだろう?こちらとは婚約の約束をしていると言うのに」
「リート、その話ではないでしょう?」
「婚約の約束?それって何?」
「いや、お前にその気がないなら関係ない話だ」
「もしあなたがバルを受け入れるなら、婚約させても良いかも知れないって言う話が、両家の間にあったのよ」
「昔の話の様だし、私は賛成していないがな」
「リート。私達が反対しても、お義父様とお義母様がその気なら仕方ないじゃない。でもリリ。もし話があっても断って良いのね?」
「代わりにもっと良い条件の相手を直ぐに選んでやる」
「お父様は反対なのね」
「バルが可愛いリリを選ぶのは分かるし、バルが悪い訳じゃないが、リリはバルには勿体ない。バルには平民の方が似合うんじゃないか?侯爵家とは言え三男だし」
「バルは騎士になるらしいけれど、学院の成績は悪いらしいじゃない?だからリリの結婚相手としてでは、将来が不安になるわよね」
「勉強もせずに女とチャラチャラしてるからだ。金持ちの平民と結婚して、妻の実家から仕送りして貰うんじゃないか?」
「確かにバルは、余りプライドがなさそうですものね」
リートとセリは顔を見合わせて苦笑した。
リリは無表情で視線を下げていた。
「それでは父上と母上に釘を刺しに行くか。リリも来るか?」
「いいえ。課題の途中だったから、部屋に戻るわ」
「そうか。じゃあ二人で行くか」
「一人で行って下さいよ」
「私達の娘の話なのだから、二人で行くべきだろう?」
「リリにその気はないからバルとの縁談が来たら断る様にって、伝えるだけでしょう?」
「じゃあ、私は部屋に帰るわね」
「ええ。忙しい所、詰まらない話で悪かったわね」
「後は任せておけ」
「任せますね、リート」
「いや、セリも一緒に来いって」
両親が言い合うのを背に、リリは自分の部屋に戻った。
課題は中々片付かず、その夜のリリは余り眠れなかった。