46 甘い誘い
これは罰なのだとラーラは考えた。
バルとは、ミリとキロの事を尋ねて、交際終了を伝えて、お別れの筈だった。
それなのに、バルからプロポーズされた。愛しているとも言って貰えた。日和ったけれど、バルに好きとも言えた。
こんなの、思いが膨らむしかない。
諦める為に会って置いて思いを募らせるなんて、我ながら愚かだとラーラは思う。
それもこれもバルが悪い。この頑固者が、いくら言っても諦めない。だから自分も諦めなくても良い様な気がして来てしまうのだ。
どう考えても無理なのに。
確かに侯爵子息とはいえ三男だから、もしかしたらとの思いもあった。
そんな事を考えていたから、バチが当たったのだ。
バルが愛を告げる度、応えられないラーラは傷付く。それをバルは知っている。そしてラーラを傷付ける事で、バルも傷付く。それなのに愛を告げる。
ラーラが傷付く事を知らないのより、ラーラが傷付く事を無視するのより、悪質だ。バルも傷付いているのがラーラには分かるから、バルを責めきれないし嫌えない。でも腹が立つ。バルのばか。ばかバル。大嫌い。
バルが好きと言うラーラの気持ちにばかバルの波が立ち、波飛沫で大嫌いの泡も立つ。
自分にはもうバルを諦めさせる事は出来ないと、ラーラは思った。この頑固者の考えをどうしたら変えられるのか、アイデアが出ない。
ラーラの周りに巡らされていた壁は、バルにすべて回り込まれてしまった。
もう自分には戦えない。もう自分は裁かれて罰を受けるのを待つだけだ。
それなので、後は戦える人達に任せよう。
バルとの別れを罰として自分は選んでいた筈だった。それに加えて誘拐までされて、別れは必然になった筈だ。さっさと罰を受けなかったから罪を重ねて、大切な人達を殺したのだ。
その罰を受ければ、自分の心は焼け付くだろう。思いを膨らませてしまった今なら、焼け焦げるまであるかも知れない。
それなら燃え尽きてしまうのも良いのかも知れない。バルにもっと気持ちを寄せて甘さに溺れてしまっても、燃え尽きれば却って別れの後に悔いが残らないかも知れない。
それが、問題を何一つ解決させないどころか新たな問題を生み出しかねない考えである事は、ラーラにも分かっている。でもバルが自分を求める姿を少しでも長く見ていられるなら、ラーラはもうそれで良い気がしていた。それで良いと言うより、それを望み始めている。
バルが諦めない限り別れは来ない。バルとの別れと言う罰がいつ下されるのか、ラーラには上手くコントロール出来ていない。
どうせ最後にはバルへの思いが焼き尽くされるのなら、別れを思ってジリジリと心が炙られるより、別れを忘れてバルに甘えたい。
思いを更に募らせれば、罰で心が焼き尽くされるのに掛かる時間はきっと短くなって、苦しむのは一瞬で済むに違いない。そして却って恋愛感情が焼滅していた方が、将来は男性に惑わされずに済む。もし子供が生まれた時にもその方が良いに違いない。
ラーラはそんな都合の良い言い訳を自分にし始めていた。
バルを巻き込む事にはなるけれど、もうバルは振り切れ過ぎている気がするので構わないか、などとさえラーラは考えていた。
まだ体調が本調子ではなくて思考も澄んでいないから、そんなとんでもない決心をしてしまったのかも知れない。
でもラーラが絶好調でも、バルが諦めないのには変わりがなかった筈だ。
「バル。バルが私を求めてくれるの、とても嬉しい。バルに必要とされるなんて、凄く嬉しいし誇らしいわ。ありがとう」
「俺もラーラが傍にいてくれるだけで嬉しい。ラーラの心を手に入れる為なら、他の何を失っても喜びを感じられるだろう」
他の全てを失くして二人だけの世界と言う考えはラーラを甘い匂いで包み、とても魅力的にラーラには感じられた。
そこにバルと二人で閉じ込められたい。
