ミリの役
レント達三人の他に、ミリ達七人の姿を目にして、漁網の手入れをしていた村人ニダは手を止めた。
立ち上がって十人を眺めるニダは、目を細める。
「ニダさん」
「ああ。良く来たね、キロ」
手を上げて名を呼ぶレントに、ニダは手を上げ返した。
「今日はまた大勢だね」
「うん」
「こんにちは、ニダさん。あたしはミリって言います」
ミリに声を掛けられて、ニダの目と口が少し開く。
「はい、こんにちは。いらっしゃい、ミリ」
「ニダさんが干し魚を作ってるってキロに聞いて、色々と教えて欲しくて来ました」
「そうなのかい?」
「はい」
「もしかしたら、王都の港で干物を売りたいって思ってるのは、ミリなのかい?」
「うん。あたしです」
「そうかい。船員にコネがあるのかい?」
「うん」
「この間、キロに持たせたのはどうたった?」
「あ、え~と」
干物が傷んだ事の説明はレントからの方が良いと考えて、ミリはレントを振り向いた。それを受けてレントが口を開く。
「ニダさんに分けて頂いた干物は、途中で傷んでしまったんです」
「そうなのかい?」
「すみません」
「いやあ、まあ、仕方ないけれど、それって、キロが運んだのかい?」
「あ、いえ。人に頼んで」
平民で求職中のキロ達が、王都まで自分達で干物を運ぶのは変だという事で、人に配達を依頼した事にしていた。
「そうだったのか。それでミリはわざわざ取りに来たって事かい?」
「ううん。売って貰えるなら持って帰るけど、それより輸送の方法に付いて何かヒントを見付けられないかって思って、ニダさんの話を聞きに来たの」
「わざわざ?王都から?」
目を丸くして訊くニダの表情が大袈裟に思えて、ミリはふふっと息を吐く。
「ううん。コーカデス領の領都に来たついでに」
「そうなのか」
「うん。それでね?ニダさん?」
「なんだい?」
「出来たら干し魚を作る所も見せて欲しいの」
「それは構わないけれど、最初っから最後までってなると、結構な日数が掛かるよ?」
「うん。それはキロから聞いてるから大丈夫。泊まる用意も自分達の食料も持って来てるから、心配しないで」
「そうかい。しかし王都に運ぶなら乾燥期間が長くなるけど、それも大丈夫なのかい?」
「そこは考える。長過ぎる様なら出直してくるし」
「そうかい。ちょうど煮干しを作る所だけど、それはこれから漁だから」
「その漁、あたしも手伝わせて貰える?」
「ああ、構わないよ。明日か明後日、天気を見てだね。ただし、朝早いけれど、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。ありがとう、ニダさん」
「お礼を言うのは、起きられてからの方が良いんじゃないかい?」
「あはは」
少し意地悪そうな表情のニダの笑顔に、ミリは庶民の笑顔を向けた。
その二人の遣り取りを見て、レントはホッとする。それは、レントはニダを「良い人」と分類していたけれど、地域や身分で常識が違う為、ミリとニダの出会いに想定外の出来事が発生しないかを危惧していたからだ。最悪、漁村のお嬢様ビーニとの遣り取りの様にはならないとは思っていたけれど、それでもレントは緊張をもって見守っていた。
「それでね?ニダさん?邪魔にならないとこにテントを張りたいんだけど、どこなら良い?」
「テントか。この辺は砂地だから、テントは張り難いけれど、少し離れても良いかい?」
「うん」
「そうしたら、その砂山の向こうが良いよ」
「砂山?」
ニダの指す方をミリ達が振り返る。
「あの砂山は、こちら側は砂だけれど、向こう側には草も生えているし、下った所は地面を少し掘れば平らで硬さもあるから」
「そうなの?」
「ああ。海からの風を防いでくれるから、テントが飛ばされる心配も少ないだろうね」
