44 俺のターン
しばらく待って、大きく息を吐いてから、バルは口を開いた。
「今ので最後?俺のターンで良い?」
「え?話なんてもうないでしょ?」
「ラーラ。俺もだよ。俺も幸せを感じたら二人を思い出してしまうだろう。きっと、死ぬまでずっと」
「なんで?バルはきっと二人の事を忘れられるわよ?私は二人とは兄弟として育ったから忘れられない。でもバルは話もした事ないでしょ?」
「確かに二言三言、言葉を交わしただけだ。でもラーラが二人を思い出しているのを見れば、俺だって思い出すに決まっている」
「それはないわよ。もう私はバルと会う機会なんてない。擦れ違う事さえないわ」
「結婚して一緒に住めば、毎日会うだろう?」
「え?まだそんな事言うの?」
「もちろんだ。ラーラ。もし俺がラーラとは会えなくなったら、俺は幸せを感じた瞬間にラーラを思い出す。ラーラと同じだよ。そして二人の事も思い出すだろう。ラーラと会えなくなれば、俺はその時間を一人で耐えなければならない」
「私の事を忘れれば良いじゃない」
「ラーラ。俺は多分、自分の兄姉が悲惨な死を迎えても、いつかは忘れて笑うと思う。でもラーラの事は忘れるなんて出来ない」
「そんな事ないわよ。コーカデス様が好きだったのに今は私がホントに一番なら、直ぐに私より好きな人が出来るわ」
「そんな事を言わないでくれ。あ、いや、信じてくれなくても良いか?ラーラは俺が他の女性を好きになるから、俺を一人にしても良いって考えているんだな?女好きのバルだから」
「そうじゃないけど」
「ラーラ。ラーラが誰かを好きになったら、俺もラーラ以外を好きになるよ」
「え?なんで?」
「その誰かを好きになれば、ラーラは幸せになれるんだろう?そうしたら俺が思い出すのは、悲しむラーラ達ではなくて、幸せに微笑むラーラとラーラの心を掴んだ妬ましい誰かになる」
ラーラは眉間にかなり深い皺を寄せた。逃避気味に、こんな頑固者をどうして好きになってしまったんだろうと考える。
それをバルは、ラーラが異論を考え付かなくなっている好機、と受け取った。
「ラーラ。俺以外の男で好きな奴はいるのか?人としてではなく異性として」
キロの名をラーラが挙げる事は無いとバルは思って賭けに出る。
ラーラは言い淀むが、それがバルには答になっていた。
そしてバルにそう受け取られたと、バルの様子から気付いたラーラは、負けん気を出して答える。
「今は私はそんな事を考えてられる状況じゃないでしょう?」
「そうか?それなら、結婚したい相手は?」
「え?同じでしょう?」
「なんで?好きな相手と結婚したい相手が一致しない事が、女性にはあるんだろう?」
「それは貴族の方の場合じゃないの?」
「そうか?男は貴族も平民も無く、好きな相手と結婚したいと思うから、女性も貴族と平民の差が無いかと思ったのだけれど」
「どっちにしても、私は結婚なんて出来ないわ。平民としても私はキズモノなのよ?私と結婚したいと言う人が出て来ても、それはソウサ家の財産狙いだから、そんな話は絶対に断るし」
「そうではなければどうだ?ソウサ家の財産は要らない、自分の力でラーラを養うって言う男が、ラーラを愛して結婚を望んだら?」
「本当に連続して私を傷付けてくれるのね?キズモノの私を愛する男がいるわけないでしょう?」
「そうか?」
「もし愛を口にしても、それは別の狙いがあるのよ。でも私と結婚してもデメリットばかりだから、財産狙い以外にはあり得ないわ。私が愛される訳ないって、自分はキズモノだって、言わされる度に私は傷付いているんだからね?バル、分かってるよね?」
「ラーラの心が傷付いているのは知っているけれど、ラーラをキズモノなんて思わない奴だっている。ラーラを愛する男だって」
「そんな人、何処にいるのよ?」
「ここに」
そう言ってバルはドヤ顔で自分を指差した。
ラーラは溜め息を吐く。
「自分で“俺以外の男”って言ったじゃない。バルは対象に入ってないわよ」
「まあそうだな。詰まり俺にはライバルがいないって事だ」
「バル」
ラーラは横になったまま枕を両手で押し出して、バルに向かって山形に投げた。バルは枕を片手で受ける。