けれど、自分の代わりに戦ってくれる人の所に、バルを向かわせなければ。バルが他の人と戦い始めるまでは、自分はバルに溺れ切っては駄目だ。他の人と戦わせられたらご褒美に、バルに溺れよう。
「でもバルにはコードナ侯爵家との縁を切ったりしないで欲しい。バルに家族を失わせるのは耐えられない。バルがその選択をしたら、私は一生自分を責めてしまうわ」
「ああ、分かっている。勘当されても良いなんて、ラーラの気持ちを考えていなかったし、今は思ってもいないよ」
「良かった。嬉しいわ。それにバルには騎士にもなって欲しい。バルの夢だったでしょう?バルが騎士になるのは、いつしか私の憧れにもなっていたの」
「嬉しいな。分かったよ。ラーラが望むならもちろん騎士を目指す」
「平民でも騎士になれるのよね?」
「ああ。可能だよ」
「でもとても大変って聞いたわ」
「そうだな。かなり苦労をするらしい」
「バルは貴族なのだから、余計な苦労は不要よね?一日でも早く騎士になってね?」
「分かっているよ。一日でも早く安定した収入を得て、一日でも早くラーラと暮らせる道を選ぶから」
「でも、コードナ侯爵家とソウサ家の説得は、とても時間が掛かるわよね?」
「ラーラの心を手に入れる事に比べれば、大した事ではないよ」
「ううん。私は自分の家族を説得出来る自信がない。どうしたらみんなが納得してくれるのか、全く分からないの。上手く説明出来なければ、家族を悲しませるだろうし」
「それは俺も協力するし、辛いなら俺に任せて貰っても大丈夫だよ?」
「そう言って貰えてとても嬉しいけど、私の問題だし」
「二人の問題だろう?任せて貰えれば俺も嬉しいし」
「そう?確かに私だと説得にとても時間が掛かりそう。でももしかして、コードナ侯爵家の権力でなんとかするの?」
「ラーラはそんなのを望んでいないのだろう?俺はラーラの家族に感謝もしているし、そんな失礼な事はしない。しっかりと誠意を持って説明して、納得して貰うよ」
「ありがとう。嬉しいわ。バルを信じるし、頼りにさせてもらうね」
「ああ、頼ってくれ」
「コードナ侯爵家の皆様の説得は、頑張って私も手伝うから」
「そう?俺に任せてくれて良いけれど」
「二人の方が早く進まない?それに私自身を認めて頂く必要があるし」
「そうだね。お願いするよ。頼りにしているから」
「頼ってくれて嬉しいわ。私、バルの奧さんになれたら、ちゃんと奧さんとして頑張るから。貴族の妻をちゃんと熟せる様に、デドラ様とリルデ様とヒデリ様にしっかりと教えて頂くわ」
「祖母様と母上は良いけれど、姉上はどうなんだ?止めといた方が良い気がする」
「そんな事言ったらヒデリ様に怒られない?それに社交の場では、歳の近いヒデリ様にも教えて頂かなくてはならない事が多い筈だし」
「え?社交?ラーラは社交をする積もり?」
「貴族の妻をやるなら当然でしょう?」
「貴族の妻と言っても俺は三男だし、騎士になるから貴族としての社交は必要ないんだよ」
「平民を妻にして社交もしないなんて、私が馬鹿にされるのは良いけど、それでバルの評判が下がるのは私には耐えられない。でもそうか。私が貴族の妻として社交を行う事で、却ってバルの評判を落とす事もあるのね」
「いや、そんな事はないけれど」
「バルが決めて。私が社交をしない方がバルに取って良いなら、私は何もしないわ。そうじゃないと、私がバルの足を引っ張ってしまうものね」
「そうは思ってないけれど」
「平民の付け焼き刃で社交の場に出たら、きっとバルに恥を掻かせるわよね?バルの為なら社交の場でバルの妻ですなんて名乗るより、私は引き籠もっているべきなのね」
「そんな事ないって」
「私は自分の事だから恥を掻いても仕方ないけど、バルに恥を掻かせるのはイヤなの。コードナ侯爵家の皆様に学ばせて頂いて、女性だけの社交場に一人で参加する時でもバルの評判が上がる様に頑張りたかったのだけど、良く考えたら私の我が儘だものね。バルの役に立ちたいなんて」
