立ち会いのメリデメ
ミリは元王女チリンの出産を控え、コーハナル侯爵邸に泊まり込んでいた。
ミリが王都内にいるなら実際には、チリンの陣痛が始まった連絡を受けてからコーハナル侯爵邸に向かっても、出産には余裕で間に合う。しかしミリがなるべく傍にいる事をチリンが望んでいたし、コーハナル侯爵家の皆にも頼まれて、ミリはチリンの私室の傍に用意された部屋で寝泊まりをしていた。
そしてコーハナル侯爵邸には、パノの父ラーダ・コーハナル侯爵も領地から来ていた。王命による各領主の招集に合わせた事になっている。ただし皆からはたとえ王命がなくても、初孫の出産に間に合うように王都に来たのではないかと思われていた。
パノの母ナンテは微笑みで夫を迎えたが、しかし初孫誕生に間に合わせたのであろう事に付いては何も言わない。
パノもラーダの来都を労う言葉を述べたが、それだけだった。
パノの弟スディオは自分の妻チリンの出産に注意が向いているし、ラーダが初孫誕生に合わせるのも当然だと思っている為、わざわざ言及する事はない。
チリンは義父であるラーダの事を余り知らないので、出産に合わせたのかも知れないとは思っていても、口に出す事はなかった。
そしてラーダも皆にそう思われてはいると思っていたのだが、誰も指摘をして来ないので、自分から「王命で戻ったのだ」と敢えて言い訳をして回る事も出来ない。
コーハナル侯爵邸を包むその様なある種の緊張感に、ミリは落ち着かなさを感じたりもしていた。だからと言ってラーダに対し、ミリが指摘をしたりはもちろんしないし出来ない。落ち着かなさはやがてラーダに対する気不味さになっていったりもしたけれど、チリンがそれほど気にしていなかったので、ミリはそのまま放置していた。
チリンは、スディオが出産に立ち会うと言っている事の方に、気を取られていた。ラーダはスディオに賛成する意見を出したが、ナンテは反対をしている。スディオの立ち会いにはパノも疑問を呈していた。更にチリンの担当助産師も反対の立場を取っている。
だが女性達に反対をされても、スディオはなかなか意見を翻さない。
それにチリン自身もスディオに立ち会って欲しい様にも感じていた。ただし経産婦である姑や助産師が反対しているので、チリンはその事を口にしたりはしていなかった。
しかしミリはチリンの様子から、チリンのその気持ちを感じ取っていた。それなのでミリは、スディオが立ち会える様にする為の情報を集め始める。
夫婦で行商をしていると、旅先での妻の出産には夫が立ち会う事があった。ベテラン夫婦では、夫が赤ちゃんを取り上げる場合もあると言う。ミリはソウサ商会で、その様な話を集めた。
更に、王都で暴動が起こった頃には、家から出歩く事が危険だった為、助産院ではなく自宅での出産も多かった。その当時は王都から避難をしていた助産師も多く、助産師に頼る事が出来ずに出産する王都民も少なからず存在した。ミリはそれらの人達を探し当て、夫が立ち会った場合に感じたメリットを教えて貰った。
もちろんデメリットも挙げられた。傍でうろうろされて鬱陶しかった。既に限界以上に頑張っているのに「頑張れ」と言われて腹が立った。何の役にも立たないのに「俺が付いている」と言われて離婚してやろうかと思った。待ったなしなのに「もう無理しなくて良い」などと寝惚けた事を言われて反射的に殴ってやった。
チリンの出産にスディオを立ち会わせると言う当初の目的と反する証言をどう扱うか、ミリには多少の躊躇いはあったけれど、集めたデメリットも全てチリンに伝えた。
「鬱陶しいと言うのは、今でも感じる事があるわ」
チリンはミリが纏めた資料を読みながら、小さく苦笑を浮かべてそう言った。
「私の事を気遣ってくれているのは分かっているけれど、同じ事を何度も言われたらうるさいって思ってしまうもの」
そのチリンの言葉にミリが何も返せないでいると、チリンは優しい微笑みをミリに向ける。
「でも、メリットとして皆が挙げている、夫の態度が変わったと言うのは捨てがたいわ」
「でも、チリン姉様?スディオ兄様は今でもチリン姉様の事を大切にしていると、私は思うのですけれど」
「それはもちろん私も感じているわ。でもね?ここに書かれているメリットは、大切にされる様になったと言うのではなく、尊敬される様になったと言う風に読み取れない?」
「尊敬ですか?」
「ええ。出産に立ち会おうと言う夫は、スディオの様に、元々妻を大切にしていると思うわ。その前提に立つと、違う意味が見えて来ない?」
ミリは自分が纏めて来た資料に、もう一度目を通した。
「スディオは私の事を大切にしてくれているけれど、私の事を弱くて守らなければならない相手と思っている節があるの」
「それは、スディオ兄様は剣も得意ですし」
ミリは自分の両親とパノとスディオが在学中の学院で、生徒が亡くなった事件を思い出していた。スディオはあれから剣術に一層の力を入れたと、ミリは聞いている。
「その強さ弱さではなくて、人間的な強さよ?」
「人間的でしたら、チリン姉様はお強いと思いますけれど?」
「それ、褒め言葉よね?」
「もちろんですよ?」
他にどんな受け取り方があるのかと、ミリが戸惑いながら答える。その様子にチリンはミリを安心させる様にと微笑んだ。
「ありがとう。でもね?スディオは私を大切にしてくれているし、愛してくれているとも思うけれど、スディオが私に向けている気持ちは尊敬ではないと思うのよ」
「その様な事はないと私は思いますけれど」
「そう言う気持ちがあるとしても、それって私が王家出身だからではない?」
「え?」
「もちろん違うかも知れない。本当に私自身の事を尊重してくれているのかも知れない。でも私がそう感じてしまう以上、スディオが言葉で何と言ったとしても、私にはそれが真実なの」
真剣な表情でそう言うチリンに、ミリは言葉を返せなかった。
チリンは自分のお腹に視線を下ろして手を当てる。
「この子を産む事で、もしかしたらスディオが私を尊敬してくれるかなって思っていたの。だってスディオには出来ない事でしょう?」
そう言うとチリンは顔を上げてミリを見た。
「その効果が上がるなら、私はやはりスディオに出産に立ち会ってもらいたいな」
そう言ってまたミリに微笑みを向けるチリンに、ミリは「分かりました」と肯く。
「ミリちゃん」
「はい、チリン姉様」
「お義母様達を説得するのを手伝って」
少しだけ首を傾げてのチリンのお願いに、ミリはもう一度肯いた。
「はい。協力させて頂きます」
元々ミリはその為に、証言を集めていたのだ。しかしデメリットを聞いて考えが揺らいでいたけれど、今のチリンの話を聞いた事で、ミリの気持ちは固まる。
そう答えたミリに、チリンは「ありがとう」と笑顔を向けた。
その後、ミリの資料を元に話をした事で、ナンテもパノも助産師も納得をし、スディオはチリンの出産に立ち会える事になった。
その中で、チリンの気持ちにナンテと助産師は特に強く共感し、女性達の結束は強まる事になる。
そして出産に立ち会える事になったスディオは、その経緯を知らずに単純に喜んだ。
ラーダは女性達の様子に何かがあった事は気付いたけれど、経験上それを探る事に危険を感じ、皆からは一歩下がって見守る事にした。




