大エビ
干物の生産者ニダは、ミリやレント達に気付くと作業の手を止めて立ち上がった。
「お帰り」
「ただいま、ニダさん」
笑顔で手を挙げるニダに、ミリも手を挙げ返して応えた。レントも笑みを作って「ただいま」とニダに応える。
「思ったより早かったね」
ニダのその言葉にレントの笑みは引き、ミリの表情にも苦笑いが混ざる。
「首尾はどうだったんだい?上手くなかったのかね?」
ニダは船長のワも食料責任者のラッカも、特に荷物を持っていないのを確認するとそう尋ねた。
「取引は中止だ」
「取引は中止になったの」
肩を竦めたワの言葉をミリが少し残念そうな表情で通訳す。その隣でラッカは不機嫌そうに口角を下げた。レントは思わず視線を下げる。
「そうなのかい」
ニダの言葉には同情の響きが籠もっていた。
ワがニダに向けて告げる。
「塩の取引がなくなった以上、ここに寄る事もなくなる。話をこちらから持ち掛けて置きながら、ニダさんには申し訳ないが、干物の取引もなかった事にさせてくれ」
「塩の取引がなくなった以上、ここに立ち寄る事もなくなるって。話をワ船長達から持ち掛けて置きながら、ニダさんには申し訳ないけれど、干物の取引もなかった事にさせてくれだって」
ミリの言葉を小さく肯きながらニダは聞いていた。そして「そうかい」と呟くと、ニダはワとラッカを見る。
「取引は構わないよ。でも、それで?今日は直ぐに船にもう帰るのかい?まだ大丈夫なら、エビやカニも獲って来てあるから、良かったら食べて行きなよ」
少しだけ残念そうな表情を見せたが、ニダは直ぐに微笑みを浮かべるとワとラッカにそう言った。
「良いのか?」
「良いのかだって」
「ああ、良いとも。酒もあるよ?」
ワとラッカは少し複雑な表情を浮かべる。
ワがミリを振り向いたので、ラッカもミリに体を向けた。
「ミリ?」
「なに?ワ船長?」
「次に来た時に、ニダには何か礼をしたい。俺達はここまで来られないから、届けるのをミリに頼めるか?」
「うん。大丈夫だよ」
「そうか。ありがとう」
「ありがとな、ミリ」
「うん」
ワとラッカはニダに向き直って笑顔を向けた。
「喜んでご馳走になろう」
「喜んでご馳走になるって」
「そうかい」
ワとラッカとニダが笑顔を向け合うのをミリも笑顔で見ていたが、レントが再び浮かべた笑顔には苦い物が混ざって来ていた。
「こんなのも獲ったから、是非食べて行きな」
そう言いながらニダは、大きなエビを二匹持って来ると、皆に見せる。
「え?エビってこれほど大きいのです?」
思わず半歩足を引きながら、そう言うレントの声は少し擦れる。ミリは喉をゴクリと鳴らしたが、それは美味しそうだと唾を飲み込んだのではなく、喉に違和感を感じたからだった。
「ほう、立派なのが獲れるんだな」
「立派なのが獲れるんだなだって」
「これは美味そうだ」
「美味しそうだって」
ニダの持つ大エビに近付きながらのワとラッカの言葉を通訳しながら、ミリは大エビから距離を取る。そのミリの様子に気付いたニダが、ミリに少し意地悪そうな笑みを向ける。
「なんだい?ミリ?恐いのかい?エビを獲るんじゃなかったのかい?」
「そんな大きいのは見た事ないから」
「おや?そうかい?王都の港だって、少し外れた所で潜れば、これくらいのエビがいるだろう?」
「え?そうなの?」
「ああ。その筈だよ」
「でも、こんな大きいの、誰かが獲ってるのも見た事ないから」
「そうなのか。私が王都に行った時にはいたけれどね。まあ、もう何年も前だけれど。だけど小さいエビやカニも獲ったから、と思ったけど、どっちにしてもミリは食べないか」
「あ、その、うん」
「後ろの兄さん姉さん達は、エビやカニは食べるかい?」
ニダに尋ねられたミリの護衛達は、少し顔を見合わせた。
「食べたかったら遠慮なく良いな。まあ、神殿の教えだと、エビもカニも魂の格が魚より下だから、魚が無理ならこっちも無理なんだろうけどね」
ニダの言葉にミリは護衛達を振り向いて、「食べる?」と訊いた。
「私に構わず、食べたい人は食べて良いからね?」
ミリの言葉に護衛隊長は隊員達を見回すが、隊員達は皆、困った様な顔をしている。護衛隊長はミリを見てからニダを振り向いて、「はい」と言った。
「今の所、食べたがっている様ではありませんが、個人的に依頼する者が現れましたら、食べさせてやって下さい」
「のんびりしてたら、俺達がみんな食べちまうからな」
ニダが返事を返す前にワが言葉を挟む。その隣でラッカも「そうだな」と言いながら肯いた。ミリは眉根を少し寄せながら、ワの言葉を訳して護衛達に伝える。
「のんびりしてたら、船長達がみんな食べてしまうって。だからもし、食べたいとか食べてみたいとか、興味があるなら早めにニダさんに直接頼んでね?」
護衛達は声を揃えて「はい」と返した。ただし誰も嬉しそうには見えない緊張した面持ちをしている。
その表情を見てミリには、もし私が食べるって言ったら誰かが毒見をしなければならないのよね、との考えが浮かんだ。そして小さく頭を左右に振る。自分が魚やエビを食べられないのに、その事を護衛達を言い訳にしそうになって、それは違うと考えたのだ。
そしてミリはニダの持つ大エビに視線を移し、たとえ毒見の問題がなくても食べられる気がしない、との自分の気持ちを素直に認めた。
そしてレントも大エビを見ながら、食べてみたいと思うのに食べたいとは思えないけれどどうしようかと考えていた。