「いや、結論は待ってくれ。皆にも相談してみよう」
「え?それじゃあバルとしては、私が貴族の妻として社交しても良いの?」
「ああ、そうだな」
「ありがとう!私、バルの為に頑張るわね!」
ラーラは満面の笑みをバルに向けた。思い通りに話を進められた喜びを素直に現して。
拐かされて純潔を失った平民が貴族の妻として社交をするなんて、どれだけ攻撃される事か。それは本人にだけではなく、当然嫁に迎えた家に取っても非常に大きな弱点になる。そもそも貴族家がそんな嫁を迎え入れる筈がないし、間違って嫁いで来たとしても直ぐに追い出すだろう。
ラーラがそんな状況に置かれるのをバルが放って置く筈がない。本当にバルがラーラを愛しているのなら、ラーラとの別れを決断する筈だ。
やっとバルに勝てた気がして、ラーラの負けず嫌いの部分が大いに満たされた。
「この後、祖父様と祖母様がソウサ邸に来る。ソウサ家の皆さんもいるし、早速説得をしてくるよ」
「え?今日?」
「ああ。早い方が良いだろう?早く説得すれば早くラーラと結婚出来る」
いやいや早過ぎる、とラーラは思った。バルに甘える時間がなくなる。
しかし別れを考えるとこれはチャンスだ。
自分と再会して直ぐに結婚するなんてバルが言い出すのを聞けば、どう考えてもバルは正しい判断が出来なくなっていると、周りは思うだろう。そうなれば周囲からの反対は、頭ごなしになるかも知れない。冷静になれと言われれば言われるほど、バルは熱くなるかも知れない。
そうなったらバルは会話から強制排除されるだろう。そしてバルのいない所で、二人の別れが決定する。
別れを考えて胸に痛みを感じたラーラの変調にバルが気付く。
「心配いらないよ。今日の所は俺に任せて、ラーラは休んでいて」
理由を勘違いしているとはいえ、自分に向けられたバルの優しさに、ラーラは喜びを感じて笑みを零す。
そして、バルが熱くなっても自分がコントロールする事で、別れを先延ばしに出来た上に更にバルに熱く大切にされるなどと言う、自分に都合の良い甘いビジョンがラーラの脳裏に浮かんだ。
「バル。私も行く」
「え?でも体調が」
「もう大丈夫なの。皆が心配するからベッドから出れないだけ。もう歩けるし」
「いや、しかし」
「私達二人の将来の事でしょう?私も一緒に行かせて」
「それなら日にちを改めよう。ラーラの体調に不安がなくなってからの方が安心だ」
それは困る。バルが熟考したと周りに思われたら拙い。その日までに状況が変化するかも知れない。その時にバルを上手くコントロールする案が出ないかも知れない。あるいはバルが暴走した挙げ句、甘えるどころか会えないうちに別れが来ていたら堪らない。
「一日も早く一緒に暮らしたいのに、もしかして私が一緒だと邪魔になる?」
「そんな事はない」
「私の前では話せない話があるなら、ここで待ってるわ」
「そんなのはないって」
「そう?良かった。バルは私に本当の事を言ってくれるって言ってたし、私はそれを信じてるわ」
「もちろんその通りだし、俺もラーラを信じている」
「ありがとう。嬉しい。私もこれからもずっと、バルには本当の事を言うからね?」
「ああ。俺も嬉しいよ」
「それで?私は付いて行っても良い?それともやっぱり邪魔?」
「そんな事言われたら、一緒に行こうと言うしかないじゃないか」
「嬉しい。二人で皆に話を聞いて貰いましょう」
「仕方ないな」
バルが浮かべた苦笑いはとても優しくて、ラーラの心が痛んだ。それをラーラはバルと同じ様な苦笑いを浮かべる事で、バルには感付かれずに済ませた。
嘘は言っていない。
バルに求められて嬉しい。バルのお嫁さんにだってなりたい。お嫁さんになったらバルの為に精一杯努力する。
全て本当だ。
お嫁さんにならないだけで。
本当の事を全部言ってはいないだけで、嘘を吐いてはいない。その自分への言い訳にもラーラの心は痛む。




