やぶへびかも
干物の生産者ニダに質問をしたり、話を聞いたりしていたら、辺りはすっかりと暗くなってしまった。それなので、ニダの畑の案内は、翌日の日中に延期された。
翌朝は、まだ夜が明けきらない薄暗い内から、ニダは船で海に出て網を設置する。
ミリやレント達は浜辺でニダの戻りを待ち、ニダが戻って来たら一緒に網を引いた。
「先ずは内側のを引いて貰うから」
「内側?網を重ねてるの?」
見上げて尋ねるミリに、ニダは「そうだよ」と肯く。
「でもニダさん?前は違ったよね?」
レントもニダを見上げながら、そう尋ねた。
「前のは粗い網だけで、今日は粗めと細かめの二重なんだよ」
「ああ、材料の魚の大きさが違うから?」
「そうだよ、キロ」
「え?どう言う事?キロ?」
ミリに尋ねられた事に、レントが感じた喜びは、小さくはない。
「煮干し用の魚は小さくて、干物用は大きいんだ。干物を作る時に小魚が網に掛かると分別が面倒だから、小さい魚は逃げる事が出来て、大きい魚は逃げられない様に、網の目の粗さを調整してるんだよ」
レントが「分別」と言った時にニダが苦笑した様な気がして、もしかしたら漁業用語で何かあるのかも知れないと思いながらも、ミリはそのまま流した。
「そうなのね」
「うん。それで今日も、粗い網で大きな魚を先ず獲って、逃げた小魚を外側の細かい網で獲るんだね?ニダさん?」
「そうだね」
「そうなのね、なるほど」
「ただし、大きな魚は逃がすけどね」
「え?」
レントが驚いていて目を見開く。ミリも逃がす事を不思議に思ったけれど、レントの驚き具合もまた不思議に感じた。そのレントは、干物はどうするのかを心配していたのだ。
「なんで?ニダさん?」
「今日は煮干しを作るので手一杯で、干物用の魚は獲れても加工出来ないからね」
「あ~、獲っといて明日加工とかだと、それまでに傷むのか」
そう納得したレントは肩の力を抜く。それを見てニダは口角を上げた。
「そうだよ、キロ」
「ニダさん?」
「なんだい?ミリ?」
「もしかして、人出があれば、干物用の魚も逃がさないの?」
「もちろんだ。昔は漁の網だってもっと大きなのを使ってて、大勢で網を引いて、何倍もの煮干しや干物を一度に作ってたんだよ」
「そうなのね」
「・・・そうなのか」
レントは海に目を向けて、大勢での地引き網漁を想像してみる。
ミリが小首を傾げながら、ニダを見上げた。
「肥料にする魚も鮮度が大切なの?」
ミリは大きな魚を肥料用に回さずに、逃がしてしまう事を不思議に思う。
「食用程ではないけれど、新しい方が良いね」
「でも、最終的には畑で腐敗させて、土の栄養にするんでしょう?」
ミリにはニダが「腐敗」でも苦笑した様に感じた。
「その通りだけど、畑まで運ぶのに、臭い肥料とそうでもない肥料。商人ならどちらを買いたい?」
ミリははっとして、ぴくりと少し顎を上げる。
「臭くない方ね」
「そうだろう?買って貰える程度には、肥料用にも鮮度が必要なんだ」
「良く分かったわ。ありがとう、ニダさん」
「どういたしまして、ミリ」
真面目な表情で礼を言うミリの姿にも、ニダは口角を上げた。
内側の網を上げた所で、レントが首を傾げた。
「ニダさん?この網は干物用?」
「いいや。肥料用だよ」
「干物用より目が細かいよね?」
「ああ。煮干し用を分別する時には、こっちがちょうど良いからね」
「ああ、そうなのか」
ミリはニダが自分で「分別」と言った時にまた、苦笑いをした様に感じた。
「ニダさん?」
「なんだい?ミリ?」
「分別がどうかしたの?」
「うん?何故だい?」
「だって、キロが分別と言った時も、ニダさんが自分で分別と言った時も、なんだかニダさん、苦笑いしてたから」
ニダは目を見開いてミリを見て、一拍置いて笑い出した。
「あっはは。良く見てるね?」
「たまたま、気になったから」
「いや~、分別なんて難しい言葉を使うから、驚いただけだよ」
「え?そうなの?」
「それで真似して使って見ただけさ」
「そうなのね」
そう言った表情ではなかったけれど、と思いながらもミリはニダに肯いて見せた。
「もしかしたらキロが難しい言葉を使ったり、丁寧な言い回しをしたりするのは、ミリが友達だからなのかい?」
「え?」
ミリのその声は低くなっていた。
もしかしたらお忍びに気付かれてしまうかも知れない。そう思ったミリは無意識にレントを見る。するとレントもミリを見ていた。
ミリはニダに視線を向けて、ニダへの自分の印象を少し誘導してみる事にする。
「そう?あたしは王都育ちだから、もしかしたらお上品に見える?」
「いやあ、ミリの所作はどこから見ても町娘だね。でも実家は大きなの商店とかかい?」
「どうしてそう思うの?」
「難しい事を良く知っているからね。ちゃんとした教育を受けているのが分かるよ」
ニダは他国に渡航経験もある。もしかしたらそれなりの教育をニダは受けているのかも知れない。
学歴はともかく、悪知恵が回る事は、香辛料の近縁種を産み出した対応でも明らかだった。
ミリの喉がゴクリとなる。
「へー。そう見えるのって嬉しいな」
「船員にもコネがあるって言ってたし、大商会とかじゃないのかな?」
「当たり!良く分かったね?お父さんの店はソウサ商会とも取引があるんだよ?」
「ソウサ商会か。なるほどね。それでか」
ミリはニダの「それでか」を聞いて、失敗したかも知れないと思った。ソウサ商会の名を出したのはヤブヘビだったかも?
レントがミリを心配そうに見ている。そのレントにミリは、口角を上げて微笑んで見せた。




