名乗る
まだ離れた位置から、漁村に騒がしさが感じられた。
ミリとレント達が近付くと、いつもより村内の道に人が多く見られる。
何よりお嬢様と呼ばせるビーニが、どこにいるのか近寄って来ない。いつもならレントが村に入るのを見逃さず、ビーニが必ず話し掛けて来ていたのにだ。
「今日は何かあったのか?」
レントの会話担当護衛が通り掛かった村人に尋ねる。
「ああ、お前らか。行商人が来てたんだけど、知らなかったのか?」
「そうなのか」
「もう、売り切れてるんじゃないか?中央に馬車を止めて売ってたけど」
村人が手を額に当てて庇にして、背伸びをして人々の先の方を眺め、そう言った。
「馬車はどっかいなくなってるな」
「そいつは残念だけど、なあ?塩ってどこで買えるんだ?」
「塩?行商の商品じゃなく?」
会話護衛の質問に、村人は眉間に皺を寄せる。その村人に会話護衛は「ああ」と肯いて返した。村人の眉間の皺が深くなる。
「塩は村長に訊かないとだが、お前らが塩を買うのか?」
村人は目を細め、船長のワと食料責任者のラッカ、それからミリの護衛達を見た。
「ああ。村長には、どこに行ったら会えるんだ?」
「いつもなら、ほら、あそこの建物。あそこにいるが、今日はどこだかな?」
村人はまた背伸びをして、建物の一つを指を差す。
「今日はってもしかしたら、その行商人とかと一緒なのか?」
「いや、こんな日だから、どっかで酒飲んでるんじゃないかと思ってさ」
「そうなのか?」
「まあ、試しに行ってみろよ。どうせ、どこにいるのか分かんないんだから」
「そうだな。教えてくれて、サンキュー」
「おう」
手を挙げて離れて行く村人に、会話護衛も手を挙げ返した。そして会話護衛はレントとミリを振り向き、尋ねる。
「どうしますか?」
「教えて貰ったあの建物に、行ってみましょうか」
「そうですね」
レントの言葉にミリが返し、船長のワと食料責任者のラッカも「そうだな」と肯いた。
村の中を人を避けながら少し歩くと、村人とは様子の違う一団がミリの目に入る。
年配の男女二人と青年が一人、それにミリより少し年上に見える、レントよりも少し年上だろう男の子と女の子が一人ずつの、合わせて五人組だ。
ミリはその雰囲気から、この人達が行商人ね、と思った。
その時、ミリ達の後方から、周囲の騒めきを裂く様に、「キロ!」と声が掛かる。
ミリが行商人と見立てた一団の、年配男女が振り向いた。
レントもミリも声が掛かった方向を振り向いて足を止める。ワとラッカも釣られて足を止めて振り向き、ミリとレントが止まったので、護衛達も足を止めた。
「ラーラ」
騒めきの中に母の名を聞き取ったミリは、そちらを振り返る。
思わずラーラの名を呼んだ年配女性は表情なく、ただミリを見詰めていた。その隣で年配男性は、眉間に皺を寄せて口角を下げ、やはりミリを見詰めている。男の子と女の子は話をしながら二人の様子には気付かずに、歩みを止めずに進んでいるけれど、青年は気付いて立ち止まり、そしてミリを見た。青年の目と口がゆっくりと開いて行き、口はそのままで眉尻が下がり、開いていた目が細まるにつれて瞳が滲んでゆく。
年配の男女、青年、そして少年と少女の五人が誰なのかに付いて、思い当たったミリは年配男女に近付いた。そのミリにミリの護衛達が付いて行く。それに気付いたレントもレントの護衛達もワもラッカも、ミリの後を追って歩いた。
「おい!待てよ!キロ!」
その言葉に反射的に反応して、レントはちらりと後ろを振り返る。片手を挙げてこちらに走って来るビーニと、ビーニに付いてどたどたばたばだと走って来るビーニの取り巻き達が視界に入ったけれど、レントは顔を前に戻し、そのままミリの後に続いた。
ミリは年配男女の前で立ち止まり、微笑みを二人に向けた。
「ラーラはわたくしの母の名です。わたくしはミリ。母の大切な方から名前を頂きました」
そう言うとミリは年配の男女、ラーラのお父ちゃんことガロンと、ラーラのお母ちゃんことマイに、深く頭を下げた。
「お前の母親、ラーラって言うのか?」
レント達に追い付いたビーニが、ミリに向かってそう言った。
「ビーニ!」
レントがミリとビーニの間に体を入れる。その左右にはレントの護衛が立った。
ワとラッカは二人とも、これが噂のお嬢様か、と思っていた。
「なんだよ?キロ?こいつの母親、ラーラって言うんだろ?」
ミリの母親の名前を偽名にするかどうかなど、決めてはいなかった。それなのでレントは、とっさにビーニに言葉を返せない。
「娘がミリで、母親がラーラなんて、悪魔親子と一緒じゃないか」
「止めろ!」
レントが声を荒げてビーニを止めるが、ワは冷めた目でビーニを見ていた。
ワがラッカに耳打ちをする。