「うん。分かったわ。教えてくれてありがとう」
「でも、全員は無理だけど、何人かなら家に泊められるよ?」
「うん。キロ達を泊めてあげて。あたし達はテントに泊まるから」
「そうかい。少し離れた所に水路もあるから、使うんなら使っても良いよ。畑用だけど、沸かして飲み水にも使っているから」
「うん。ありがとう」
「キロ?案内して上げて貰って良いかい?」
「うん。みんな。こっちからの方が、砂山を越えやすいから」
「うん、キロ。ありがとう、ニダさん。テント張ったらまた来るね」
「ああ、分かったよ」
レントに先導されてミリ達が歩いて行く姿を見送ってから、ニダは漁網の手入れを再開した。
ニダのお薦め通りに、砂山を越えた先でテントを護衛達が張り終わると、ミリの護衛隊長が畑の作物を観察していたミリに声を掛ける。
「ミリ様、ご相談があります」
「何でしょうか?」
「わたくし達が行商人と言うのは、無理がないでしょうか?」
「そう、ですね」
「はい。とてもミリ様の様な商人らしい会話が、わたくしには出来る気がしません」
ミリは傍で話を聞いていたレントを振り向いた。
「キロ?」
「あ、うん。ミリ」
「キロ達は身分を偽るの、無理がないの?」
ミリが平民口調で尋ねているのに、レントは「はい」と答える。
「わたくしの護衛二人は平民ですので、口調に付いては問題ございまませんし、仕事を探しているとしましたので、口にする話の内容もそれほど難しくはないと思います」
「そうですよね」
「はい」
レント達三人に問題があるとするなら、レントの平民口調が少しぎこちない事くらいだと、ミリも護衛達も思っていた。
ミリが自分の護衛達に向けて尋ねる。
「皆さんの中にはソウサ商会の行商の護衛に、携わった事のある方もいると思います。商人を装うのに問題がない方はいますか?」
ミリの質問に、護衛達の眉間に皺が寄る。
「では逆に、自信のない方?」
ミリの護衛の六人共が手を挙げた。
「分かりました。皆さんの仕事は護衛ですから、仕方がありませんよね」
ミリは微笑みを浮かべて肯く。
「それでは私は、商家のワガママ娘と言う事にしましょう」
ミリの脳裏には、亡くなった曾祖母フェリの顔が浮かんでいた。
そのフェリの声で「何言ってんだい」と、ミリには聞こえた気がする。
「え?ミリ様?それはどう言う事でしょうか?」
ミリの発言に皆が驚き、レントが慌てながら真意を尋ねた。
「親の言う事も聞かずに、勝手に行商に回っている事にするのです。皆さんは親が付けてくれた護衛で、キロ達はあたしが途中で勝手に雇用した従業員ね?」
「え?それって、大丈夫なのですか?」
「大丈夫よ?途中で雇ったんだから、まだ商いの素人でも当たり前だし」
「あ、いえ、ミリ様の立場がです」
「でも実際にこうやって、護衛を連れて商売のチャンスを探しに来ているのですから、本当の事でしょう?」
そう口にするとミリは、本当に自分がワガママ娘の様な気がして来るし、フェリの言葉も本当に言われそうな気がする。
「いいえ、あり得る話かどうか、ミリ様の様な人がいるかどうかではなく、ミリ様の身元が分かってしまいませんか?」
「ミリって女の子は大勢いるし、ミリ・コードナならこんな格好してないし、そもそもミリ・コードナが行商するなら、ソウサ商会やミリ商会を名乗らない訳がないから、大丈夫」
「名乗りとかと言うのは、そう言うものなのですか?」
「うん。だって、商人が利用できる物を利用しないで商いに出るなんて、有り得ないでしょ?」
ミリにそう言い切られると、誰も反論が出来なかった。
ただし、それは商人には常識かも知れないけれど、一般人には通じなくて身元がバレてしまうのではないだろうか、と皆が思っていた。




