49 何でいるのか分からないパノ
「本日急遽話し合いの場を調えて頂いたのは、ソウサ家とコードナ家の両家に、こちらのラーラ・ソウサ殿と私バル・コードナとの婚姻を認めて頂く為であります」
「え?!」
バルの趣旨説明に、パノは大きな驚きの声を上げながら立ち上がっていた。
ラーラはあまりにも直截な発言に呆れながらバルの顔を見たが、直後のパノの声の大きさに驚いてそのまま竦んでいる。
ラーラの様子に気付いたバルは、手の甲をラーラの前に差し出す。ラーラは条件反射の様に機械的に、指先をバルの手の甲に載せた。バルはラーラに微笑む。ラーラは少しだけ口角を上げた。
その様子を驚いたままの顔で見ていたパノに、バルは冷たい視線を向ける。
それはまるで角度によって見え方が変わる細工物の様な、鮮やかな表情の切り替えだった。
「パノ・コーハナル殿。何だろうか?」
「あ、いえ。何でもありません。お続け下さい。失礼しました」
パノはその場の全員に頭を下げ、着席した。
自分があまりにも驚いたから、周りの人達が驚いていたのかどうなのか、パノには全く見えていなかった。
しかしパノが驚くのも無理はなかった。
今日パノがソウサ邸を訪れたのは、差出人にパノの名前が使われていた手紙を見せて貰う為だ。
パノの字ではなかったと祖母ピナからは聞いていた。しかし自分の知らない所で、勝手に名前を使われたのだ。自分の手紙ではない事は、自分の目で見て確かめたかった。手紙の内容も気になった。
ソウサ家から、貸し出す事は出来ないけれど見せるだけなら構わないとの返事を貰い、訪ねて来たのが今日だっただけで、この話し合いの傍聴などはする予定ではなかった。
しかも何故か祖父母もソウサ邸に同行する事になっていたし、手紙を見せて貰うより前に今この場にいる。
ラーラが誘拐されていたと言うのも、パノはつい先程知ったのだ。
その動揺が収まらないうちに、バルとラーラが結婚するなどと聞けば、驚かない方がおかしかった。
バルの祖父コードナ侯爵ゴバがバルに向かって質問する。
「ソウサ家の皆さんも驚いている様だが、ラーラ殿との結婚はソウサ家には根回ししていないのか?」
ラーラは自分の家族に目を向けた。驚いてもいる様だけれど、半分は呆れていそうだ。
「ええ。この場で始めてお伝えしました」
バルのその答を聞いて、ゴバは小さく溜め息を吐く。続いてバルの祖母デドラが尋ねた。
「ラーラさんとは合意が取れているのですか?」
「はい」
そのバルの返事に、ラーラはまたバルに顔を向けた。
「ラーラさんの表情を見ると、違っている様に見えます」
「そんな事はありません。そうですよね、ラーラ殿?」
「申し訳ありませんがその前に、確認させて頂きたい事がございます」
ラーラはバルの手の甲から指を離した。
「バル様はこの場の議長で、バル様の許可を得てから発言する決まりなのでしょうか?」
「いや、そうではありません」
「ソウサ家の者達も、好きなタイミングで声を上げてよろしいのですね?」
「ええ、当然です。何故そんな質問を?」
「先程、コーハナル侯爵令嬢様の声をバル様が咎めた様に思えましたので、念の為に確認させて頂きました」
「咎めてはいます。コーハナル侯爵家の方達に傍聴は許しましたけれど、発言を許した訳ではありませんから」
バルはそう言うとコーハナル侯爵夫妻に視線を向ける。それを受けて二人は声を出さずに小さく肯いた。
それに対してラーラは異を唱える。
「わたくしはコーハナル侯爵家の方々の御意見も伺いたいと存じますが、それを望むなら別に機会を設けて頂いた方がよろしいでしょうか?」
貴族の常識は頑固なバルの意見を否定するだろう。
ラーラは一人でも多くの味方が欲しかった。
バルが暴走しない様にはラーラがコントロールする。だから他の参加者にはバルを押し切って欲しい。バルが回り込んで抜け出さない様に、隙間無く常識の壁を巡らせてバルを取り囲んで欲しかった。
その為には、この場でコーハナル侯爵家の三人にも発言して欲しい。特にパノだ。リリの友人だし、バルとの付き合いも長かった筈。バルの恥ずかしい過去もたくさん知っていそうだ。きっとバルの弱点にも詳しいだろう。
「ラーラ殿がそう言うのなら、私は構わないが」
バルのラーラへの返事を聞いて、パノはまた驚いた。これは尻に敷かれていると言うやつだとパノは思った。
バルの言葉に微笑んだラーラにバルが微笑みを返すのを見て、バルがラーラに骨抜きにされていると言うのは強ち間違いではないとパノには思える。
そこでふと、そうでなければ平民と結婚するなんて言わないかと、パノは納得をした。
「コードナ侯爵様。コードナ侯爵夫人様。お二人もそれでよろしいでしょうか?」
「構いません」
「ラーラ殿が求めるなら、それで良いだろう」
またパノは驚く。
同格の貴族家にわざわざ発言権を与えるなんて、普通ではない。他家の口出しを抑えるのが貴族の常識だ。
パノにはコードナ侯爵夫妻の狙いが思い当たらず、恐れを感じた。その恐れから、自分はこの場にいない方が良いのではないか、まさかコードナ侯爵家は自分を誘拐の犯人にする積もりではないか、と疑いが生まれ、そう思うと背中に冷や汗が流れた。
そしてコーハナル侯爵家に発言を求めるラーラは、何を言い出すのか?何を言わせる積もりなのか?