「こりゃ、ミリが相手にしないのも分かるな」
「だが、この国ではあちこちで、ラーラとミリはこんな扱いなんだな」
ワはラッカを振り向いた。ラッカが怒っているのが分かり、ワはラッカの肩をポンと軽く叩く。
「ラーラじゃなくて、ラーラ様だろ?」
いつもはラッカがワに指摘している事をワに言われ、ラッカは視線をビーニからワに移した。ワはラッカに睨まれて苦笑を漏らしながら、ラッカの肩をポンポンと更に二度、軽く叩いた。
「こいつの母親も、悪魔とおんなじなんじゃないのか?」
「止めろ!ビーニ!」
レントの大声に、周囲から上がった嘲りの声が被さる。その嘲笑や罵声を裂いて、ビーニの言葉が皆の耳に届いた。
「それならやっぱりミリは、テテナシゴだ」
ラッカがビーニの襟元を掴んで高く持ち上げた。
その動作が余りにも素早く、レントの護衛がレントを下がらせるのは一拍遅れた。
ワが後ろからラッカの両肩に手を置くのと同時に、ビーニを持ち上げるラッカの腕にミリが両手でぶら下がる。
そのミリの周りをミリの護衛が囲んだ。
ラッカの低い声が、騒めきを押しやる。
「お前、なんて言った?」
「止めろ、ラッカ」
「落ち着いて、ラッカさん」
ワとミリの声に我に返ったレントが、護衛達を避けてラッカに近付き、ミリとは反対側からラッカの腕にぶら下がった。
ビーニの取り巻きは事態を把握した者から次々と、後ろに下がってミリ達から距離を置く。
「ラッカさん!申し訳ありません!代わりにわたくしが謝ります!だからこの手を離して下さい!」
ぶら下がりながらそう叫ぶレントに、ラッカが視線を移した。
「ラッカ、子供を下ろせ」
ワが静かにそう言いながらラッカの背中から手を伸ばし、ラッカの腕を押し下げる。ラッカの腕が少し下がったので、ミリはラッカの腕から下りた。それに気付いたレントも、ラッカの腕から下りる。
ラッカは腕を下げてゆき、ビーニの足が付いたらパッと手を離した。
ビーニは後ろに数歩たたらを踏んで、尻餅を搗いた。それに合わせて周囲の人間が更に下がる。
腰が抜けて尻餅を搗いたまま動けないビーニの、その目の前にワがしゃがんだ。
「お前、なんて言った?」
持ち上げられていた間に呼吸が出来なかったビーニは、荒い息をするばかりで声が出ない。
返事をしないビーニを見て、ワは「そうか」と呟いた。そのワの言葉にビーニは「ひっ」と息を吸い、体を縮める。
「ミリ、通訳」
「なんて言ったのか、ワ船長にも聞こえていたのではないの?」
ミリははあっと溜め息を付いた。
ワはミリをちらりと見る。そしてワがまたビーニに顔を戻すと、ビーニはもう一度「ひっ」と息を吸った。
「ミリ?いいか?テテナシゴってのはな、胸クソ悪い言葉なんだぞ?」
「やはり、聞こえていたのね」
「こんな言葉を投げ付けられて、黙っていられるか?」
「いつもの事よ」
「はあ?」
ワが立ち上がり、ミリを見下ろしながら睨む。その二人の間にミリの護衛隊長が体を入れた。
ミリの護衛達はこの村で前回、ビーニがミリにテテナシゴと言った時にその場にいた。ミリの説明も聞いていたので、ビーニがどう言う積もりでその言葉を使ったのかも理解している。
それなので護衛達は、その時にミリの取った対応に内心不満を抱いていたし、今も心情的にはラッカと同じだ。ワと一緒に、ミリがどう言う積もりでいるのか、問い質したい。
しかしミリの護衛達は、護衛としての職務を優先し、ワとラッカにミリとの距離を取らせる。
「少なくとも俺はこの国で、初めてテテナシゴって聞いたぞ?」
ミリは体をずらして、護衛隊長の横からワを見上げた。
「王都の港町では、さすがに使われないわよ。でも言葉は違っても、同じ事は言われているわ」
「同じ事?」
「ええ。母を侮辱する言葉ね」
「なんだと?」
「そう言う言葉って、この国にもあるのよ。よその国でもそうじゃないの?」
「そう言う事を言ってるんじゃない。ラーラが馬鹿にされて、侮辱されて、なんでお前は黙っているんだ?」
「それをいちいち相手にしていたら、いくら時間があっても足りないからよ」
ミリは真面目な表情でワを見詰める。そのミリをワとラッカが見詰めた。
ワがふうっと息を吐いて、手をミリに伸ばした。
反射で護衛隊長が動くのをミリが後ろから抑えて止める。
ワがミリの頭に手を置いて、ぐりぐりと撫でてから、ラッカを振り向いた。
「仕入れは中止だ」
ラッカは少し顎を挙げ、目を瞑りながら息を深く吸う。そして目を開くとワに対して肯いた。
「了解、船長」
ワとラッカが踵を返すと、進行方向の人達が道を開ける。
レントは深く息を吐いた。知らずに入っていた肩の力を抜く。
ミリは小さく息を吐くと、後ろを振り返る。
そこに、ガロンとマイ達の姿はなかった。




