離籍届
王宮での授爵の帰りに、レントとレントの叔母リリが泊まっている宿に、レントの父スルトもやって来た。
リリの部屋の居室で、三人でテーブルを囲んで椅子に座る。スルトの向かいには、レントとリリが並んで腰を下ろした。
「父上、お話しとは何でしょうか?」
レントは自分からも、スルトが王宮から受け取った還付金に付いて、どうしたのかスルトに訊こうと考えている。しかしレントは先ずは父親に先を譲った。
「私は家を出る」
そう言ってスルトはニヤリと笑う。
リリの眉根が一瞬寄った。レントは表情を変えずに、スルトの言葉の続きを待つ。
レントの様子を見て、スルトの口元が歪んだ。
「・・・可愛げのない奴だ」
スルトの視線を受け止めていたレントは、その言葉に瞬きをする。
「父親が家を出ると言うのに、顔色一つ変えないなんて、随分と薄情に育ったものだな」
スルトが自分にどんな反応を求めているのか、レントには全く分からなかった。
現在でも視察だとの名目でスルトがコーカデスの邸に不在の時間は長く、帰って来てもレントが用意した書類にサインをしたら、直ぐにまた邸から出て行っている。しかしこれからは書類へのサインも、領主となったレントがすれば事足りて、スルトを待つ必要はない。それなので、スルトがコーカデス邸に帰って来なくなる事は、レントにとっては想定済みだった。
だが、スルトの言葉の後半部分には、レントは引っ掛かりを覚える。スルトが帰って来ない事に顔色を変えない事が薄情と言われても、レントにはピンと来ない。しかし、自分を育ててくれた叔母リリを非難する積もりなのかと、レントはスルトを警戒をした。
それなのでレントは、話題を薄情から逸らせようと試みる。
「家を出ると仰るのは、コーカデスの邸にはもうお戻りにはならないと言う意味でしょうか?」
「それ以外に何がある?私はもう戻らん。それも察せられないのか?」
察してはいるけれど、それもリリへの非難に繋げられそうなので、そうさせない為に、レントはスルトの意見を受け入れた。
「分かりました」
肯くレントに、スルトは少し慌てる。スルトが思っていた反応がレントから引き出せてはいなかった。レントが薄情なら反応もこの程度だ、などとはスルトは思ってはいない。
「いや、それだけではないぞ?」
スルトは早口気味にそう口にした。しかし言いたい事が整理出来ていないので、言葉の内容に中身がない。
「はい。生活費の届け先を教えて下さい」
淡々と話を進めようとするレントに、スルトは慌てた。レントから思った反応が引き出せずに、自分の言葉の効果が薄い。レントがちゃんと理解していないと考えて焦ったスルトは、更に早口になるり
「いや私はコーカデス家から籍を抜く!」
そう言うとスルトはテーブル上に、一枚の紙を叩き付ける様に出した。レントの体が僅かにピクリと動く。
「・・・え?」
レントはスルトの出した紙を手に取った。
驚いた様子を見せたレントに、スルトはニヤリと笑う。
「それにサインしろ。コーカデス家の当主としてな」
「お待ち下さい。これは」
紙からスルトに視線を移すレントの戸惑った表情に、スルトは喜びを感じた。
「離籍届だ。待つ事は出来ん」
「父上は貴族である事を止めると言うのですか?」
スルトはレントを睨む。そのスルトの顔を見て、リリは眉根を僅かに寄せた。一方でレントは、紙に視線を落としているので、スルトに睨まれている事には気付かない。
「ああ、その通りだ。つまり、お前の父親でもなくなる訳だな」
スルトはレントが思い至っていないと思われる事に、自分の口から言及した。
その言葉にレントは顔を上げ、スルトを見る。
そのレントの顔にスルトは、自分の言葉の効果を感じた。
「生活費もいらないのですか?」
「はあ?」
スルトが声を荒げる。
「その様な訳がないだろう?!」
「そうですよね。ですが籍を抜けるのならコーカデス家とも縁が切れる訳ですから、お金を渡す理由もなくなります」
戸惑いを消してそう言うレントに、スルトは苛立った。
「それはそれ、これはこれだ!たとえ縁が切れても、私のこれまでの領主としての働きに報いる必要が、コーカデス家にはある!」
スルトがリリに指を差す。
「大体こいつだって!」
「分かりました」
レントは腕を伸ばして、スルトの指先とリリとの間に手を差し入れた。本当はスルトの手を下ろさせたいけれど、レントの腕の長さでは届かない。
それでもレントはスルトがリリを貶める言葉を口にさせなかった。
「では、生活費はお渡しします」
その言葉にリリは、スルトに向けていた顔をレントに向ける。
スルトの生活費ならコーカデス領からは出せない。出すならコーカデス家からだ。
コーカデス家にはコーカデス領以上に経済的な余裕はない。縁が切れた人間への生活費など、出す必要がないとリリは思った。
もちろん今、レントが自分を庇ってくれた事はリリも分かっている。しかしリリがコーカデス家で無為に過ごしている事に付いて、先日まで当主であり、リリの将来への決定権を持ってもいたスルトが自分や、ましてやレントを責めても良い事ではないとリリは考えていた。
そしてレントは、リリにはレントの教師としての報酬が支払われていない事を知っている。その事でスルトが責められる事はあっても、リリが居候の様な扱いをスルトがする事をレントは見逃せなかったし、許せなかった。