「バルとは結婚出来ないって言ってるでしょう?私はバルが平民になる事は許さない。平民のバルとは絶対に結婚しない。平民のバルは対象外、資格なし」
「貴族と結婚したい訳ではないって言っていたのに」
「貴族のバルとは私が結婚出来ない。何回言わせるの?」
「それは、俺と結婚しても良いけれど、出来ないって意味だよな?」
「出来ないんだから、しても良いも悪いもないでしょう?」
「結婚しないなら良いのか?一緒に暮らすだけなら」
「バルは結婚しなくちゃダメでしょう?」
「そんな事はない」
「あるでしょう?貴族なんだしダメでしょう?お嫁さんを貰って跡継ぎを儲けなきゃ」
「俺は三男だからその限りじゃない。三男以降は結婚しない事もあるし」
「騎士なら無いわ。結婚しないのは収入がない方でしょう?騎士なら上司や先輩から縁談が持ち掛けられて断れないって、私が知らないとでも思ったの?」
「断るさ」
「バル。たとえ結婚しなくても、私と一緒に暮らせばバルの評判を落とすわ」
「結婚しないで同棲している男女もいるだろう?」
「平民ならね」
「ラーラは平民じゃないか」
「バルは貴族でしょ?それに平民でも同棲しているカップルは、何らかの理由があって結婚してないのよ」
「俺とラーラも、ラーラが俺との結婚を嫌がっているって理由があるだろう?」
「いい加減にして!」
ラーラが肘を突いて上半身を起こす。
ラーラは本気で腹を立てていた。
「誘拐の事、隠して置ける訳がないでしょう?私があいつらに何をされたのかなんて直ぐ広まる。事実だけでも悪意の恰好の的なのに、それに尾ヒレが付くのよ?バルが私の所為で悪く言われるのを私に耐えろって言うの?」
「やっぱり、俺を守る為なんだな」
「な!違うわよ!私が耐えられないって言ってるの!」
バルは枕が手許にある事を思い出して、もう一度ラーラのベッドに枕を投げ返した。ラーラは手を伸ばして枕を掴むと、横たわって枕を抱き締めた。
「ラーラ。俺はラーラと一緒に暮らせなければ、いつもラーラの事を考えてしまうと思う。きっと騎士の職務も上手く熟せない」
「だから、私の事は忘れれば良いのよ」
「ラーラは俺の事を忘れるのか?」
「もちろん、忘れるわ」
「嘘だ。嘘は吐かないでくれって言ったろう?」
「もう。嘘だと思うなら訊かなければ良いじゃない。・・・そうね、たまには思い出すわ、きっと」
「俺は一瞬も忘れられない。ラーラ以外と結婚して妻となった女性といても、絶対にラーラを思ってしまう。それは相手にも失礼過ぎると思わないか?」
「だから、忘れれば良いんだってば」
「ラーラはどうするんだ?俺以外とでも結婚しない積もりなんだよな?」
「そうだけど?それが何?」
「どうやって暮らしていく積もりなんだ?」
「どうって・・・収入の事を訊いてるのなら、ソウサ商会の手伝いをする積もりだけど?」
「どうやって?俺の評判が落ちる程なら、ソウサ商会の方がもっと悪評が立つんじゃないか?」
「酷い事言ってくれるのね」
「俺の方なら噂は精々が気晴らしだ。コードナ家に喧嘩を売る積もりなら、今回の事は武器にはならない」
「そんな事、無いでしょう?」
「裏では憂さ晴らしに色々と言われるだろうけれど、表でそれを言えばコードナ家として対処してお終いだ。ウチより家格が上の家もあるけれど、そんな所が今回の事を話題にすれば、逆に品性を疑われる結果になる。まあ、ウチより下が利用しても、品性は疑うけれど」
「でも、バルの迷惑になるには違いないでしょう?」
「多少鬱陶しいけれど、それでラーラと暮らせるなら気にもならないレベルだ。美味しいと評判のデザートが食べたらそうでもなかった方が、問題に思える程度さ」
「それって、あの件が取るに足らないって言ってるの?」
「俺がそんな事を言ってないのは分かっているだろう?さっきラーラは自分の純潔が二人の命程の価値は無いって言ったけれど、俺にとってはラーラと一緒に暮らせる事の方が、これ以上無く大切だって事だ」
ラーラは枕に顔を埋め、「それじゃあダメなのよ」と呟いた。




