直接話したい
再び歩き始めてしばらくして、それまで無言で言葉を探していたレントがミリに話し掛ける。
「ミリ様」
「なに?キロ?」
レントとして言葉を探って考えていたのに、キロと呼ばれるとどうしても、レントの思考は一時停止してしまう。王都で馬車の通る道を歩いて渡った時の様に、立ち止まって周囲を確認して、自分の進む方向を確かめて、レントはキロとしての言葉を口にした。
「ミリはワ船長達と話せる様になるまでに、どれくらい勉強をしたの?」
「どれくらいだろう?」
ミリが小首を傾げる。
「もしかして、それほど勉強をしなくても話せたの?」
レントの言葉にミリは、今度は反対側に小さく首を傾げた。
「勉強はしてたよ。五日に一回、他国について学ぶ授業では、言葉も習ったし」
ミリはそう言うと、片手の指を一本立ててレントに見せる。
「五日に一回、会話の練習もしてたし」
ミリはもう一本、指を立てた。
「五日に一回、港町に行って、色々な国の人と話してた」
ミリは三本指を立てると、その手を開いて手のひらをレントに見せ、小さく左右に振る。
「けど、最後のは勉強じゃないか」
そう言って笑顔を見せるミリを見て、レントは無意識に眉根を寄せた。
「色々なと言うのは、ワ船長達以外の国の言葉も喋れるの?」
「うん」
気負いもなく偉振るでもなく、ただ自然にそう肯くミリに、レントの感情は揺れる。
それは負けん気とは違った。やさぐれた訳でもない。憧れに似てはいたが、その中心部は嫉妬に近かった。
「・・・ミリは凄いね」
レントの声が少し籠もったのに気付いたミリからは、言い訳の様な口調の言葉が口を突く。
「港町で、船員さん達のお使いしたりして、稼いでいたからね」
「え?お金を稼いでいたの?」
「うん」
「なんで?」
レントは、王都のミリの邸の様子を思い出していた。
決して広大だったり豪奢だったりした訳ではないが、建物にも庭にも隅々まで手入れが行き届いていた。室内の調度品も、レントには値段は分からないが、品の良い物で揃えられていた。
それにミリと縁のあるコードナ侯爵家もコーハナル侯爵家もソウサ家も、この国では有数の資産家だ。その中でバルとラーラの夫妻だけが、お金に困っているとはレントには思えない。
それなので、まだ子供のミリが金を稼ぐ必要があるとは、レントにはとても考えられない事だった。
「なんでって・・・」
ミリは小首を傾げる。
お使いで稼いだ金でアクセサリーを仕入れて、その売買で儲けを増やして、投資したりしてそれなりの金額を得ていたけれど、そもそも何故お使いを始めたのか、覚えてはいなかった。
「お金を稼ぐ為にだけど、なんで始めたのか、覚えてない」
それを聞いていたワが「ぷっ」と吹いた。ラッカも笑っている。
「なんだよ?目的もなく金を稼いでるのかよ?」
「キロには理由を訊かれたんだろう?金を稼ぐのは金を稼ぐ為って、答えになってるのか?」
「金を稼ぐのは手段じゃなくて、目的って事か」
「なるほど。もしかしたらソウサ家の血なんじゃないか?」
「確かにそうだよな」
「息を吸う様に、自然に金を稼ぐって事か」
「生きてるイコール金を稼ぐと」
二人にそう言って笑われるけれど、ミリは反論出来ないし、ソウサ家の血と言われたのは悪い気がしなかった。
「二人に言わせると、ソウサ家の血の所為みたい」
そう言ってミリはレントに笑顔を見せた。それをレントは真面目な顔で受ける。
「王都の港町に通えば、俺もワ船長達と話せる様になるかな?」
予想していなかったその話題に、ミリは反射的に「え?」と答えながら、考えを纏めようとした。
「う~ん?どうだろう?」
「他国の文化や風習や歴史を学べば大丈夫?」
「船に乗りゃ直ぐだよ」
ミリとレントの会話に、ワが口を挟んだ。ラッカも首を傾げながら言う。
「キロなら一航海終わる頃には喋れるだろうけど」
「その通りだ。ただしお客様じゃなくて、船員としてだがな」
「ああ。だけど、コーカデス様には無理だろう?」
「あ、ああ、そうか。そうだな」
ミリはワとラッカの言葉をどう訳そうかと迷った。
「え~と、みっちりやれば、大丈夫だって」
レントは「みっちり」の意味を知らず、少し眉根を寄せて「みっちり?」と呟いたが、それが聞こえたミリは「うん」と肯く。ミリに肯かれて、レントの眉根が更に寄った。
「ワ船長とラッカさんは、コーカデスの事も言ったよね?」
レントにもキロとかコーカデスとかの単語は聞き取れている。それなので、単に言葉の長さからだけではなく、ミリが内容を端折った事も分かっていた。
「なんて言っていたの?」
レント・コーカデスとしてならミリ・コードナにこんな訊き方は出来ないが、今はキロとミリなので、レントは状況を利用した。
ミリが真面目な表情を浮かべる。その顔を見て、ミリがミリ・コードナに戻って発言するのかと、レントは焦りを感じた。
その上ミリが頭を下げたので、レントは慌てたし、更に焦った。
「ごめんなさい」
「あ、いや」
「キロなら船に乗って航海したら帰って来る頃には話せる様になっているだろうけれど、レント殿にはその様な事は出来ないだろうって言っていました」
人の話を伝え聞く時、伝える人が内容を増減してしまう事で、話の受け取り方が変わる事をミリは思い出していた。それを知っていた筈なのに、自分の解釈を加えて伝えてはレントとワとラッカが交流した事にならないと、ミリは気付いたのでレントに謝ったのだ。
一方でレントは、最初のミリの言葉を聞き取れていたワとラッカが何も言っていなかったのは、ミリの通訳した内容で構わないと思っていたのだと思い至る。
それなのにミリに頭を下げさせ、謝罪の言葉を口にさせてしまった事に、レントはまた、自責とは少し異なる、言葉にならない思いを深めた。
「分かりました。ありがとうございます」
そう言ってミリに頭を下げるレントの声は、少し低くなっていた。