パノは寒気にピクリと肩を竦めた。
「コーハナル侯爵様。コーハナル侯爵夫人様。コーハナル侯爵令嬢様。皆様もよろしいでしょうか?」
よろしくない。パノはそう言いたいけれど、却って犯人扱いされそうで声が出ない。
しかしこれはこれで、言質を取られない為に黙っている積もりかなどと言われ、何か後ろめたい事でもあるのかなどと痛くない腹を探られそうだ。
「ああ。構わない」
「でも、お話の邪魔はしない様にしますから」
パノが唾を飲み込む間に、パノの祖父ルーゾと祖母ピナが了承する。
自分の祖父母はラーラの提案を受け入れたけれど、何か対策があるのだろうか?それとも自分の考え過ぎか?
取り敢えず、祖父母も一緒だし、自分は喋らない様に注意していれば大丈夫だろう。
そう考えてパノも「はい」とだけ答える。
「ありがとう御座います」
ラーラは椅子から立ち上がり、両侯爵家の面々に頭を下げた。
頭を上げると今度は顔をバルに向けた。
「それと、バル様は言葉遣いも問わないと仰いました。しかしバル様が丁寧な口調をお使いになると、平民のわたくし達は声を上げ辛くなります」
そこでラーラはコードナ侯爵家の二人を見る。
「コードナ侯爵様。コードナ侯爵夫人様。コードナ侯爵邸でのいつもの言葉遣い位でもよろしいでしょうか?」
ゴバとデドラはそれに肯いて了承した。
「構わない。それといつもの様に、ラーラと呼ばせて貰おう」
「私達も名前で構いません」
「ありがとうございます。ゴバ様。デドラ様」
そう言ってラーラは二人に微笑みを向けた。そしてコーハナル侯爵家の三人を見る。
「コーハナル侯爵様。コーハナル侯爵夫人様。コーハナル侯爵令嬢様。もし言葉が聞き苦しい様でしたら、ご指摘下さい。よろしくお願い致します」
ラーラの少し砕けた言葉遣いにコーハナル侯爵夫妻は「構わない」「気にしなくて良いですよ」と返した。
出遅れたパノが取り敢えず微笑みを浮かべて応えると、ラーラもパノに微笑みを返した。
「ありがとうございます」
そう言ってラーラは頭を下げた。
頭を上げるとバルに顔を向ける。
「バルさんもそれで良いですか?」
その言葉遣いから、ラーラがプライベートだけれど二人きりではない時のモードを望んでいる事が分かったバルは、「もちろん」と笑顔で返した。それに「ありがとう」と返してラーラも微笑む。
次に椅子に座ってソウサ家の6人を見た。
「みんなも私にはいつも通りで、貴族の方々には営業する時くらいで大丈夫だから」
ラーラのその言葉に対してソウサ家の面々は、「ああ」とか「分かったよ」とか肯くとか手を上げるとかで応えた。
ラーラはそれに「よろしく」と小さく肯いて返した。
そしてラーラはデドラを向いた。
「デドラ様の先程の質問に付いてですけれど、私はバル様との結婚に同意はしていません」
「そう言う積もりかとも思ったけれど」
バルは少し上を見上げてそう言って、肩を竦めた。




